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僕は禿げる。(中略)それでも歌を聴いてくれますか?
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2003年03月04日(火) ありえない(肥後もっこす東京支部)


 「ありえない」という言葉が若者の間で流行り始めて随分経つ。実際良く耳にするし、別段不愉快ではないのだが、何もかもに「ありえない」とばかり言っている者を見かけた時にはさすがに気の毒に思った。ありえなくないことも「ありえない」と言うので面白くなって「俺はお母さんから生まれた」とか「俺右利き」とかさも珍しい事の様に言ってみたりしてからかった。条件反射の様に重ねられるその音にはもはや「ありえない」という言葉の持つ本来の意味はなかった。

 日本人が積み重ねてきた美しい言葉の流れは今の親の世代でせき止められたのだろうか。若者は会話の中で反応の速さやノリばかり求められるせいもあってか短絡的な言葉が幅を利かせて来た。伝統を捨て、過去も誇りも否定したこの国の一部の者は、言葉までリセットしてしまった様だ。少なくとも一般の生活で美しい言葉に出会う事は少ない。最後の頼りの教育はどこまで行き届いているのか、若者はまだ徒然草や今昔物語、枕草子の始まりを諳んじて言えたりするのだろうかと心配になる。

 「ありえない」と同じくらいに耳にするが、流行りというにはオーソドックス過ぎる言葉がある。それは「クソ」で、本当に色々な人が使うのを耳にする。「あいつはクソだ」とか「クソな〜」という様に暗喩的にまたは形容詞的に使われる。少なくとも三年前にはここまで多く聞かなかった言葉なので、やはり一種の流行りなのだと思うが、一刀両断「クソ」といわれるとすっきりする気持ちと「クソ」と言われた対象に対して気の毒に思う気持ちが入り乱れる。

 「価値のないもの」という意味でも「臭い物」という意味でも「クソ」はあまり的確な言葉とは言えない。しかし、この言葉のすごい所はそれを発する人間の対象に対する悪意のみを恐ろしくダイレクトに伝える力を持っている所だろう。その悪意を誤解や解釈の違いを介入させる事無く伝えるこの言葉は、実は言葉の負う一番目の役目を百パーセントまっとうしているのかも知れない。

 「ありえない」と「クソ」。この二つの言葉が意味以外に伝える物は正反対だ。かたや流行りやノリを共有する事を目的とした曖昧な言葉、かたや贅肉を削ぎ落とした感情を極めて単純にダイレクトに伝える言葉。二つとも積み重ねた日本の言葉の美とは無縁で動いている流行りだし、過去とはある程度切り離されて形成されたはずだ。

 日本の言葉の歴史が止まったとしたら、新たにここから始まるのかもしれない。
しかし、今自分たちが美しいと思っている言葉の歴史のルーツが、「ありえない」や「クソ」の様な言葉だったら…。

 ありえない

  …こともない   か?




某日記サイトの投票ボタンらしいです。怪しくないです。