.◆◆第3話:『眼鏡越しの空』��

 待ち合わせのドーナツ屋に駆け込むと、梢が一人窓ぎわの席に座っていた。
「ごめんね、遅くなって・・・みんなは?」
「5分くらい前までは待ってたんだけど・・・。楓が電車の時間があったから帰ったの。」
「梢も、帰っててよかったのにー。ごめんねー」あたしが言うと、梢は静かに首を振った。
「どうしても、瞳子さんに相談したいことがあったの。・・・・楓のいないところで」いつも明るい梢の顔は蒼白で、瞳には濃い影が差していた。ただならぬ気配にあたしは息をのむ。
「楓のいないところで、って・・・どういうことなの?」そう問いかけた瞬間、梢の頬を涙がひとすじ、伝って落ちた。
「もうだめ・・・あたしこれ以上見て見ぬふりできない・・・夏樹が好きなのはあたしじゃない、楓なの。・・・楓もたぶん夏樹のことを好きなの・・・だけど、二人ともあたしに遠慮してるの・・・もう、3人でいるのさえ苦しいの。どうすればいい・・・?」
梢は、声を立てずに静かに泣いていた。あたしは何も言えなかった、気のきく言葉がどうしても出てこなかった。ただ、その場を繕うためのなぐさめの言葉をかけるよりほかなくて、結局、その解決策を見いだせないまま期末試験に突入して、それどころではなくなってしまった。
  
 そして、試験が終わった翌週の月曜日。
「おはよっ、とーこさん」あたしと美和子がいつものように登校すると、先に来ていた梢が笑顔で声をかけた。  
「あれ、梢ちゃん今日は眼鏡だね。どうしたの?」美和子の問いに
「いやあ、コンタクトが合わなくなっちゃって」と笑顔で答える梢。だけど、レンズ越しの瞳は充血して真赤で、眼鏡をかけてごまかしてはいるけれど、昨夜泣いたのは明らかだ。そんなあたしの視線に気づいたのか、梢は、
「とーこさんにはいろいろ愚痴聞いてもらったりしたけど・・・ごめん、やっぱりだめだった」そう、つぶやいた・・・。

「瞳子か。・・・瑶子、いる?」
 本並先生からお姉ちゃんに電話がかかってきたのは、その日の夜のことだった。すぐに電話を取次いで、自分の部屋に戻る。
 下から、お姉ちゃんの声が聞こえてくる。かわいらしい、女の子らしい甘い声・・・。時折聞こえる楽しそうな笑い声・・・・あたしは耳をふさぐ。
 あたしもいつか梢のように自分の恋心に決着をつけなければならない日が来るのだろうか。
 本当は、ずっとわかっていた。本並先生がお姉ちゃんの恋人だということを、初めて会ったときから気づいていた。だけど、好きになる気持ちは止められなかった。こんなふうに思うのはまちがっていると知りつつも心の底からお姉ちゃんを憎んだ。 
 
 物心ついたときには、牧島家は喘息持ちのお姉ちゃんを中心に回っていて、いつ起こるかわからない発作におびえつつ、壊れ物を扱うようにお姉ちゃんに接していた両親。そして母はまだ3歳のあたしに向かってこういった。
「瑶子ちゃんが病気で、お父さんもお母さんも大変なの。だから瞳子ちゃん、いい子にしていてね。泣かないでね。おとなしくしていてね」呪文のように何度も言い聞かせた。両親に嫌われるのを恐れた小さい頃のあたしはその言いつけを素直に守った。
 泣いたらいけない。わがまま言っちゃいけない。いつもいい子でないといけない。寂しいなんて言ったらいけない。そうしていれば、きっとお母さんもお父さんもお姉ちゃんより自分のことを見てくれるようになる、そう信じて生きてきた。
 そんなある日、あの事件が起こった。
 目のけがで病院にかつぎこまれたあたしはすぐに手術を受け、数時間後、麻酔が切れて目を覚ますと、病室には誰もいなかった。看護婦さんが気づいて駆けつけてくれるまでの数分間、あたしは絶望感に包まれていた。 
 こんなときにも、お母さん達はそばにいてくれないのだ、と。さらに、数時間後病室にやってきた母の言葉は、あたしの心を凍りつかせた。 
「瞳子!何でこんなことしたの!?男の子たちとけんかだなんて・・・ただでさえ瑶子ちゃんが発作起こして大変なのに・・・。眼鏡だって作り直すのにお金がかかるのよ」
 大丈夫、と心配してくれるだけで良かったのに、そんなことはいっさい言わず、完全看護だとわかると、瑶子ちゃんが待っているから、と着替えを放り出すようにしてさっさと家に帰ってしまった母。廊下を遠ざかっていく母の足音が聞こえなくなると、あたしは声を上げて泣いた。
 お姉ちゃんのことで頭がいっぱいだったのかも知れないけど、母にかまってもらえない寂しさと目の傷の痛みで、涙が止まらなかった。今まで、両親に嫌われないように、と自分の本心を押し殺してきたけれど、それがすべて無駄だったと思い知らされたあたしは、その日以降、家族に対して心を閉ざしてしまった。
 家族だけじゃない、まわりの人間全てに対して自分の本心を見せることをあまりしなくなった。
 『クールな瞳子』口の悪い奴には『血も涙もない女』と言われだしたのはその頃からだ。

2002年04月14日(日)◆◆


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