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「 お年玉のような 」
2005年01月03日(月)



 その瞬間にだけ、彼女は、彼女自身ではないような表情を浮かべていた。
 ディオニソスに取り付かれた狂乱の顔から、阿弥陀仏の静寂とたゆたう顔へと移り往くその瞬間に。
 露天温泉上がりのほんのりと山の深緑が色づいたような彼女にこそ、彼女の性も業も欲も老も醒も洗い流されたような渾然一体があった。
 
 彼女の首を絞めなくても良かったかもしれない。
 私は彼女に嫉妬しただけだったから。
 彼女の黒髪を押さえつけなくても良かったかもしれない。
 私は彼女になりたかっただけなのだから。
 彼女の人生を抉り出さなくても良かったのかもしれない。
 私は彼女が欲しかったのではなかったのだから。
 彼女の個体性を抹殺しなくても良かったのかもしれない。
 私は彼女の奥底に潜む、そして彼女全体を構築した何かを打ち壊せないのだから。

 その瞬間にだけ、彼女は、彼女自身ではないような表情を浮かべていた。
 ディオニソスに取り付かれた狂乱の顔から、阿弥陀仏の静寂とたゆたう顔へと移り往くその瞬間に。
 露天温泉上がりのほんのりと山の深緑が色づいたような彼女にこそ、彼女の性も業も欲も老も醒も洗い流されたような渾然一体があった。
 
 幸多き晴天の正月三箇日 死者を鎮魂する山中他界 浄土と仏の世界の混合錯覚
 永劫を願う死生観は、個体死を永遠へと願掛けするためなのに。
 その瞬間、彼女は個体死を乗り越え、生物学的な遺伝子の連鎖を飛び越えたようだった。
 
 彼女への嫉妬、他人への関わりそのものが既にインプットされた性でしかない。
 気づきは苦しく、種と個体は常に変化を義務付けられ、完成や完璧の次に新しい課題が付与される。
 その瞬間すら打ち壊す生物学的宿痾(しゅくあ)
 気づかせたのも絶望させたならば、けれどそれによってだけ。
 禅方向の、いや全方向の隘路(あいろ)、それが必ず壊される平路の渾然一体。
 彼女を見通す両目を静かに閉じ、嘔吐し、狂喜し、諦観(ていかん)には決して至らぬ。

 嗚呼、まただ。
 嗚呼、また繰り返す。
 ループを一周すれば、一蹴しても御褒美の潜り輪が。

執筆者:藤崎 道雪

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