自分の仕事のテリトリーを堅持して、わずかでもひろげまいと見張りをすることが癖になっている。
今日は司書の先生が私のところにやってきて、どさっとプリントを置いた。 「印刷しといたから、明日先生方に配って。」 機械的に「はい。わかりました」と言ってから私がその仕事をする必然性の無さに一人悩む。 そのプリントは今日配ってはならない理由もないし、私が配らねばならない理由もない。司書の先生からしてみれば、「私ここまでやったんだからあとやってよね」ってところなんだろう。 「仕事って、こういう風に人にまわすんだなあ」と、先生方のレターケースにプリントを差し入れながらため息をつく。 そういえばこの前も、「きよこ先生のほうがパソコンを打つのが早いから打って」と言われてタイピングをしたっけ。
そして同じ係りをしていながら、ほかからのクレームを全部私の責任のように、門外漢の口ぶりで言えるのはどういうことなんだろう。私にはわからない。
でも、あわよくば私もほかの人にうまく仕事を回したいと思っているのだから、私だって同じ穴の狢。それができるかできないかの違いしかない。
みんな汲々としたせまい囲いの中でちょっとでもいい空気を吸おうとしてもがいているんだ。隣にいる人の苦しみも思いやれないほど自分のことで手一杯なんだ。 そこに属する人々の辛抱と忍従でかろうじて保たれている世界。
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