カンラン
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引き続き、晴天。 午前中は家のことを済ませてから、あとはずーっと公園の人。 ちりちりと肌に刺さるよな陽のひかり。夏がやってくる頃にはこんがり焼けてそう。
今夜はつちのこ氏が飲み会で遅くなるので、夕食いらず。つちのこ氏の不在はさみしくてつまんなくはあるけど、夕餉こさえるのに気をもまなくていいのは大歓迎。 もともと料理が苦手なうえ手際も悪いので、夕方になると妙にあせるのだ。ぴのきがぐずったりしようものならパニック。人間の許容量って修行次第で増えるのだろうか。
そんなわけで、オクラと油揚げと鶏ひき肉の甘煮、お醤油にひたした海苔をはさんだバタートースト、ビール(と呼んでる発泡酒)が今夜の私の日記のお供。 普段じゃありえない夕食をとりたくなったのだ。
昼下がり、「無銭優雅」を読み終え、しばし泣く。ぴのきが昼寝してるのをいいことに、読書に没頭し、泣くことにも没頭。本を一冊読み終えると感極まって泣いてしまうのは昔っから。小学生の頃の作文(お題は忘れた)に「本を読み終えたときみたいにさみしくなった」と書いたこともあった。(その部分に当時の担任の先生が波線を引っ張っていたので、多分私だけじゃないのだろうと思っている。)
必死に泣いていたら、横で眠っていたぴのきが一度目を覚ます。 「まま、なんなのー?(半ギレ、半笑い)」と騒いで再び眠ったので、それをいいことにまた泣く。
実は今夜の海苔バタートースト、「無銭優雅」に出てくるメニュウなのだ。慈雨ちゃん(とは言え、御年45歳のレディー)のパパがその昔、ママの拵えた夕食に激怒して自ら作ったもの。
家族って、原点じゃあるけど、たしかに微妙かつ絶妙なバランスで保たれている不思議な集合体。その繋がりはこれ以上ないってぐらいすごく濃いのに、各々は確かに別個体。
物語に涙していたかと思えば、いつの間にやら家族に涙。 そばに寝ているぴのき。 お腹にいた十月までは一心同体おんなじレールの上にいたはずなのに、お腹から飛び出した瞬間からレールは枝分かれしているんだよなあ。今はきっとすぐそばを平行していて、時期、距離は開く。行く先はいくら目のいい私にだって見えないだろう。
そして。 今、自分のレールははたして両親のそばを走っているのか。 そう考えたら急にさみしくなった。 レールが枝分かれしているのは間違いない。 違う方向に進みたいと切に願ったことさえあるのだ。 それでも自分も子を産み、おぼろげながら親心というものが見えてきた。良くも悪くも子育てには連鎖があって、自分が育てられてきたのとおんなじようにしか育てられないものだなあ、自分がしてもらったことは子どもにもしてやりたいなあ、などと思う今日この頃。
時には両親の知らない景色の中を走り、時には平行して互いの報告をしあえれば素敵だな。
ああ、海苔バターが胃にしみる。
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