土方聖架の日記

2002年11月29日(金) テニプリの副産物

の前に原稿近況。
ペン入れと人物ベタを残すところあと3枚です。この段階までは完成させたかったんだが、早朝頑張ったんだが、苦手な消しゴムかけに嫌に時間と手間を取られてこの有様です。あう。この3枚のちこちこっとしたベタと同時進行でスキャニング作業に入り、あわよくば基本のトーン処理まで済ましたいところですが、枚数が枚数なので土曜日までかかるような気がする。で、土曜の残りと日曜日で表紙を上げるのが目標ッ。

・・・と宣言してれば、結構実現できる自分に気がついてきたので(笑)。ガンバル。

んで日記表題。

私は今後相当な確率でもうテニプリの話題を出すことはないと思われます。
私はホントに見放すと『その固有名詞を言うのもたいぎい(=疲れる・面倒くさい)状態になります。(ちなみにこの事例に至ったのはこれで二例目で一例目は峰●か●や。三例目が現れないことを祈る。)今週のジャンプのアレが時が経てば時が経つほど不愉快度が増してしまって。ただでさえ「これは感動する所なんですか桃城」とか「桜乃ちゃんが出ない・・・出ても意味も意義もない・・・」で疑問と寂寥うずまく近況だったので。まあそんなカンジなんですが。

実は一個だけ収穫ありました。

『純粋な毒』『純粋な疑問』を織り交ぜていたが故に『ナルト』と『テニプリ』を同列に並べていた私。その毒と疑問を区別する術が今回で何となく分かり、結果。

ものすごい純粋に『ナルト』を楽しめるようになっている自分に気がついた(笑)

いやだってナルトは「ここをちょっとこうなってたら」とか「それはちょっと早いッ」とかそんな感じで単にヘボいだけで(死)、キャラとか雰囲気は好きだったから。だからこそヘボいのが残念でギャーギャー言ってたわけですが。でも何故かテニプリ事件の後だと、何かそのヘボさまでが結構愛しくなってきたのはどういうことだ?(笑)いやマジで。なんかヘボいの前提で楽しんで心で加工する術が、何か感覚的に今わかる。今なら借りっぱなしのナルト単行本と同人誌が楽しく読める(確信)。なんてこった。

あ、でもナルトにはハマリません。ハマれないのではなくハマりません。
さすがに今まで毒吐きすぎました。タケコプターを入手したにはしましたが私にはナルト大陸に行く資格はないでしょう。暇もないんだが(笑)。
でももう対岸から眺めても寂しくないや。楽しいや。いいことだ。
まあ実は消しゴムかけしながら見たアニメで不覚にもカカシのビジュアルにときめいたのも大きいんだが。(笑)

しかしこの「ヘボくても愛しいけどヘボい、けど愛しい」状態って何かデジャヴあるなと思ったら何のことはない『デジモンテイマーズ』でした(笑)。デジモンがすぐに受け入れられてナルトが出来なかったのは、過去『妖刀伝』と『忍たま乱太郎』にハマっていたために『忍者』に対するこだわりが並じゃなかったせいじゃないかと思います。


そんな現金な私の今週の格言。
『死して屍拾う者あり』(何じゃそりゃ)



テニプリは桜乃ちゃんがせめてナルトのサクラ位の出番と意義を今後持ってくれるのなら見直さんでもないですがまず無理でしょう。(きっぱり)


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