また帰って来たロンドン日記
(めいぐわんしー台湾日記)
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2004年01月05日(月) |
【ほん】 北村稔 「南京事件」の探求 |
「南京事件」の探究―その実像をもとめて 北村 稔【著】 文芸春秋 (2001-11-20出版) [新書 判] NDC分類:210.7 販売価:\680(税別) 197p 18cm
【紀伊国屋BOOK WEBより】 1937(昭和12)年12月、中国の南京に入城した日本軍は、以降3カ月にわたる軍事占領の間に、死者最大30万に及ぶ組織的大虐殺を行ったとして、戦後、軍事法廷で断罪された。 この「南京事件」は、中国侵略の象徴として、六十余年を過ぎたいまも、日本に“反省”を迫る切り札となっている。 他方で、虐殺はデッチあげ説、数万人説もあり、それぞれの「歴史認識」と相まって、激しい論争が続いている。 本書は虐殺の有無を性急に論ずるのではなく、大虐殺があったという「認識」がどのように出現したかを、厳密な史料批判と「常識」による論理で跡づけた労作である。
序論(「南京事件」とは何か;「南京事件」の今日的問題性 ほか) 第1部 国民党国際宣伝処と戦時対外戦略(マンチェスター・ガーディアン特派員Timperleyの謎;国民党国際宣伝処の成立 ほか) 第2部 「南京事件」判決の構造とその問題点(「南京事件」判決の成立;戦時対外宣伝には登場しない南京での「大虐殺」報道 ほか) 第3部 証拠史料をめぐる諸問題(日本語訳された英文資料;英文資料作成の背景 ほか) 第4部 「三十万人大虐殺説」の成立(死者の数量について;『スマイス』報告の徹底的検証 ほか)
【感想】
春秋左氏伝や韓非子など、書店で中国の古典についての本を探しているときにたまたま目に付いた本。
とりあえず、この本はすごく良かった。個人的に僕は南京大虐殺についてずっと気になっていたものの、最近はどこかで「もうこの問題にはかかわりたくない」という気持ちが強くなっていた。そういう意味では、この本を読んだことによって、僕の南京事件に対するスタンスというものが自分の中ではっきりすると同時にだいぶすっきりした。
南京事件論争の分類は以下のように分かれる
1、南京、東京の軍事裁判に基づき事件を告発する「虐殺派」、 2、南京、東京の軍事裁判の不当性を主張し、 これら裁判の判決文に記されるような南京での「大虐殺」は 存在しなかったとする「まぼろし派」 3、必ずしも上記二つに分類できない「中間派」
桜井よしこは「中間派」に属するという。ただ北村氏が指摘するように 「中間派」は必ずしも「虐殺派」「まぼろし派」の中間に位置せず、「歴史観」と「政治姿勢」において「まぼろし派」に親近感を持っていることは間違いないという。非常におもしろく、よく理解できる。
北村稔という人は立命館大の教授で、専攻は中国近現代史とある。この人は、日本における南京事件をめぐる論争をふまえたうえで、「南京事件を研究テーマに選ぶさい、『南京事件』研究にまつわる『政治性』から一定の距離を保つことは可能であろうか」と考える。彼の答えは「政治性が付与されざるを得ない」である。その上で「歴史研究の基本」に立ち返るというのが作者の展望だ。
僕的にはこの人の疑問意識が自分のそれと重なるためか、非常に読みやすかった。この本を読んで僕は「日本は中国に戦争で負けたのだ」ということを深く認識した。すべての日本人がこの認識を持つ必要は必ずしもないが、 国際社会において、日本という国のことに対して何がしかの責任をもっていく人間は持っておくべき認識かと思う。そういうことを理解したうえで現代中国、ひいては欧米諸国、東南アジア諸国と付き合っていかなくてはいけない。戦争は極力避けるべきものであるが、関わってしまった場合にはなんとしてでも勝たなくてはならない。
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