今回の入院で 私はいっそう老後ということを考えさせられた 自分のことが自分でできるうちはいい でも 綾小路公麿 ではないが 老いはもれなく付いてくるのだ 同じ 病室に88歳の人がおられた 骨粗しょう症による 圧迫骨折で12月12日から入院されている だから お正月も病院で過ごされた 子どもさんが3人おられるようだが (ご主人も早くに亡くされている) 私が入院していた10日間の間にどの子どもさんのお見舞いもなかった もう一人 お正月を病院で過ごされた方がいて その方の話でも一度も誰のお見舞いもなかったようだ 人様の家庭のことだし どんな事情があるのかも何も知らない その おばあちゃんは だからと言って愚痴のひとつも言うわけでもなく 自分の洗濯物は病院のコインランドリーで洗っておられた ある日 私がリハビリに行きましょうと お誘いしたら 今日はちょっと外出いたします と言われる 寒いのに どちらへ? とお尋ねしたら 市役所へ 介護認定とホームのことを聞きに行ってきます と言われた 要するに 自分のことは自分でされているということ そのおばあちゃんは 目も悪いらしくて障害者手帳を持っておられた 今の行政だと ヘルパーさんとか民生委員の方たちに相談もできるだろうに わざわざ不自由な身体で自分から出かけていかなくてもいいだろうにと思った そして その外出の帰りに同室の私たちにお土産も買ってこられた (相部屋だと お見舞いでお菓子などの頂き物があればおすそ分けをする) そのおばあちゃんには お見舞いがないので気にしておられたのだろう
人間が生きていくのに自分のことは自分でするのが当たり前だ だが 時として人はこのような場合 子どもを頼りにしがちだ そのこと自体 非難されることでもないが 子どもにしたって 相談されたいと思っている場合もあるだろう でも だんだんと少子化になっているわけだし 残念なことだが 子どもに恵まれなかった方もおられる
私もそのおばあちゃんに見習って 淡々と生きていきたい (でも 心のなかは 自分だけのもの・・) 最近は自分の子どもに迷惑をかけたくない という人も多いけれど 決して 忘れることなく 精神的に自立していたい
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