僕は禿げる。(中略)それでも歌を聴いてくれますか?
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| 2003年01月27日(月) |
勘違い 2(肥後もっこす) |
前回からの続きです。 ある人に「前回言いたかったことは要するに『客観視』についてだろう」というメールを頂きました。ありがとうございます。大きい意味でそうだと思います。
ケミカルウォッシュのニューヨーカーも、ヤンキー夫婦も、ストッキングデニム女性もみんなある程度の客観視と世間とのリンクを保つ事ができていれば起きなかった悲劇(?)かも知れません。自分にそれが似合うのか?世間はどう見るのか?世間はどう動いているのか?世間を追うことが目的になってないか?もっともっとみんなが意識すれば世の中は良くなっていくと思うのです。僕は今回こんな事を本当に書きたいのでしょうか。違う気がします。じゃあ何を書きたいんだろう。
思い出した気配がします。でもきっとまとまらない事でしょう。このテーマに対し、僕は見事なまでに無力でした。いつも無力ですが、今回は特にそれを感じます。
見た目の勘違いをする人と別に自意識過剰な人がいます。この方々は暗い夜道で僕が偶然後ろを歩いていると一目散に駆け出したりします。よくある事です。成人式に騒ぐ子供らもこの部類かもしれません。「注目を浴びたいのなら何か芸事をやりなさいっ!」と有無を言わせず「僕が歌うようになってある程度の人数のお客さんがライブに来てくれるようになるまでの長くも険しい(?)「塩かけ御飯の日々」についての説教を椅子に縛り付けて聴かせたほうが良いでしょう。自分が注目される権利を元々持っていると勘違いしているのなら、それは天才か大馬鹿だからです。
彼ら彼女らは世界を表す文章の総ての主語が「自分」なのかもしれません。きっと小さい頃にかまわれすぎたのではないかと勝手に思います。もしかしたら幼児の頃は抱き癖がついていたかも知れません。ちょっとでも泣いたら「乳母(うば)」が来て、「べろべろ」と言い続けたことでしょう。「べろべろ」と言いすぎてその「乳母」が死んだら、労災はおりるのでしょうか。大変心配です。
電車の中で独りで転んで何の関係もない会社員のおじさんに舌打ちをしたおばさんがいました。照れ隠しとかそんな表情ではなく、「なにすんのよ!」な顔でした。居酒屋で、僕が置いていた荷物の上に荷物を置き、帰る段になって自分の荷物を取ろうとすると「俺の荷物に何するんだ!?」と言うような顔で荷物を引き寄せた若者がいました。隣りにいた女性が「この人の荷物が下にあるんだよ。しっかりしてよ!」と言ってくれて事なきを得ましたが、その気遣いに、僕はこの女性と人生を共にしようと思いました。運命という物は残酷で、僕らはもう一件飲みに行かなければなりませんでした。彼女にはそこで飲む仲間がいます。気持ちは通じ合っているのにすれ違う二人…。切ないです。 僕の妄想(彼女と気持ちが通じ合ったという事実はなかった事が証明されています)はさておき、こういった被害妄想というのも性質が悪いですね。「馬鹿にされた気がした」と言って殺人を犯す人もちらほらいらっしゃいます。そんな主観で毎回殺されたらたまったもんじゃありません。「國賊だと思うから『天誅』と叫んで斬り殺す」というのと一緒です。その位思い込みが強いのなら「殺した」と思い込めば良いのにと思います。「あいつは俺が殺した。なのにあいつはまだそこにいる。ぎゃああ」と、いずれにせよお狂いになるんでしょう。
このように、外界からのインプットが壊れた方は心のIPアドレスが「169…」ですので、オフライン作業であたかも接続している様に表示されてますが、初めて表示するリンクに飛ぶことは出来ません(最近覚えた言葉の羅列)。 おっと、これも外界との相対性を欠く表現だっ!というか、この連載自体が勘違いじゃないんだろうか?心配になってきた!
そして僕は問うのです。
「ねえ、僕って勘違いしてないよね?」
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