黒武日記
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 おまえの胸毛の数だけ愛してる(第356821回最終話)
2003年05月01日(木)

 あー・・・何かこうかねえ・・・今日何となくテレビを見てたらさー、「テニスの王子様」がやってた・・・。此間大学の知人にあつく「桃×リョ」を語られたけど、あまり意味のない回だったようで、髪型が「外はね」の人と「説明できない」髪型の人がダブルスで巨漢と短躯の男のペアと戦ってました・・・。あー・・・。なんか、「説明できない」髪形の人は怪我をしたようでラケットを落としてました・・・そこへ妹が帰ってきてチャンネルを変えたので負けたのか勝ったのかも謎のままです。
 なにかを諦めずにやり遂げるであろう彼らはテニスから離れても頑張れるんではないかとーおもったりなあ・・・。

 こないだ、「徒然草」の最終段のあたりで先生がなにやらいってたのですがねえ・・・源頼長は10歳の時に可愛がっていた猫の病の際、こんなに可愛がっていた猫を死なせていいものか?と思い。仏様をつくってその木像に後猫を十年生かしてくれたら、私はこれこれしようとお願いしたそうなのですよ。すると、猫は回復したそうな・・・胆力なみはずれた人することが違うなあという話。この話の影響か?吉田兼好も8歳のとき猫の延命を願ったんだそうな、けど猫は死んだ。死の不思議、命の不思議の疑問とやるせなさはずーっと壮年に喃喃とする頃になっても覚えており自分の興味の源であるというようなーーーーーなーんかそんな話であったような気がします。いわゆる幼年者が死について考えるには近親者の死や、かわいがっていた小動物の死という誰もが持ちえる出来事からであるとかいう、そんなことだったりするんですがー・・・。なーにか、小さいときの事を思い出しまして哀しくなりましたー・・・。
 小学校二年生の時に飼っていたウサギが死んだんですけど、自然死ではなくて傷口からバイキンが入って膿を貯めて死にました・・・。思い出しただけで哀しいです。あー・・・ろくに世話も出来ない子どもに動物を与えてはいけないと思います。自分を振り返ってね・・・思います。家はけちん坊ですのでウサギは動物病院には連れて行ってもらえませんでした。はっきり言ってウサギは鳴きもしないし、無表情で普段からジーッとしてるので、具合悪そうには見えないんですけどね。
しかし、注射器で膿を抜いたりしたんですが、忘れられません試験管ぐらいの太さの注射器に黄色い膿がまんぱんになるぐらい抜けるんです。とにかく、臭いも膿そのもの気分が悪くなる腐ったような臭いなんですよ・・・。一応かみさまにウサギの延命を願いましたが、次の日には死んでしまってたよ。何故もっとちゃんと世話をしなかったのか、何故ちゃんと親に反対されても医者につれてってやってくれと言えなかったのか、私は真剣に助けてあげたいと行動したか?いや、出来ていまい。
と、そんな時から自分は腑抜けだったんだと思い出しました。いつも、物事に決着をつけるなり、自分でなにかを成し遂げたりなんてしていないのですよ。ウサギにはとても気の毒な事をしました。そのウサギは3回ぐらい飼い主が変わっていて、その回数から解かるように、厄介もの扱いされていた者だったんですよ。それまでも、何となく飼われてたのに、最後は子どもの慰み者ですよ。玩びものになって死ななきゃならなかったなんて、ホント酷い事をしたもんですよ。最悪だ―。
 四年生のときリスを飼ったんですがね、つがいだったんですがー、メスは早く死んだんですが静かに死んだんで病気だったのかどうかもわかりません・・・。しかし、最悪なのはこれからでオスのリスは私が中一の時に死んだんですが、朝の忙しい時間だったんですが・・・母に踏まれて死にました。その断末魔の姿は5秒もなかったと思うんですが、あんまりでした。そもそも、リスを放し飼いにするのが間違ってたようなきもします。その日、朝っぱらからそんなことがあったにもかかわらず学校に逝けといわれ、学校でも泣いてましたよ・・・。でもさ?リスが死んだって言われてもねえ?あんまり小さくて周りも反応に困るよなあ。あはは。
丁度そのときは文化祭の時期でさ?なんか劇やらなきゃいけなかったのよ、でさ?なんかその世話役みたいのに参加してたもんだから放課後の練習に付き合わなきゃいけないわけ。もお、とにかく帰りたくて仕方なかったんだよ、だけど止められてさー・・・。あげく屋上に行く階段(えーと、屋上には出られないように鍵が掛かってたんだなあこれがー)に連れてかれて、こんこんと帰るなと同級生に説教喰らわされてさー。小学生のときから仲いいっちゃー仲良かったんだけど、ちょっと問題無きにしも非ずな人だったんですね?その人はー・・・。正しいと思ったことは相手がどんな状態でも「正論」らしきものを押し付けてくる所があったのよ。良いいいかたすりゃ正義感が強くて世話焼きなのかなー。簡単にいうとおせっかいなんでした。そのため、友達が離れていってたなー・・・その人。でも、3年ごろには孤立しててかわいそうだったー。まあ、その人がリスが死んで落ち込んでるから今日ばかりは返してくれというのに、なにやら責任がどうの、皆が待ってるだの(待ってねーよ!居なくてもどうとでもなんだよ!)、あげくには「私は小さいときから鳥とか小動物を飼ってきて、沢山死んだから、もう慣れたちゃった」とかいうんだよ。なにかい?それは可愛そうにーってこっちがいわなきゃいけないの?「そうね、あなたのようには出来ないけど、私もやってみるわv」とかいわなきゃいけないの?あげくには親が死んでも、そう泣きはしないだろうとまで言ったね!そいつはよお!もお、そいつの両親しってるし世話にもなってるもんだから、私がぶっちーん!切れたね・・・・。叩いちゃった・・・。平手打ちっての?「あんたはそうやって人を見下して、優越感に浸ってんだろ!」と言っちゃったのよ・・・。
あー・・・中学生の喧嘩って辻褄合ってないよなあー。あはは。
 その後、その子の家から叩いたとか言う事に関して電話がありましたよ。言ってやればよかったのかなあーあんたが死んでも泣かないって娘さんが言ってましたよって・・・。でも、そんな事いえない程度には小母さんに対して好意がありましたのですよ・・・・。
 その子の誕生日が次の日でねえ。前から買ってあったプレゼントの「これからも友達でいてね」カードは破いちゃったんだけど、次の日の朝プレゼント(ぬいぐるみ)もってその子の家に迎えに行きましたよー。
 出てきやしねえ・・・・・。

