早瀬の呟き日記

2004年11月01日(月) そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない。

有名な、ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」(野矢茂樹訳/岩波書店)序文です。私なぞは、「そうか、やはり自分の中で不確かなことについて迂闊に口にするもんではないな」と解釈してしまうのですが、しかし、その前にこういう文が置かれています。

およそ語られうることは明晰に語られうる。

言葉の限界がすなわち思考の限界である、とウィトゲンシュタイン先生は言っておられるのだと思います。たぶん。果たしてこれが、日本語という言語についても当てはまるものなのか、それは私にはわかりません。何しろまだ「論理哲学論考」全部読んでないし(笑)
それはさておき。
自分の主観がどうにもふらふらしている、と判断して香田氏の事件に言及した日記を削除し、いつかきちんと考えがまとまったら書こう、と思っていたのですが、そうも言っていられない、と思ったのが、本日の新聞記事でした。
●本日付東京新聞より大野功統防衛庁長官のコメント
「テロ事件と自衛隊派遣は全く別問題だ。断固たる決意で復興支援に取り組む」
●同夕刊より小泉首相のコメント
(自衛隊派遣が事件を招いたとの批判について)「私はそうは思っていない。テロはイラク戦争前から、全世界で無差別に無辜の市民を平気で殺害していた」

・・・・・・え?
ちょっと待って下さい。グループの「48時間以内に自衛隊を撤退させろ」という要求に「テロに屈することはできない」と即答したのは、じゃあ何故ですか?
「全く別問題だから人質を解放しろ」と言うべきだったんじゃないですか?
それに「全世界で無差別に無辜の市民を」って・・・つまりテロリストというのは快楽殺人鬼みたいなもんですか?
責任逃れの戦略的回答としてこれらを持ってきたのだとしたらあまりにもお粗末だし、本気で言っているとしたらもっとどうしようもない気がするんですが。
関係ない訳ないだろうよ。どう考えたって。
自らの政治的判断について言葉で説明できない政治家(防衛庁長官は官僚だけど)が頂上にいる限り、日本の政治は変わらないでしょう。そして、変わらない日本の政治というのはつまり、日本の中でだけ通用する政治、複雑怪奇な国際社会の現実と直面することのできない、脆弱なそれです。そういえば、そんな台詞を言って退陣した首相が戦前いましたね。

私が、イラクの問題について「沈黙せねばならない」と判断した理由は主に2つです。
1.一口に「イラク」と言ってもどこに照準を合わせたらいいのかがわからない
アメリカとアメリカに友好的(と看做せる)な外国人を敵視・殺害する残酷な組織もあれば、聖職者協会の説得に応じる組織もあれば、そのどっちとも関係ない一般市民もいます。あちらを立てればこちらが立たず。イラクの人々(の大半)が実際に何を願っているのか、わからない。恐らく、香田氏もそんな気持ちから現地入りしたのかもしれません。軽率だなあ、という批判的な印象も持っていた私が言えた義理ではないですけど。(これに関して自戒も込めた日本人論みたいなものを漠然と考えていますが、まだまとまりません。やはり儒教と怨霊信仰が関係あるんじゃないかとは思います)
2.自衛隊が実際どの程度イラク復興の役に立っているのかがわからない
役に立つ、立たないで価値を判断するのは危険なときもありますが(命に関わることなど)、自衛隊の活動については、コストに見合うだけのものが得られるかどうか、得られる、というときの主語は誰なのか、リスクがある場合それは何か、リスクを受けるのは誰なのか、そうしたことを考える必要があります。何しろ政治ですから。しかし、どうにもそれがよくわからない。サマワ宿営地のちょびっと周辺にしかありがたがられていないにしても、いないよりはいた方がいいものなのか。というか、外国から見れば明らかに「日本軍」である団体がその程度の存在意義でいいのか。その辺も判断がつきません。
メディアには、こういう情報の不足をこそ補って欲しい。

この事件の結末に、私は痛みを感じました。今までの事件には、感じなかった種類の痛みです。何故なのか、自分でもよくわかりません。単に精神状態が悪かったせいかもしれません。もしかすると、ジャーナリストやNGOボランティアのような積極的な活動をする人は自分とは違う人種、という考えがあったせいかもしれません。
殺害のされ方が残虐でデモンストレーション的であったことが、率直にショックでした。
「日本人である」ことに、こうまであからさまな憎しみをぶつけられたことに、恐怖を感じました。
国際社会慣れしていないのは、政府だけでなく、私自身でもあるのでしょう。
この痛みを、どんな形で受け止めるのか。あるいは、忘れようと努めるのか。
正直、忘れた方が楽です。
昨日、何の関係もない旅行の日記を書きながら、私はとても安楽を覚えました。自分の好きなもの、楽しかったこと、そういうことを書くのはなんと楽しく安心できることなのだろうと。
そして、これを打ちながら、既に憂鬱になってきています。できることならば、日常の楽しいこと、笑えること、笑ってもらえることだけを書きたい。下手に小難しいことに言及して、反発を買ったり責任負わされたりするのはしんどいし、もっともらしいことを言って、相手(といってもネットにおいては不特定ですが)をやり込めたり説得したり啓蒙(死語)したり、そういうことがしたいんじゃない。
じゃあ何なんだ、と言われたら、黙っていられなくてつい、としか答えられませんが、この本に影響された部分はあります。片岡義男氏の「日本語の外へ」(角川文庫)。
非常にクリアで的確さを志向した日本語で書かれているため、読む側もなにげに思考を相対化させられます。言葉の持つ良い機能の一つではないでしょうか。


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琳 [MAIL]