milukuの日記

2003年07月05日(土) 『物語消費論』(大塚英志)のショック

『物語消費論』
これは、この作者(フリーの編集)さんがかいた、漫画にまつわる現象を中心に書いた、現象論的小論文を集めた本です。学問的だし、すごいするどい指摘があるんですが、ちょっと読んでて、混乱したところがあるんでとりあげたいと思います。

この本には何個かのテーマがあるんですが、その中で引っかかった点。

『物語抽出論』(これはあたしが勝手になずけた名前です。)
この人の論理でゆうと、キャラがたってしまえば、(つまり、人気が出れば)そのファンにとっては、(ここでは例で、高橋留美子先生の『うる星〜』をあげてますが)アニメと漫画は等価値になるとゆう事。つまり、「設定」(キャラの絵柄、キャラクターの性格、キャラ同士の関係)のルール(つまり設定)をはずしてなければ、誰が書いても「うる星」になるとゆう事らしいです。
どうゆう事かとゆうと、その『設定』さえはずしていなければ、高橋留美子が書いた原作の『うる星』も押井守(アニメ監督)の、映画の『うる星』もFANにとっては、おんなじ価値のラムちゃんになるそうです。

例としてあげると、キャラクター商品になったときに、高橋留美子先生が描いた「グッツ」が必ずしも、売れ筋になるとは限らなくて、それよりもアニメーター達が自分の個性を出して描いたラムちゃんが売れ行きになるとゆう事もあるとゆう事でこれが、その『物語の抽出』とゆう事でそれを踏まえていくと、逆に『原作』さえも、その『物語』のひとつであるとゆう事になってしまうとゆう事です。

さらに、これは「漫画」が「アニメ」化したときに自然に発生した現象とゆう事らしいです。



さらに、この問題を考えたときに具体例がいっぱいあります。
『ルパン3世』これも、原作者はモンキーパンチ先生ですが、実際に映画化すると、監督は違うし、絵もアニメーターの方がデザインしてるし。そのいい例が「カリオストロの城」。有名な宮崎先生で、ルパンが青いジャケットきてるし、設定はルパンですが、話のつくりは全部『宮崎先生』です。
つまり、『ルパン』の設定だけを抽出して、違う人が違う話をつくるが、ファン(つまり、大勢の受け手側)は、それが、モンキーパンチであれ、違う人であれ、いいとゆうわけです。(まあ、中にはいやだってゆう人ももちろんいるとおもいますが)

もっと極端な例をあげれば、『ドラゴンボール』。これも、作者の鳥山明先生が漫画やめても、視聴率がいいから、『ドラゴンボールGt』として、アニメだけ(監督さんが考えて)続いたとゆう話。

あたしがはまってた「幽遊白書」も、当時は「映画化」されても、(話を考えたのが富樫先生じゃなくても)それを喜んで、なんの疑問を持たずに見に行ってた事。


実際にそうとゆう気もする。『アニメ』化が起こったときの「原作」の意味の消失現象。前に、どこかの先生のフリートークで呼んだんですが「アニメの感想はこっちに送らず、テレビ局に送ってください」とありました。それが、これなのかなと思いました。


これは、(おこがましくも)かきて側から見れば、そうとう混乱する議論ですよ。つまり、それが商品としてアニメで成功してしまえば、話は(あくまで才能があるとゆう前提で)他の人が考えても、コンセプトをはずさなければ、売れてしまうとゆう事。(まあ、実際として漫画家さんでも、編集が話を考えてることもあるってゆううわさもあるんですが)


反論になりますが、やはりそこまでを考えて、キャラクターを生み出している、先生がいるわけだし、やはり、原作にはかなわないと思ってしまうんですね。(とゆうか、おもいたい。)
これも、ケースバイケースです、アニメから入って、原作読んでも、アニメの方がいいって場合もあるので、もうなんともいえません。

まあ、やはり『アニメ』と『漫画』は別ものとゆう事で、それがあたかも同じ用にみえるけど、やっぱり違うとゆう事で、どっちがすきかはその受けての人と作り手次第。
だから、手塚先生は『虫プロ』を作ったのかなと思いました。大友先生が、アニメの監督になったのもそうゆう理由なのかなと。


つまり、この理論でゆうと『アニメ化』も『同人誌』も同じなのですよ。システム的には。ただ、どこにどのように向けて作ってるのかの違いだけで。


でも、まだ少年系の原作アニメは原作に忠実ですが、(これは目的が、あくまで原作のアニメ化で、宣伝が目的だからですが)下手に、ジブリやガイナックス(『彼かの』がいい例)なんかがアニメ化すると、『設定を使った、監督の自己表現』になりかねないわけです。

でも、これは最近のことじゃなくて、歌舞伎の世界でも同じようなことが繰り返されてて、ずっと昔からある表現方法の練習の一種らしいです。

ああー、ごちゃごちゃしてわかんなくなってきましたが、一番いいたかったのは、アニメ化による『物語の抽出化』が起こったとき(つーか、アニメになったとき)、人によっては、『アニメ』のほうが、本物になる(つまり、原作の意味の消失です。)とゆう事に対するショックです。

まあ、原作のほうがもちろんいいって人もいるわけで、それでいいと思うんですが....



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