「仕方ないのよ。だって価値観が違うんだから」と彼女は別れ際に囁(ささや)いた。
自分を納得させるように彼女の視線は、東京ウォーカーで特集されるお洒落なカフェの中でも、彼女のすみれ色のスカートしか存在しないように狭かった。
僕の趣味に対するお金の使い方が尋常じゃないと嘆いて、「月に2万にして」、と妻のように責め立てていたのが数ヶ月前。「まだ結婚していないのだから、自分で稼いでいるのだから」という答えに、「お金の使い方だけじゃないのよ。私を思いやってくれるかどうかなのよ」とため息が入ってきたのが2ヶ月前、晴天の桜散る4月だった。「じゃあ2万にするよ」と直ぐ諦めたけれど、「貯金を月に10万しましょう。年収500万なんだから」と迫ってきたのが、3週間前だった。
その頃から朋美は、マリッジブルーのような、都会の人特有の不安と疲労からくる苛立(いらだ)ちから、30に近づく女性の気狂いが徐々に出てきたのかもしれない。あるいは叱(しか)って欲しかったのかと思ったけれど、毎回のデートは口論に包まれた。まるで彼女の両親の生活をなぞるかのように。
それに耐えられなくなった僕を見て彼女はさらに挑発してきた。それを「価値観の違い」という一言で片付けようとするので、僕はそこに苛立ちを覚えた。
2人の苛立ちは、2人の家庭環境の違いを決定的に浮き出させて、2人を2人にした。
彼女は彼女の植え付けられた家庭を再現するから、私は彼女が益々好きになった。形式を形骸化させる本能こそ人間に備わった最も根本の1つだから、彼女は最も人間らしい1人だと感じたからだ。私は人間だから人間が好きになる。人間だから人間味溢(あふ)れる彼女を好きになった。少女が母親になるのに精神的な自立が必要ないのだから、彼女は人間らしくて雌っぽさも満開だ。だから、彼女を人として、女性として大変好きになった。
僕は別に庶民だ。年収も2億3億を超えないし、総資産だって何百億もない。中流気分のただの下層階級に過ぎない。向上心だって無いし夢に向かって努力なんてしていない。与えられた課題を学校と同じくこなすことに文句を言いながら働いている。節約だってしない。車も買うし、酒も飲むし、雑誌も、ちょっとした日用品や食事も節制しない。だから、全く社会の中の普通の数で言えば大多数の人間に過ぎない。
だから、雄の代表のようなものだ。
だから、彼女が僕は益々好きになった。
だから、何だかんだ言って結婚して、適当に不倫もするかもしれないし、子供も作るんじゃないかな。教育問題で苦労するだろうし、普通に仏教で葬式を出してもらうだろう。
だから、野暮な桜の下で花見をしてドンチャン騒ぎが好きなんだ。
また、来年も朋美と喧嘩しながらでも、花見に行きたいな。
追記:「花」は古代から梅を指し、桜は粗野とされた。
執筆者:藤崎 道雪