2003年05月02日(金) |
読み返すメールについて、個人的な見解 |
パソコンメール、ケータイメールどちらであっても。 どんなに簡単なメールでも。 どんなに内容の濃い、メールでも。
かなり昔、パソコンでメールを頻繁にしてる人がいた。 そのメール。
へこんだときとか 落ち込んでるときとか、そういうときに見たりすることが多かった。 それで、自分に言い聞かせてた。 前向きになるためによく見てた。読み返してた。
その人との関係がうまく行かなくなっても そのメールは大切にしてて、ときどきは読み返してた。
それも今となっては読み返さない。
友達からもらったメール。 励みになる言葉が書いてあるメール。 保護してあるメール。 それらはやっぱりへこんだときとかに読み返す。
そして、元気をもらう。
好きだった人のメール。 保護してあるメールはもちろん、今でもときどき読み返す。 ほとんど保護はなくなってるけど、 それでもときどきは読み返す。 そして思い出に浸る。
元恋人のメール。 保護してあったメール全て保護を解除したため、 もう、ほとんどメールが残っていない。 保護のしなかったたわいもないメールの内容。 愛が足りないとかなんとかいってた(笑)メールも 今見ればそんなことはないかもしれないと気付いたりする。 そしてやっぱり思い出に浸る。
これらメールを読み返す最大の目的は
「元気をもらう」
「思い出に浸る」
のどちらか。あたしの場合はどちらかだ。
思い出に浸って元気になるときもあるし、 元気をもらって、あ、そういえば。。って思い出に浸るときもある。
ケータイの場合、 送信のメールはそんなに昔のは残ってないから 自分がどんなメールを送ったのかわからない。 だからどうしてこういった内容の受信メールがきたのかわからないし、 どうして保護してあるのかもわからない。
保護するのは きっと読み返すであろうメール。 あるいは、忘れたくない思い出がつまったメールである。
その保護を解除することは もう、その思い出を忘れてしまってもいいと思ったからである?
でも、実際、 保護してあるメールよりも保護してないなんてことないメールの方が とってもとっても意味があってとっても大切だってときもある。
そういったメールを読み返してそのときの状況を思い出すことは なんだかとってもいい思い出を思い出すことのような気もする。 特別でもなんでもないとき。 その自然さがいいのかもしれない。
ケータイ、パソコン、 どちらに対してもメールを読み返すという行為がしたいときは 心のどっかが淋しかったり、切なかったりしてるとき。 その寂しさや切なさを埋めたくてメールを見るのか? それとも、さらに淋しくしたり、切なくしたりするためなのか? それはあたしにもわからない。
読み返さずにはいられないのは メールじゃなくて 思い出だったりするんじゃないかな。
思い出さずにはいられない。
だってそうでしょう?
現実が楽しければ 思い出に浸る余裕なんてないし、 思い出す余裕だってないはず。
そして読み返すメールというのは ほとんどの場合、恋愛がらみだから。
その恋愛がらみを思い出したくなるというのは 今の生活、主に恋愛に関して面白くもなんともないってのがあるんだな。
というか、面白いも何も、 恋愛をしていないという状況が 恋愛をしていた自分というのを思い出したくなる要因になってる。
くそぅ。
いい出会いないかなー。。(泣)
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