植物の死について考えていた。
職場の机上の一輪挿しに飾ろうと,裏の駐車場からコスモスをむしってきた。 ピンクのと,白いのと,つぼみがたくさんついたところをつんだのだが。 収穫にほくほくとして歩きながら,ふと。 これって死んでるのかな,生きてるのかな,と思ったのだ。
全体像から見ると,これは切り取られた「部分」だ。 全体を「生」だと定義するのであれば,これは部分に過ぎないので, 生死の判断の範疇から外れているようにも思う。 僕が例えば腕を切り取ったとして,この腕は生か?死か?と聞かれたら。 生死は僕の本体に関わるので, (脳かなあ?あるいは「脳を含むより体積の多い方」かも) それは生死の判断から外れた,切り取られた「部分」なのだ。 一方で,植物は僕の本体にあたる脳をもっていない。 それがなければ生きていかれないというような,致命的な器官もない。 (植物に詳しいわけでないのでよくわからないが, その器官を切り離すとすぐに死んでしまうというような器官はないように思う。 人間で言う,脳やら心臓やらその他の内臓やらなにやら) 程度の差はあるが,切り取っても水に挿しておくと,しばらくはしゃんとしている。 土に植えているよりも生きる時間は短いが,それでもずいぶん生きている。 でもこれは例えば僕の切り離された腕が, 培養液か何かの中で生き続けるということと同じなのだろうか。 (ブラックジャックは大好きだ) 植物も切り落としてそのままにしておくとすぐにしおれてしまう。 適切な処置が,細胞レベルでの生を延長するのだな。
ああ,そうか,細胞か。 人の切り離された部分も,植物のように生きていくのだ。 本体(この言い方が適切はかはよくわからない)としての生と, 細胞レベルでの生と,二つの側面が同時にあるのだな。 なんだか,とーっても当たり前のことを言っているような気がするが。
ではこのときに。 何をもって「これはもうだめだ,死んだ」と判断するんだろう。 人体の切り取られた部分であるならば,医学の面から, 「これがこの数値(反応?)であれば,もう本体にはくっつかない, 戻しても意味がない」 というような基準もあるのかしら。 (ブラックジャックは大好きだ) 植物の場合はどうなるのかしら。
結局は,飾る人の主観,なんだろうなあ。 ちょっとしおれてきたら「あらもう汚くなったわね」と捨てる人もおるのでしょう。 僕はいつまでもしつこく飾っていて,かさかさに干からびるまで見守ったりするのだけど。 つまりは,その死を死であると最終的に決定するのはわたくしなのだ。 あなたはもう死にました。 あなたはもう,わたしにとっては死にました。 心臓がとまるかどうか脳波がとまるかどうかですらないのだ。 細胞のひとつひとつはいつまでも生きていくのかもしれない,とき。 あるいはおしまい,朽ちても乾いても灰になっても,なお。 決めるのはわたくし。 あなたはもう死にました。 あなたはもう,わたしにとっては死にました。 決めるのは,わたくし。
最終的には,生命活動と生死は別の次元の話になってしまった。 グリーフワークを大切にしていかなくてはならないのだと,思う。 ありとあらゆるものの死(決着とも言う)を,きちんと自分で決定すること。 自分で決定したのだと,知ること。 コスモスは結局,しおれずにここで生きてくれている。 つぼみがむっちりとゆるんで,きちんとした手順,花が開こうとしている。 ここは土ではない,ここは僕の机の上,で。 僕の手に,自分から受けてしまったものだ。 途中で飽きて捨てようが,最期まで見届けようが僕が僕の手に受けたものだから。 なんというエゴイズム!
僕は,かなしみとさいわいとうつくしさのことを,考える。
とりあえずブラックジャックが大好きです。 ここしばらく仕事がとても忙しく,泣きたい感じでした。 いつのまにやら学部の研究の責任者に。 連日12時間以上休み時間なし前半肉体労働なのでへばってます。 ええ,そんなの普通ですよな。 前半肉体労働というところが一応ポイントではあるんですが。 でもそんなの普通。 あーあー,どうせ僕はへなちょこな甘ったれな社会人ですよ。けっ。
一応昨日(9月25日(木))の日記。 ・担当の子のおかーさんと語らう。結局カウンセリングなのだな…。 ・欠席の子が多く,珍しくマンツーマン体制になれた。 ・ひとりの子とじっくり遊ぶのも面白いものだ。 ・放課後はまず教材作り。絵の具ぺたぺた。 ・あと土曜日の仕事(休日ナシ(泣))の準備。 ・学部が校内宿泊だったので,いろいろ手伝う。 ・いろんな先生が,ゆうべのつどいで芸を披露していて楽しい。 ・担当したことのある子ばかりだったので,役に立てたみたいで嬉しい。 ・ついでに,晩御飯のカレーをおすそわけしてもらった。わーい。 ・子どもをだっこして花火を見た。寒くてもよいものだ。 ・夜は相方と,地図の話の続き。
地図を描かなくちゃいけないんだ。 迷わないために。
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