肉体を向かい合わせて、後頭部を大きなゆっくり撫でる
プライベートスペースに入り、低い声でボソボソと眼を時々見つめる
相手の趣味趣向を効率抜きで全力で肯定する
出生の大切な思い出へと情緒をただただ注ぎ込む
肉体による全肯定、精神による全肯定
青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光
一生忘れず年老いてから想い浸って涙を毎日流せるほど
一生忘れず年老いるまで思い煩って肉を苦役へ流し込めるほど
ではどうして全肯定をわれわれは求めるのだろうか
動物行動学から観た生物学的衝動という解答
本能を先験論的に観た神学的論拠という回答
はたまたアリストテレスの個と種を取り忘れた解説へと押し流すか
ではどうして全肯定をわれわれは求めるのだろうか
どうして幻想へと結び付けたがるのか
結婚 金銭 権力 血縁 子孫 神学 教団 組織 家族
どうしてそれらの幻想にわれわれはこの生命を選択して投機するのであろうか
どうしてそれらの幻想にわれわれはこの生命を選択せず投棄せずにあるのだろうか
解答も回答も解説も、どうしてもまだ
どうしてもまだ
注記:「青色青光(しょうしきしょうこう) 黄色黄光(おうしきおうこう) 赤色赤光(しゃくしきしゃっこう) 白色白光(びゃくしきびゃくこう)」は『阿弥陀経』より
極楽世界の情景 大きな蓮があり、青色の蓮からは青い色が、黄色の蓮からは黄色の光が・・・の意味。単一基準による偏差化ではなく全肯定の現われと読んだ。
後の神学に続き、教団、組織へと全肯定が変化するきっかけと考えた。これが次の「(教団、組織を)選択して」へ繋がる。全肯定の個別から出発して抽象化、社会化への広がりを指している。