ものかき部

MAILBBS

「 花弁の大河 」
2005年04月04日(月)



 耽溺。耽溺こそがその感覚に相応しい言葉なのか。
 狂乱。狂乱こそがその行為に対応した形容なのか。
 投棄。投棄こそがその事象に応対した語彙なのか。
 奇蹟。奇蹟こそがその深甚に合一した用法なのか。

 八万四千の流派が伝達する知識と、智慧を不立文字とする1つの別派。
 超常現象を不立口頭とした諸子の第一位と、抹殺され順位外まで落ち込んだ功利主義者。
 排一神的字義主義者の悩む「悪の問題」と、神秘主義者すらも包摂する「善の問題」。

 幾万通りの言葉の、形容の、語彙の、用法の奥底で実存性を与える、その感覚。
 その感覚。
 まさに、その感覚。
 与えられた機能、による感覚。

 永遠の命が欲しい、11次元を観たい、精神のみの認識が欲しい。
 欲しい、欲しい、欲しい、のだ。
 永遠の命がないゆえに、4次元から飛び出せないがゆえに、物質によって司られているがゆえに。
 大いなる、巨大な、膨大な、気絶しそうな矛盾ではない。
 それすらもまた1つの、そう与えられた機能、による感覚の1つに過ぎないのだ。

 春暖かく柔らかい日差しが花に入り、白肌に薄桃がほだされるように。
 連れられるように新緑が枝葉や水面などに鮮やかに咲き乱れ、じきに薄桃色に儚さを与えるように。

執筆者:藤崎 道雪

BACK INDEX NEXT

複製、無断転載、二次配布等を禁じます。
All Rights Reserved©ものかき部

My追加