 玄関には入れて貰ったんですがー奴は出てこなかったよ・・・。私は玄関から呼びかけつずけましたが、一言も返ってきませんでしたよ。私がこのままいては彼女は遅刻ですから、ギリギリまで居て、おいとましてきました。親には仲直りしたよと、嘘こきました・・・。嘘です、嘘。なんつーか、私も悪いけど、許してくれたのかも解からない人間と対峙しつずけるのは緊張です。
その後、私としては仲直りした覚えはないのですが彼女の中では仲直りしてたらしく、普通にはなしてましたよ。高校のときには嫌なのに彼女の父親を先生とした英語教室みたいなものに強制的にいかされてました・・・その子と、もう一人でだったんですけど・・・二人の方が遥かに出来るんで、私は生きた心地がしませんでした。あげくその頃は、パピヨンの「つぐみ」とかいう犬がいてとてもわずらわしかったのを覚えています。吼えるわ、絡んでくるわでそのくせ誰にでもなつく頭の悪い犬でした。そもそも、彼女が貧血症のため学校にいくのがちょっと困難になった時期のみで1年ぐらいの間で終った英語教室でしたが、私の英語力はまったく上がりませんでしたとさ。
 英語だいっきらい!!
でも、彼女は3年ごろには、なにかかわいそうでしたよー。いいところもあるんですが、勉強も出来るけど、なんでも一通り出来ちゃって、見た目もかわいいっちゃ―可愛い故に、鼻持ちなら無いとでも思われたのかー・・・。どうも、人気者とは言いがたい人になってたなあー・・・。胃下垂になってやせたもんだから「男子に太いといわれてショックだったらしい」とかウワサ立てられるわさー・・・。本人は違うっていってたなー・・・。皆いい加減だよなあ。躁鬱気味の生徒会長と付き合うも、上手くいかないだろうと思ってたらやっぱり上手くいかなかったんだよねー・・・。
 いま。。。元気にしてるかなあー・・・。あはは。
最後に会ったのは、私がバイト中のとき・・・パン屋のあんな格好で会う時点で屈辱だ・・・!!あー、高校の時には大学生と付き合ってたなーそいつよお。親は複雑そうだったよ・・・・。彼女としては、大学生の彼氏、時々家に遊びに来て両親も受け入れてくれてるvかわいいパピヨンのお散歩に一緒に行くのv趣味はマリクワのマニキュア集めvvって感じで大成功なんでしょうかねえー・・・。服飾関係のガッコにいきたいけどー青山短大出てからにするわvv親は反対してるけどデザイナーになるのが夢vvってかんじですか・・・あはは。もう、好きにしてくれ。


 お前の胸毛の数だけ愛してる(エンディングテーマソング)
 
 息が止まるほどの抱擁を
 月に照らされて 抱きしめた せつなさを
 愛すれば愛するほど つらく あの日を思い起こし愛しさを募らせ
 いつかお前のような逞しい体にわたしもなれたら良い
 お前は必要ないというけれど お前の望みその期待に応えられる男になろう
 この愛はお前しか知らない ならば 私を裁くのもお前だろう
 二人だけしか知らない罪に身を焦がした事も
 忘れないから

気味の悪いものを読んでしまいましたね・・・・・。ごめーんね!!
 





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