早瀬の呟き日記

2002年07月08日(月) 再びジョンの話(ネタバレ)

暑いです。バテてます。食欲ねえー(泣) 布団が干せるのはいいですけどね。流石の早瀬も暑くて昼前に起きてしまいます。(←普段が寝過ぎ。)
本日も「式神」のコンティニュー回数自己ベストを更新。んー後はどうにかして1桁台に行きたいところ。シューティングは集中力が大事ですね。途切れるとすぐにどかん、です。

引き続き、「エレファント・マン」の話です。
へヴィーな「物語」に出会って、精神的消化がなかなかできないのです。言葉ってこういうとき、ありがたい。
日本を含め、色んな民族の神話には必ずと言っていいほど「異形の神」がいます。日本でなら蛭子神が有名です。民族誌、民俗学はあまり詳しくないのですが、歴史的には異形の者を「神」として奉る習慣があったようです。それは、科学的医学が発達する以前、「理解できないもの」に対する当時の人々の「理解の仕方」だったのではないでしょうか。「理解できないもの」に対する怖れを、日常を越えた世界に属する「神」とすることで「畏怖」に変換させる。
しかし、全ての異形の者が「神」になれたわけではないでしょう。その選択は各民族によって違っていたと推測します。もし「神」になれなかったとしたら、その人(達)はどうなるのでしょう。
日本のある地方の因習に、「双子が生まれたら片方を石で打ち殺す」というものがあったそうです。「双子は不吉(異形)だから」です。
「神」になるか、「因習の犠牲」になるか。
極端に「理解できないもの」に対する人々の扱いは、どちらかであったろうと思います。そして、映画の舞台である19世紀末。工場ができ、機関車が走り、外科手術も行なわれる近代社会の始まりにあっても、それはあまり変わっていないと、映画は言っているようです。
上流階級の人々が、慈善(売名)行為の一環として病院のジョンを訪れるようになります。彼はきちんとした服装をして彼らをもてなします。紳士的な態度で。看護婦長は、「ジョンはまた見世物に成り下がりましたね」とトレーブスを非難します。
医師自身も途中で偽善的な自分に気付きますし、見る側としては、「(客に見えるよう)立て」と命ずるバイツと「(皆への挨拶のために)立って」と言うトリーブスが重なります。「ああ、同じではないのか」と。「見世物(珍しい化け物)」と「有名人(「この国の最も不幸な子弟の1人」by女王)」のどこが違うのかと。もっとも、ジョン自身はそんなひねた見方をしません。自分は幸せだと、そう言います。
彼がそう言うのなら、偽善でも何でも構わないじゃないか、少なくとも暴力を振るわれたり病気や怪我を放置されることはない。人間として、意志と言葉を持つ者として他人と交流できるのはいいことではないか。その一方で、そのような形で有名人になった彼を痛々しいとも感じるのです。でも、当時の社会で彼に違う形の幸せがありえただろうか? それは、私の乏しい知識と想像力では、出せない答えです。

ところで、SUGIちゃんのバースデイ話。
少し遅れますが、書きます。
お誕生日おめでとう。


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琳 [MAIL]