僕は禿げる。(中略)それでも歌を聴いてくれますか?
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お疲れ様です。��(高)山です。昨日は五反田から自転車で山手通りを通って青梅街道を通って高円寺まで行きました。排気ガスがひどかったけど、自転車便の人と闘って、凄い太ももの人をやっつけました。肺から血の味がしましたw。喉が痛くなったけど楽しかったです。
さて、音楽をやってる人の日記じゃない感じですが、ごめんなさい。また子供の自殺の話です。今回の自殺事件で報道されている内容はすごくいびつに思えてならないんです。
今回のケース、先生がろくでなしなのはよくわかりました。責任を転嫁しようとしている校長も卑劣です。みんながそれを責めています。当然です。おそらく先生側から自殺者が出るんじゃないでしょうか。自殺者が出ることでぼくら国民は公開処刑的な納得を得るでしょう。おそらくそこで今回のニュースは飽きられて終わる気がしています。心配です。
ただ、忘れないで欲しいのは、子供たちは自分が死ぬことを「大人を困らせる方法」「まわりに大切にしてもらえる方法」だと知っています。子供の自殺はそれを利用したテロだと考えるべきだということです。
今回のケースは子供の置かれていた状況、教員をつるし上げるべき事と、このテロを別にして考えないと、子供たちはテロが効果的な方法だと再度認識してしまいます。このままでは予備軍は次々にテロ行為を連鎖させます。教師は悪いですが、教師を責めてもこの問題は絶対に解決しないんです。そして教師が自殺して事件が終焉を迎える事で、さらに報復テロまでもが「効果」を証明してしまいます。
「テロに屈しない」「テロリストの要求は飲まない」というのは先進国家の基本姿勢ですよね。子供たちの主張を汲み取る努力をしていくのはもちろんです。しかし、僕ら大人は「方法として卑劣である」ともっと子供にわからせなければいけません。「馬鹿なことをした」と親は言わなければいけません。
幼稚なテロリストたちを、僕らは抱きしめることができるんでしょうか。
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