僕は禿げる。(中略)それでも歌を聴いてくれますか?
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2003年07月15日(火) 教育



 「親」と呼ばれる方々は子のために死ねるんでしょうか。自分の子が罪を犯すのを命を懸けて止める事ができるんでしょうか。僕の父は「お前を殺して俺も死ぬ」と言いました。昔の親にはそういう感覚を持った人が多かったそうです。そんな感覚がないままどこか人任せの関係で便利に子を育てられる事とこんな気違いじみた事件が多発する事は無関係でしょうか。

 僕が中学高校位の頃、世間では「管理教育」という物が問題になっていました。厳しい校則にたてつく中学生というのが正しい物として扱われていた時代です。「ぼくらの七日間戦争」なんて馬鹿げた映画が作られたりして、僕も先生と討論したりしてました。時代が変わって管理教育なんて全く聞かなくなり、ちょっと前までは学級崩壊という逆の問題がメディアを騒がせてました。学級崩壊が親のせいだとなぜもっと声高に言わないんでしょう。




 日教組がゆとり教育を推し進め、偏差値が廃止されて円周率は「約3」とやらになって日能研が怒って、子供の情緒はどう変わったんでしょう。こんなところを変えてゆとりが出るという発想自体がすでに教育者をやるべきでない気がします。僕はこれは「金八」の与えた妄想の罪だと思っています。教育者は何かできるという感覚は妄想だからです。「親はなくとも子は育つ」は嘘です。それでも頑張って一人前になった人はいるでしょうが必ず「親代わり」がいるはずです。その親代わりに教員はなれません。問題は詰め込み教育なんかにはなかったんです。家庭に、親にあったんです。




 子供をどうにかできるのは数字で表せない密な関係を持った「親」だけだからです。例えば人の話を聞くフォーマットをある時期までに作れなかった子はインプットが壊れてるんですからその後いじっても何も変わらないでしょう。これはある種の障害です。先天的な障害を持っていらっしゃる方と同じ様な訓練が必要でしょう。先天的な障害は親の罪ではない場合も多いですが、この場合は明らかに親の罪です。



 僕には「親を市中引き回しにするべき」という発言のどこが悪いのかが語られない事が不愉快です。この発言の一番の問題は残虐刑を禁止している日本の法に触れる部分で、「親を罰する」という発想に関しては理にかなっている部分もあるし何も間違ってはいないんです。政治家なら発言する内容に馬鹿な誇張や考えなしの装飾をつける事がその考え方を広めるのに不利である事位は見極めて頂きたいとは思いますが、これで世が親の責任に注目する結果になればあの人も少しは役に立ったという事でしょう。


 子供に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれたらどう答えるかという話が色々な所で出ますが、僕はこれは答えてはいけない問題だと思います。なぜならこれは大人が子供と長い間付き合って雰囲気で感じ取らせるべき内容だからです。もちろん「罰せられるから」でもなければ「自分がやられたら嫌な事は人にもしてはいけないから」でもないんです。何でも言葉で伝わるというお手軽妄想は極めて危険だと思います。伝えるのには素晴らしい表現や分かりやすい図解ではなく、手間と時間がかかるはずです。それがレトルトをレンジでチンして洗濯機に入れたら乾いて出てきて人を呪う事さえ代行してくれる人がいるお手軽な時代に慣れた僕らには難しいんです。





 教育はお手軽ではいけないんです。教育は人間ではない物人間にする作業だからです。どこかをはしょったら人間の様な物ができます。


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