| 2004年11月04日(木) |
例えばこんな思考実験 |
●テロリストに5人の人間が人質にされました。テロリストは、「1人を殺害して残りを解放する」と言いました。さて、次のうち誰を犠牲にすればあなたは納得がいきますか?
1.日本の首相 2.無職女性 3.ビル・ゲイツ 4.伊藤忠勤務の会社員 5.100歳のおばあちゃん
私が前回「役に立つ、立たないで物事を決めるのは危険なときもある」と書いたのは、「命の序列」を容認することはそのまま、自分にも返ってくるからです。 私は、イラクに飛んだりはしない。 そんな「バカ」ではないかもしれない。 しかし、「バカ」だから死んでもいい、というのなら、明らかにビル・ゲイツよりは「バカ」な私は、このケースでは死ななければならない。 「フリーター」だから、「女子供のママゴトみたいなボランティア」だから、「甘やかされてきたバカ息子」だから、「死んだっていい」と言うのなら、それを受け入れる当人もまた、「もっと優れた」誰かに比べれば「死んだっていい」存在に該当します。そんなに、卑屈な人ばかりなのでしょうか。 もしそうでないとすれば、酷い目に遭った人たちに対するあの攻撃的な心性は、何に由来するのでしょう。これらの負のレッテルを全て裏返せば、現在日本で何が「価値あること」とされているか、見えてきます。 「定職があること」 「成人男性であること」 「他人に迷惑をかけないこと」 「有能であること」 「現実に従順=現実主義であること」 これらの資格を一部、あるいは全て満たす人は、胸を張って「バカども」を糾弾できることでしょう。現実の支配原理に適応することで、「支配」の側に自分を置くのです。あまり度が過ぎると第三帝国のニオイがしてきそうですが、まあそれはそれでその人の既得権益ですから、自由です。
さすがに首相はマズイと判断したか、「自衛隊とは関係ない」とは言わなくなったようです。「あれは正しかった」に変わっただけで、どっちにしろ「俺のしたことに議論の余地はない」という意味には違いありませんが。あ、「撤退していたらどうなったか野党に考えてもらいたい」とか「『撤退を考えています』と言ったら国際社会から何と言われるか」(自民党代議士)とかの発言もありましたが、そこは「わかって欲しい」じゃなくて、説明しようよ。 「国際社会」って、日本が常任理事国入りしたいよーって言ったら「アメリカが2票になるだけだ」って答えた社会のことですか?
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