| 2004年07月30日(金) |
心がわりということについて |
「私が何を考えているか、あなたには、おそらく、わからない、と思う」と有紀子は言った。「あなたには、きっとわからない」
彼女は僕を見ていた。でも僕が何も言わないことがわかると、グラスを取ってウィスキーを一口だけ飲んだ。そして首をゆっくり一度振った。「ねえ、私だってそんな馬鹿じゃないのよ。私はあなたと一緒に暮らして、あなたと一緒に寝ているのよ。しばらく前からあなたに好きな女の人がいることくらいはわかっていたわ」
僕は何も言わずに有紀子を見ていた。 「でも私はあなたのことを責めているんじゃないのよ。誰かを好きになったのなら、それはそれで仕方ないと思うわよ。好きになったものは、好きになったものなんだもの。あなたはきっと私だけじゃ足りなかったのよ。それも私には私なりに理解できるの。私たちはこれまでずっとうまくやってきたし、あなたは私にはとてもよくしてくれた。私はあなたと暮らしてとても幸せだった。そして今でもあなたは私のことを好きなんだと思う。でも結局のところ私はあなたには十分な女ではなかったのよ。そのことは私にもなんとなくわかっていたし、いつかきっとこういうことが起こるだろうとは思っていたの。仕方ないわよ。だからほかの女の人を好きになったということで、私はあなたを責めているわけじゃないのよ。本当のことを言うと、怒っているわけでもないのよ。不思議だけどそんなに腹も立たないの。私はただ辛いだけよ。ものすごく辛いだけよ。そういうことになったら多分辛いだろうなとは想像してはいたけれど、想像をはるかに越えて辛いわね」(村上春樹『国境の南、太陽の西』より)
関係性で人とのつながりを保つことはできても、その人の心まではつなぎとめてはおけない。 永遠の葛藤ですね。
私もこういう状況に直面したら、まったく有紀子と同じように言うような気がします。
でも、それも多分そうだろうな、という想像のなかのことで、実際にそういうことになったらはるかに辛いハリケーンが私の心の平静を奪うのかもしれない。
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