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「 粛々と轟々の 」
2004年11月04日(木)



 粛々と轟々のじっと
 じっと何も観ていない
 
 何も観ていない、と対象なく観ているという盲目
 盲目との対称が、弁証法的に止揚へと向かい入れてくれるような逃走経路を用意する
 錯覚の小道は安住の相対へと続いているのだから

 金魚が眼を閉じてパクパクな口で泳いでいる。
 GODが、god、サタン、閻魔が、大木ような人差し指の鋭い爪先で、この眼球を優しく抉り出してくれるなら
 金魚は他の五感を鋭くしてこの世に適応していくのだろう

 対象なき対称不可能な観滞
 「神は死んだ。神は死んだ。君らはそれに耐えられるのか」という神への弁証法的極端
 合理への批判と依存というヘーゲル、否定の否定という方法への龍樹、肉体の所作と不完全な無限性へと仏を逆極端化した道元、「怪力乱神を語らず」と眼を自ら抉り取った孔子、神や鬼を実効的に扱って眼を最大限に明けた墨子、「悪の問題」を抱えた字義主義な非正統派、超常性と悪を切り離さなかったアニミズム
 幾つもの対象ある対称可能な観念の款待

 GODが欲しい 創造者が、唯一者が、悪魔が、超常性が、逸脱が、完全が、godでも一柱でも良いのだ
 けれど、彼らは決して私をもう盲信させてくれないのだ
 けだし、彼が、私は彼が

 粛々と轟々のじっと
 じっと何も観ていない


注記:「観滞(かんてい、かんたい) 造語。文意のまま」 「款待(かんたい) 心のこもったもてなし。款の左側は崇を簡略化した字で、呪能の意味を持つので「歓待」ではなく使用。神などを求める人の性(さが)を呪能の意味で隠喩する。」

執筆者:藤崎 道雪

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