僕は禿げる。(中略)それでも歌を聴いてくれますか?
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| 2002年12月28日(土) |
「服部」と孔雀の羽根 |
「発情」と言う言葉は変な言葉だ。ほとんどの動物には「情」はないはずなのに、サカリのついた時期を「発情期」と呼んだりする。「発情している人」と聞けば確実に「情」より「性欲」が先に立っているイメージのはずなのに、なぜだろう。ただ、「人情」と呼ぶということはヒト意外にも「情」があるという意味だろうか?元々「情」という言葉は突き動かす本能というような意味を持ってるのかも知れない。
数年前僕が勤めていたある店に若い上司がいた。彼は18歳で僕らの隣の部署のリーダーで、職歴の長さと人不足でリーダーになったようだった。彼は自分よりも年上の部下たちに理解のある上司っぷりを発揮して、ある程度の失敗やサボりは見逃してあげていた。
彼は僕らの部署の年上の女の子に少なからず好意をもっているようで、度々遊びに来ては色々話しかけ、適当にあしらわれていた。彼は大人に見られたいのか、「上に認められてナンボでしょう。僕は要領がいい。認めさせるのが上手い!」 というような事を何度も何度も口にしていた。それが大変幼く見え、孔雀の羽根はまだ生えそろってない様に見えた。そしていつも「男は恋の前で等身大だ。実に幼い!」とおじさんは思ってしまうのだった。
これだけ恋の曲を描いているのだ。女性が嫌いな訳がない。今なお思い通りにはいかないが、「恋歴」の長さが違うのである。坊やには悪いが、世の中に情緒が乏しくなった今でも、恋はそんなに直接的な物ではない。ユニコーンの曲に「服部」という曲があったと思う。大変有名な曲のようで、年を取った男が若いやつの恋に「大人の恋にはキャリアが必要」と説くような曲だったと思うが、僕はその若い彼を見るといつもその曲を心の中で知っているところだけ口ずさみ、借り物だらけだがこうつぶやいたのだった。 「坊や、女性に野暮な売込みしちゃいけないよ。飛べない豚はただの豚であるように、ロマンのない売り込みはただの発情期だ…」
僕の孔雀の羽根は「歌」なのかも知れない。回りくどい発情…。今日も発情してきます。
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