みやにっき
詩人を名乗ることにした。

2004年03月13日(土) 使い古された祈りを哂ってはいけない

やーほーっほーとらんらんらん!
このところの身体の妙な疲労感の理由がやっとわかったよ!
だいぶ暖かくなってきたのに,電気毛布つけっぱやん!
(寒い時は本当に,つけながらでないと眠れなかった)
どうりで朝起きたときに喉がかわくかわく。
家の中で熱中症…ッ!!

春になってきて嬉しいので,電気毛布をしまおうと思う。
僕の体温で,世界に接しようと思う。



ささいなことかもしれませんが。
PJのドルチェの3月11日号の木村氏の文章がとても好きです。
本当にしんどい日の夜にああしたものを読むと,少し安心します。

僕の手元に,ネットでは発表されていない,
病気と闘っておられるおじいさんの書いた詩があります。
とても生々しく,強く,弱く,たしかな感触で生きている言葉です。
俺はこんな見方で世の中を見ちゃってるんだぜっていういやらしさがないの。
そんな,他者から自分のスタイルを量ろうとするいやらしさ,甘えがない。
真っ正直な,ことば。
打たれる。
この人の文章は,遠くいる,会ったこともない僕の中で,確かに両足で立った。
なんてすごいことなんだろう。

(あいだみつおやらさんにーろくやらを賛美しているわけではない)
(売り方や的確な届け方を知っている人間の話はまた別の次元だ)

手があたたかいのはね。
ストーブがあたたかいからでなくてね。
手があたたまったんだよ。
人を動かそうとやっきになるのはなんだか,ちがうことじゃないのかな。
人は,本当に打たれたなら,自然と動くものだよ。
あたりまえのことだけれども。
「わたしのような個性はなかなか理解されない」って。
言うのは,なんだか恥ずかしいことだから,やめようって,思う。

あーなんか,先生みたいな言葉だな。
どんな実感を伴って言っているのかなんて,どうでもいいことだな。

僕は具体的に説明するのは嫌いなんです。
(先生向きじゃない)
説明しなければわからない人を想定して文章を書くというのは,自分のいらいらを徒に増幅させるだけだから。
ただの日記なので,自分の思うところを自分の立ち位置から書くという,それだけにしておく。
いつもいらいらに任せて,何か想定したようなものを書いてしまいがちで反省。
というわけで,一度書いたいらいら文章を消しました。うふ。

使い古された表現という言葉に甘えて人を批判するのはやめよう。
僕は人が生まれた時からも磨り減らないたましいのことばで。
愛しているって,静かに,祈ることにしようと思う。





実家にいってくらー。
うひー遅くなったーおかーちゃんごめんよー。


 <なんだっけ?  まとめて  そんでどう?>


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