カンラン
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動植物のいのちのみならず、あまりウェルカムでないものすら芽生えさせるのが春というもの。おそらく。そんな気がしているよ。 気にかかることがひとつ、またひとつと浮かぶ。それをひとつ、またひとつと解決したり、にぎりつぶしたり、片付けたりしている。春はあせらず。
友人からの手紙が届く。 東京の美術館の絵葉書、外国の古切手などに彩られた手紙を胸に抱いていて、ぴのきに「どうしたの?」と声をかけられ我に返る。若き(といっても私たちと同年代)お坊さんのインタビュー記事のコピーまで添えてある、特別の手紙だ。
実際にはもう何年も顔を合わせていなくて、たがいの間を行き来しているのは紙に綴った文字だけ。それでも相手の状態や雰囲気を思ったり察したりできる。 こういうとき(どうやら私ははっきりと自覚してはいないけど)人間でよかった、と感じているのではないかな。 そういううっすらぼんやりしたものがあるから、こうしてあたたかいからだでここにいられるのではないかな、と。
春の憂鬱が、はらり。
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