くまま 読みの日記
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2002年11月30日(土) |
マラソン ビッツの答え 運動! |
水曜日、マラソンを開始した。 いつもの、公園まで、図書館まで、スーパーまで、道のりを走るのではなく、ママは上下ウィンドブレーカーを来こんで、朝食前、ホンの1ブロックを回って帰ってくる。
余裕で走れる距離だけど、止まる、歩く、抱っこをせがむ、「寒い〜、ジャンパー着て来る(着てるっつーの)」 いつもの散歩以上にペースが悪い; それでも、マンションのエントランスで「ゴオ〜〜〜〜ル!」と両手を上げ、「すごいね〜〜、空神、マラソンしてきたね〜〜〜、頑張ったね〜〜〜!」と、大成功の結末。
でも夜はパパに、「空神今日、マラソンでゴールって出来たんだよね!」と言うと、「こうやって!」とコブシを高々と上げる。 成功したような記憶が残ったようなので、とりあえず成功♪
翌日2日目、前日とあまり変わらないが、時間は若干短いかも。 でもそれだけで、進歩とは言えない。
1日空けて、3日目。 今日は大進歩!!!
「ママ、並んで走ろうよ」 と自分から言って来た。
でも、いつもの工事現場でやや引っかかったので、誉められた恩典ではないが、ジュースを使う。 「今日は一番でゴールした人だけが、ジュースを飲めるんだよ!」 「ママ、ジュース飲みたいから、一生懸命頑張ってるの!」
さて、そこからはまさに競争! 途中、おばあさんに工事現場の状況を伝えていた(;)が、それ以外は、よく走った!!
エントランス数メートル前で空神に抜かれてやり、「ご〜〜〜〜〜る!」 「空神、マラソン、一番だったねえ! ママより早くゴールしたね! すごいよね〜〜〜、パパやおばあちゃんにも、教えてあげなくっちゃあ!!」
いつも「ママ、脱がせてよ」とか言う玄関でも、自分で「ママ、靴ピッタリで気持ち良いって言ってるよ〜」 う〜〜〜ん、今日はホントの大成功♪ この調子で、完全にノンストップでペースも乗ってきたら、また距離を延ばそうと思う。
昨日は、私にとって、人生の間で、最高な日の1日だった。 オフ会。 関西の素晴らしい母娘をお迎えして、我が家にて。
素晴らしい運動プログラムの時間を用意してくださり、いつも英語のサークルなどでは端でいじけて帰りたがっている空神が、キャーキャー言いながら一緒に高這いしていたのには、もう大感激 T_T。。。 そりゃあ、自宅だってのもあったろうけど、何しろ、「〜したい」「じゃあ、ベイビー(高這い)でドア触ってきて」と言うと、「ママも」と言い(いつもは「ママが」とかも言う;)、いつもなら這わないで終わってしまうのも、一緒に這うのが本当に楽しそうで、何度も何度も何度もやっていた!
さて、そんなことがあった為か、私は朝、台所に立って、あることへの結論が出た。
私がドーマン法を始めた目的は、ほとんど使われずに終わってしまう人間の脳を、出来るだけ使える脳で、子供を大人にしてあげたかったからだ。
その為の手段として、受け入れることが出来たのがドーマン法だった。
読みに関しては、100%、私の躾の手段となった。 躾るために、手製本を使う。 その為に読みのカードをする。 私の躾には、「読めるようになる、語彙を、言い回しを多く知る」というオマケが付いて来る。 私の読みのプログラムへの迷いは無い。
ところが、実は私には、ビッツへの希望が無かった。 私は、子供を勉強が出来る子になんか、全然したくない。
その為にそう思うことで納得してきたのが、「多方面への興味を広げてやるため」ということ。 浅い知識でも持っていることに関して、人はみな、苦手意識を持たないものだと思う。
うちの子は乗り物が大好きだ。 だからと言って、乗り物のエキスパートにしてやろうとは思わない。 親がそれをやったために、他に色々ある楽しい世界、生物、自然、宇宙、文学、美術、そういった乗り物以外の世界について知る機会が少なかった子供は、本当に可哀相だと思う。
知性あふれる子供は、とても素敵だ。 私もそうは思う。 でも、一つ、このように、と言うのなら、私は自分の子供を「知性あふれる子」ではなく、「優しい子」に育ってほしいと思う。
それは、「自分以外の人、そこに居合わせない人の立場、気持ちが分かる」ということ。
ドーマン法で育てると、「状況判断の出来る子になります。それは、他人の気持ちがわかる、優しい子になる、ということです。」と、ド研究所の方に、私は何度も教えていただいた。 でも、その理由が分からなかった。
どうして、知識を与えるとこで、状況判断が出来たり、他人の立場や気持ちの分かる子になるの?
その疑問に、今朝、突然私なりの答えが出た。
ドーマン法で与える知識とは、事実である。 事実とは、何らかの物や事象である。
鳥と動物と蛙と植物を知っていても、その生態を知らなかったら、もしも「雨」が降った時に、雨を喜ぶなにかと、雨を避けようとするなにかがあることに、気付くことが出来ない。 でも、そのそれぞれに興味が無かったら、その「物」は知っていても、生態や特徴を知ろうということにならない。
同じように、ここに一つの食べ物があったとして、それを作った人、それがここに来るまでに携わった人、何も食べられない人たち、そんな、食べようとしている自分の目の前に居ない、見えない人たちのことも、知らなければ、思いやれない、感謝も出来ない。 でも、たくさんの職種、たくさんの食事情、知識が多ければ多いほど広ければ広いほど、1つの何かの背景にある見えない「何か」を、思うことが出来るだろうと思う。
これはまさに、私の一番の望みではないだろうか?
その為に必要なこと。 それは、たくさんの知識を得ること。 その為の手段は、たくさんの本を読むこと。 その本は、隔たり無く、広く多方面におよぶ内容であること。 それらの本を読みたくなる為には、それらに対する知識を、少しづつでも与えておくこと、つまり、広く、広く、出来るだけ様々な、たくさんの情報を。 これが少しでなくてたくさんなら、それほど素晴らしいことはないじゃない!
ビッツへの答えが出て、且つ、読みと繋がったことは、私にとって、本当に嬉しい。 迷いが無ければ、意欲も増大する!
夜、おばあちゃんちへ行った。 2週間ぶりの舞桜との再開に、2人とも大はしゃぎ。 何しろ、2歳を過ぎて、お互い子供同士でコミュニケーションが取れるようになってからの彼らは、仲がいい・・・というか、結構気が合うらしい。 もちろん、玩具の取り合いなんかもしてるけど ^^;
居間と台所と廊下を、グルッと回って走ってくる「待て待て」が、空神は大好き。 「おじーちゃん、待て待てしようよ、おばーちゃんも」 これは、おじーちゃん達にとって恐怖の言葉; 何子供の追いかけっこと馬鹿にしてはいけない。 例え子供のペースだとしても、何しろ、子供の体力に勝る大人なんて、居やしない。 付き合わされた大人は、息も絶え絶えである;
今日は「ママも」だったので、数週付き合った後、「今度はお馬さんで行こうか!」と、高這いで回った。 空神も喜んで付いて来る。 そこで、おじいちゃんたちの居る、居間のソファーの前にいつものでんぐり返り用の長座布団を敷き、そこで前転、「フィニーシュッ」と両手を上げてポーズを決めたら、また高這い。 いやー、燃えて燃えて、5、6週ノンストップだった。 これは良い運動プログラムになったワ〜〜〜〜♪
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