昨日は文化祭でした。 あんまりにしあわせなできごとと,あんまりに残酷なできごとと。 両方が一度に起こったので,僕はもうせつなくて泣きたかったです。 とてもみんな立派でした。 とてもみんな頑張っていました。 こんなさいわいって,あるだろうか。 ああ,僕はやさしくいても,いいよね。 甘やかすわけではないのだけれど。 おうちのかたに「ちゃんと出来てませんでしたね」といわれるのは悲しい。 「先生に迷惑をかけてすみません」といわれるのは悲しい。 一日中,おうちのかたの前で必死になって褒めてみせていた。 「よくがんばってたね」「できたね」「えらいね」「たのしかったねえ!」 君の両手首は掴まれるためにあるのではない。 君の日々はただ怒られるためにあるのではないから。 だからまた学校に来てね。 先生と一緒に,あそんでちょうだいね,おねがいね。
打ち上げでは相変わらず人の愚痴を聞かされまくっていた。 だから飲み会行きたくないんだよな…。 僕を挟んだ,TT間の確執について。 というか,もはや子供の喧嘩,悪口の類だなあ。 うーん,聞かされた僕は誰に愚痴ればいいんだろう。 僕自身は,聞き続けるのはそんなに苦労ではないのだけど。 言う人はあまり気にしていないことなのかもしれないけれども, 悪い言葉というのは徒に徳を下げるね。 汚い言葉,品のない言葉,むき出しの感情は,あんまりいいことが,ないね。 伝える内容の正当性とはまったく関係がなく,聞いた相手に不快感を与える。 正論であろうとも,罵詈雑言を一言添えるだけで台無し。 「ま,あの人は馬鹿でキチガイで被害妄想だからね」 と言い添えただけで,あなたがただの馬鹿でキチガイで被害妄想に格下げ。 僕の中で格下げ。 そういう言葉を感情に乗せて選ぶのはただの子供の喧嘩である。 本音トークと感情むき出しの甘えたしゃべりを一緒に考えるのは,いくない。 こういう言葉を使っても不愉快に聞くな,と,相手に甘えるのはなあ。 子供なんだなあ,と,思った。 たとえ僕より10も20も年上でも,子供は子供。
というわけであまり愉快な飲み会ではなかったです。 向こうは話すだけ話してすっきりしたようなので,とりあえずいいか。 話された内容は受け入れを保留するにせよ。 (受け取りと受け入れは違うのだが,聞かせた相手は混同していることが多いのでなんともかんともである) 僕が肯定するかどうかはともかく否定はしない人間ということは相手にわかったようなので,まあよしとする。 別れ際に, 「こういうざわついた場所で勢いでしゃべるのではなくて,もうちょっとゆっくりお話をする場面を作れたらいいね」 とだけ言ってみた。 「うん,そうだね」 と素直に言われた。 それだけでよいことにする。
飲み会の会場の外で師匠に会った。 僕が,なにやら延々と語られている場面を遠くから見ていたらしい。 何も具体的に説明せず,「どっちもどっちですね」と言った。 喧嘩なんていつも,どっちもどっちだ。 どっちも子供だから喧嘩になるのだ。 (僕は討論と喧嘩は区別しているつもりで。) 師匠は喧嘩をしている二人や僕の性格を知っているので,何も言わなかった。 ただ「まあな」と苦笑いをして,「今度飲もうな」と言ってくれた。 それが一番のご褒美です。 師匠を初めて僕の運転する車に乗せて,えらいこと緊張しました。
んむ。 「子供だなあ」というのも罵詈雑言に入るのかしら(笑) 自分が幼いということは自覚しているの,で。 子供の僕に子供って言われるってのは相当の出来事ですよ,ということで。
今日は疲れたので昼まで寝ていました。 目が覚めてしかたなかったけれども,なんとか昼まで。 んで週末に届いていた,自分への誕生日プレゼントを眺めてみたり。 すすすすすすごい服買ってしまった。 なんですか!25にしてゴスロリデビューですか!!!(笑) ここんとこずっとフリルブームです。 チャイナが似合う東洋系の顔立ちなので,似合わないんですけど。 誕生日くらいは「いっぺん着てみたい…」という願望を満たすことにする。 外は歩きませんし歩けません。 父兄に会ったら死んでしまふ…。
というわけで21日は僕の25回目の誕生日ですよ。 3年間,2年前の誕生日は茶楼で祝ってもらった記憶があります。 懐かしいこと…。 ああした,サイト管理者の色を考えずにいられる場って,なくなったねえ。 最近好きなのは現代詩フォーラムです。 眺めるだけ。
ネチケットのサイトを眺めていたりしました。 サイトリニュするときに参考にいたしましょうっと。
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