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「 シースノーの現世性 」
2004年07月16日(金)



 悲しいことがあるね。ああ、あるね、悲しいこと。
 嬉しいことがあるね。ああ、あるね、嬉しいこと。
 辛いことがあったんだ。苦しいことがあったんだ。
 理不尽なことに遭ったんだ。身を引き裂かれる思いだったんだ。

 垂れ流されていく感情。
 揺蕩(うたゆた)う感情の波に洗われて往くのだろう。
 集積の無い海上の小船は何時の日か自由端に辿り着くのだろうか。
 それとも肉体に穴が、それとも感情に転覆が、それとも不慮の餓死が、それとも慮外の出来事がやってくるのを待たずとも待つのか。
 
 海中に飛び込んで嵐を避けようとすれば、勲章としての珊瑚、莫大な魚群、浮力の生み出す爽快感の裏に、ゴルゴンのステノの魅惑が隠されている。
 遊泳の快楽すら、もたらした浮力が体内の水分と血流を圧迫してくる。
 さらに嵐を避けて潜れば、魯陽の説得が、拘尸那城の永眠が、ゴルゴダの信仰が、バアーシー海峡の義憤が待ち構えては誘ってくる。
 やっと観えてくるのは、最も弱きもの達のシースノーだ。
 民衆に肯定されなければ生き残れない依存体質を持たざるをえない宗教の超越、具体的実験に浸食され信仰としてしか生き残れない哲学の限界、崇高大義の裏に隠された集団切捨て作業を行う政治の此岸、可知の限界が方法と対象の不可分によって規定される知識そのものの涅槃が、死骸たちの無彩色と眼前に現れる。
 2,3秒後には次々と全身を、靄(もや)のようにゆっくりとそして確実に囲み取り巻いていく。
 
 また、荒れ狂う波の上に酸素を取り入れなければ、靄に包み込まれてシースノーの1つの塵になってしまう。
 此処に住み着くことは此岸の肉体では無理なんだね。
 今世だけでなく後世でも来世でも叶えられないんだね。
 現世の矛盾や量子のような確率的存在者であったとしても、不可能なのはありありとしている。
 知識と智恵の加速性が浮力を切り裂いて到達した今今。
 その彼らが、形式主義を放棄しようという形式主義を構築させようとする。
 見事なシースノーの2重性という現世性によって、海中へ引き摺りまわされる。


注記:敢えて注は省きます。

執筆者:藤崎 道雪


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