強すぎる性的衝動がこの日常世界を破壊しつくし、再構築しろとせがむ。
胸倉(むなぐら)に豪壮な太陽を放り込み、四肢の赤き血潮を滾(たぎ)らせてコントロールを奪い、脳までも湯豆腐を投げつけたように犯すのだ。
それはこの肉体の前にある異性の死肉だけに反応するのだ。
天使などもこの肉体の前の偶像化にすぎないのだから、この日常世界を瓦解させようとする。
安寧の世界などありはしない。
彼女だ! 彼女だ! 目の前の彼女だ! 目の前のものなのだ! 目の前の死肉なのだ!
決して決して、抽象的な美そのものではない。決して決して内臓やその中の便や脳ではない。
ただの、皮や筋肉や骨格や脂肪やそれらの動きだけなのだ。
10年で何とも醜く悍(おぞま)しく朽ち果てていく死肉でしかないのだ。
そのためだけにこの永遠の真理を内包した世界を破壊尽くそうと、この肉体の持つ充満したエネルギーすらも全て全滅させようとするのだ。
それで良いのだ、と祈れ。あかんかった、と縋(すが)れ。哀しいよ、と歩き出せ。それだけなのだ、と取り込め。
安寧の世界などありはしない。
彼女だ! 彼女だ! 目の前の彼女だ! 目の前のものなのだ! 目の前の死肉なのだ!
決して決して、抽象的な美そのものではない。決して決して内臓やその中の便や脳ではない。
ただの、皮や筋肉や骨格や脂肪やそれらの動きだけなのだ。
観えてくるのは永劫に広がる性(さが)の世界と、永遠の種の営みと、懺悔と後悔と肯定と衝動と感情と個体の高度化とそれらの結合だ。
そして最深部に現れ出す、過ぎ去った数々の死肉とそれらへの衝動の残滓(ざんし)が。
私は彼女を愛している。
最も一般的な意味においても、最も根底的な部分においても、自らの信条を裏切っている点でも、自らの肉体の形骸化に足を捕られている点でも、愛している。
そうだ、私は彼女を愛している。
追記:原題は「私は彼女を愛している」です。ものかき部 2003年05月15日(木)「夕祭り街」を参照して下さい。
執筆者:藤崎 道雪