また帰って来たロンドン日記
(めいぐわんしー台湾日記)
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異文化交流と言っておきながら、相手は日本人ですよというと笑われそうだが、 今日の相手は日本人。 今日は授業が終わったあと、学校のクラスメイトとその友達の女の子4人でハーゲンダッツへ。 クラスメイトの子は彼氏が作る料理を食べると言って先に帰宅しまい、初対面の人たちだけと一時を過ごすことに。
うーん。何と言っていいか。一言でいえばやっぱ異文化やったねぇ。
昔だったら、こういう人たちと過ごした後は、なぜかしらないがへそを曲げていたような気がする。 文句を言っていたような気がする。なんでだろう。
おびやかされていたのかな?
俺だけ自転車で先に中心部に行って、彼らはバスで来ることにした。 実はバスが遅れたと言う理由で、先についた俺はけっこう待たされた。 歩いても15分ぐらいでついてしまう距離だが、 女の子4人が実際どういう理由で遅れたのかは知る由もない。
ま、だいたいふつう行かないハーゲンダッツに行こうという時点で、 俺もふつうと違うことが起きることを期待しているわけで、 それも最近の刺激のない生活からすれば、変わった出来事で面白かった。
話は飛ぶ。
昔ブラジル人4人とイタリアに旅行に行ったことがある。 結果はどうだったかというと
「散々だった」
としか言い様がない。
が、今後はそういう人間達と行っても、そこまでひどい目には遭わされないのだろうということ。 もちろん、今日彼女らにひどい目に遭わされたといっているのではない。 ただ「違う」ということ。 感覚的にいえば何かが「決定的に違う」ということだ。
でも、小雨交じりの風の中を自転車で家に帰り着き、 冷えた身体を、熱い湯船に浮かべたとき浮かんだ言葉
「これがふつうですよ」
そうなんだろうな。 日常生活というのは、毎日がわくわくと冒険のような日々を過ごすわけではない。 ふつうに仕事をすれば、ぜんぜん違う感覚や考えの人と交わることになる。 それはふつうのことで、みんないちいち考えたりしないのだ。
なんだそりゃ?
昔なら、なぜかものすごくみじめな気持ちになっていたかもしれない。 見下されたと思ったかもしれない。 ものすごく悔しくて、やり切れない気持ちになったかもしれない。 ただその理由は不思議なことに今の俺にははっきりしない。
今日の子達といえば、 特別扱いはされないが、特別失礼もない。 女の子的なマイペースさだが、頭に来るほどではない。 それにひとりひとりそれぞれだ。 ただ、彼らの中に共有されている何かがあるのだとは感じる。 それを俺は共有していない。
それが関係あるのか? そういうことが俺の中で、何らかの引き金を引くのか
今日は、そんなにいろいろ理屈で考えるつもりはなく、 ただ不思議に、今までとは違う反応をしている自分が珍しく、 また、同時に物足りなく感じられる。
基本的にはいい方向なんだろうな。と思いたい。
ただ、自分の中では、まだ完全に用意が出来てない。 もう少し待って欲しいという自分がいる。 半分あせっている自分もいる。
ゆっくりやっていこう。
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