Crstal Tear
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2005年10月27日(木) 今日の臨床心理的「認治療法」

今日は通院日
行ってそぅそぅに認治療法開始ぃ。


今日は「いっぱいお話しましょう」と言われたので
いっぱい話してきました。
話し過ぎて治療時間の1時間を越えちゃった(汗)


★苛められた当時
★卒業当時
★16歳〜18歳
★成人式
★電話
★友達というもの
★人間関係
★高校
★登校拒否になる前

今思い出しただけでも↑の事を話してる。
しかも繰り返し話してる事もありなのに
また聞いては、解釈をしてくれる。

特に今日は「友達」という事に関して
深く追求していった。

自分の中にある「人間不信」
何時まで経っても、人と接する事に怯える自分。
1線を越えないようにしている自分。


もし同級生から「逢ってお茶でもしよう」って言われて
同級生と会った時、その時は何をする?何を話す?って聞かれました。

私はちょっと考えてしまいました。

そして私は「相手の質問には答える、相手の話しを聞く」って答えました。
そう私は受身で居る事に徹するということが答えでした。

何故なのかそれを考えると
私はきっと愚痴や嫌味、憎しみを言ってしまうから。


「なら逢わない方がお互い良いんじゃない?」って言われました。
…今までそんな理由で逢わないなんて考えなかった。

逢っても自分の言いたい事を言えないなら
逢っても自分の言いたい事を言ったなら
そぅどっちにしても私は自分を苦しめるだろう。

なら逢わない方が良いんじゃないだろうか。
そういう解釈へ私の感情を持って行ったのだ。

そこには根拠があった。
根拠のない考えではなかった。

何故「逢わない」という選択で合っているのか、
これはあくまでも私の場合で、
私には同級生に対しての感情が2つ存在する、
逢って楽ししたいって思う心と
逢わない、憎い、裏切り者、と思う心
その2つが自分自身に葛藤を生み、自分で悩み事を作っている。

「逢わない」という結論に対しての解釈の仕方。
それが私の場合、「認知の歪み」によって上手く切りぬける考えを
生み出せずにいる、それをカウンセリングによって考え直すのだ。


だから絶対に逢わないと言う結論ではない。
自分の中にある「同級生」に対しての考え方を
もっと自分が楽に考えれるようにするための解釈なのだ。
そして今の私には↑のような答えが生きやすさの考えだと思う。


まっ↑は今日の治療のほんの一部分ですが…
書くの下手だ…反省

で今日からすることぉぉ…はと言うと。

「今ドラマ何見てる?」って聞かれて
「うーんブラザー・ビート」とかって答えたら
「じゃぁ私もそれを見るから、そのドラマを見て
「良い考えとか、その考えは自分と違うとか
「何か気になった言葉を、感想でもメモでも良いから
「チェックしてみよう」って事になった。

面白い治療方法だ。

映画見ても、音楽聞いても、同感と感じる事
いやそれは違うと思うことから自分の考える
人生観のようなものをみるのだろうか…
まっ答えは次回の治療でわかるだろう。

私は感想とかネットで書くぐらいなので
別に苦痛じゃないし、何なら人に知ってもらえるの!なんて
嬉しかったりするぐらいなのでこの宿題は大丈夫!!


そしてわざわざそのドラマを見てくれる臨床心理士さん。
この人すげーありがてぇとか思った。


でも正直「不安」なんてそんな簡単には去らない。
そんなの当たり前ってな具合で、ちゃんとそれも分かってくれている。

長い期間が経ったぶん、長い期間がかかるだろう。
その期間をめげずに進めるように頑張りたい。



明日もちとこの関連のこと書く…かも。
最近書くことが無くってさ(汗)


その後ちゃんと診察もしまして、ご丁寧に。
ホント有り難うございます(感謝)


それから帰りにレンタル屋に返却しに行き
またレンタルしてきました。



arika |MAIL

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