娘が殺された、とニュースで流れた
三人称の死が肉親の死に置き換わったら、世間の関心を装う歓心から狂乱の寒心になるのだろう
娘との過去を想い出し、想い出してはより寒々しく、氷突き刺すような吹雪が吹き荒れるだろう
手は悴み、心は塊り、字は破れ、涙は嗄れる
ただ、それだけのこと
娘との過去は自我の消去だけのこと
己の肉体の死による自我の崩壊という地平で眺めたのなら、幾何があろうか
こうして書いている私は、娘の殺害で気が狂うだろうか
ロシア風に晒されて、世間の寒心に曝されて、私はどのようにするだろうか
心乱れ、想像を絶する地平にこそ、絶対的自我への潜戸がある
しかし、その先に進むことは叶わない
潜っては、必ず引き戻されるのだ
私の自我の出発点である肉体が、私の心を摑み、そして両足を引きずり戻すのである
眠気という肉体が睡眠へと
空腹という肉体がイラつきへと
停止という肉体が永久の無へと
無を有と関連づけ、虚無と比較し、超越したかに奢り高ぶった禅的自我さえも引きずり戻すのである
娘の死がどれほどであろうか