2004年08月18日(水) |
寺山修司『さかさま恋愛講座 青女論』 |
少年と少女、老人と老女という言葉があるのに、どうして、青年に対する「青女」という言葉がないだろうか、という筆者の疑問から「青女」という概念を作り出し、水先案内をしよう、というエッセーです。
この本が発売されたのは昭和56年ということなのですが、なんでこんなに新しいんだろう・・・。 そして、人を納得させる真理というのはこういうふうにシンプルなものなんだ、というのを強く感じました。 「結婚」「性」「家事」「化粧」「老後」「おかね」「愛され方」というようなテーマについて、斬新で子気味よい論が展開されています。
ジェンダーの問題というのは、因習や慣習にからみついているためにそれを差別だというように見極めることはとても難しいことです。 男女同権が叫ばれ続けて久しいですが、世の中の理解はそれほど高まらず、かえって間違えた認識がはびこっているのを感じていたのですが、この本では、もう、これ以上なくすっきり説かれていて、すばらしい!
〜子供らしさが、大人の作り出した「子供観」にもとづいているように、女らしさもまた、男の作り出した「女性観」にもとづいていることはあきらかです。 だから、それへの反動として出てくる「男まさりの女性」のタイプもまた、「女らしさ」のネガチーブなあらわれ方にすぎないということになり、男性を模倣してみたところでそれは「新しい女」でも何でもない、ということになってしまうのです。(中略) 私は、ます「らしさ」からの脱出が、新しい女として生きるためのステップではないかと思います。そのことは、何も突飛なことをしてみようという提案などではありません。 真冬に裸で歩いたり、顔中に口紅を真赤に塗って歩いたりしても、それは「異常者」として、べつの「らしさ」の中に組み込まれるだけです。ここでいう「らしさ」からの脱出というのは、固定しない、他人の生き方にとらわれない、ということです。」〜
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