感想兼日記
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片想いをしているみたいに、毎日ああでもない、こうでもないと考えているんだけれど、言いたいことはなかなかうまくまとまらないなー。 えーっと、まとめる努力をしてみよう。
ネット上の、終局の感想もほぼ出揃った感じ。 賛否両論、もちろん。それだけ読者層の幅が広く、厚くあったのだと、「ヒカルの碁」はたくさんの人に愛されてるんだなあ、と再確認してうれしい。
終局に納得いかない方々もおられるようだけれど、以下その点に関して個人的仮説。…考察、かな。
一つ、打ち切り説 ないない。 分かり易い根拠はアンケート。
一つ、突然の終局について。 見かけ突然だけれど、それもほった先生の手の内。 作中、佐為の消えた五月五日。かたやジャンプ発売日は五月五日を目前にひかえたGW合併号。狙ってたと思う。 佐為が消えたのが、ヒカルにとって突然だったように。
途中の「作者取材の為休載」、は小畑先生の体調かと思ってたが、ネットで見た風聞の中に、ネーム直しの為の休載、と言われてるのがあった。その辺は不明。
一つ、回収されていない伏線が多い。 それは、利かした捨て石。はじめから回収するつもりが無かったかもしれない。
一つ、物語として北斗杯は破綻している。 ‘起承転結’の構成ではなくて、‘序破急’の展開、と考えればぴたっと収まってると思う。
一つ、ヒカルの碁は、当初佐為編のみの予定だった。 違います。北斗杯の方が、ほった先生の神髄、と感じてます。 根拠は、最初の題名が「九つの星」だった、との事から。情報ソースは麻弥さんのサイト、Books by 麻弥のヒカルの碁感想の記述中。 葉瀬中でも団体戦はあったけれど、むしろ北斗杯を象徴する題名だと思う。
最初から「北斗杯編」のペースでやっちゃうと読者が置いてかれちゃうので、「佐為編」でまず丁寧な指導碁。アキラとヒカルの出会いの一局みたいな。 読者が慣れてきたところで「北斗杯編」、ほった先生、本気の一局。こっちも例えてみるならば、ネットで病室の行洋先生が佐為と打った一局。 佐為が、自らの存在意義に一つの答えを見出したそれ。
…ちょっと穿ち過ぎかもしれないけれど、ほった先生の一番初めの着想は、北斗杯のような一編だったのではないかと。 それを少年誌のセオリーに合わせて、主人公を決めて、彼の成長物語にした、と。
佐為編成功を受けて、初めて「北斗杯編」は世に出たのではないかな。 着想は元々あって、輪郭がはっきりしてきたのが「佐為編」の中盤あたりで。 五月五日にヒカルは半目で、韓国高峰永夏に敗れる、という終局図がほった先生の中で固まってはじめて、ほった先生自身、北斗杯編にゴーサインを出したんではないかと考えた。
途中エピソードの改変はあったにしても、北斗杯のエンディングこそが、作家であるほった先生の真骨頂と言えると思う。
………以上、私見なんだけれども。わたしとしては当たらずとも遠からず、と思ってるんだけどなー。
22:27 追記
…熱く語っております。しかも我田引水だし。苦。 アレです。楊海さんに「アツイなーー」とか言われそうです。ってか言ってもらいたいですv <………。
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