ぶっちゃけ、今回はちょっと日ごろの疑問や思ったことをセキララに考えてみたいと思います。
宗教、国家とか、哲学とか存在論とか。とにかく、人はなぜ存在するのか、そしてなぜ知的活動を行うのかとゆう、答えがでなくて、なおかつ非科学的な話になるので、だめだと思ったら閉じてくださいね。(日記でこの断り方もいかがなことかと思いますが)
ぶっちゃけ、意味なんてない。まあ、たまたま、そう進化してしまったといわれればそれまでなんですが、少なくとも人類が観測できる範囲で宇宙でここまで知的活動を行っている生物は(私たちがそうよんでいる)地球の人類だけですよ。(もしかしたら、もっと遠くに、もしくは近くに高度な知的生命体がいるかもしれないけど)
だけど、宇宙の歴史は長いですから。(まあ、どこまで長いのかは知りませんが、少なくとも現段階では地球の年は45億歳で、人類が誕生して(思われている)たかだか、3万年くらい??地球のなかでいえば、0.00006%にすぎないものです。
この間、上野の国立科学博物館の「恐竜博物展」にいってきましたが、私たちの人類が誕生する、9000万年前に(ごろにいたらしいと考えられている)はこの恐竜たちがいて、でも何でかしらないけど絶滅しちゃって、今の生命体が存在している。
宇宙では、地球星と星星の距離が16万光年とか、20万光年とかはなれてて、もうすんごいはるか、恐竜がいるずっと、ずっと前の光がようやく今、地球にきてるわけで、宇宙の何億年という単位からみたら、ひとつの種が誕生から絶滅する刹那の瞬間に、同じような知的生命体が(しかも、お互いがお互いを認知できうる)誕生するというのは、そういう宇宙の単位からみたら、ものすごい低い確率だと思います。(まあ、ロマンを否定するわけではありませんが)
何がいいたいかといいますと、私たち人類も何かが原因ではわかりませんが、いつごろになるかは、わかりませんが、必ず絶滅するということです。(そもそも、地球だっていつかは、なくなるわけですから) だとすると、どうして(別に種だけではなくて)星が誕生するのか、そして生命体が存在するのかと考えてしまいます。(別に、ほんと意味なんて考えたらどうどうめぐりなんですがね)そして、なぜ地球に、知的生命体が生まれて、知的活動を行っているのか。そして、こんなことを考えてしまうのか(われ思う、ゆえにわれありの世界ですね。ハイ。)ということです。
別に、ひたってこんなこと書いているわけではないんですよ、ほんとに疑問。
私は、数学は今ある物を表すためのものであると思っています。科学は、物質的な側面からの、物事の測定、そしてやはり、名づけて現象を表すもの。 宗教は、(といっても、これひとくくりにしていいのか。仏教、キリスト教、イスラム教。私まだ、キリスト教は勉強してないので、ここでの宗教は仏教にしときますが)これは、目にみえない、なんてゆーか、心、魂といったそういうものの、働きを、はかり、あらわすものだと思っています。
つまり、私てきには、何で宇宙があって、地球があって、そして国家があって、人種があって、そして、知的活動を行っているのかというのを考えるときに、科学と(考古学、宇宙学、とかいろいろふくめ、数値かするもの、物体からみるもの)と宗教(その、ようは悟りをひらいたとされる、ゴータマシッダ―ルタやイエス・キリストが、または、そのもろもろの先人たちがのこしたその、魂の知恵といいますか、生命のの木の叡智ですね。)を、二つの側面からみていくことによって、このなぞというか、疑問がとかれるんじゃないかということを思って、わざわざ休みの日にこんあ長い文章を書いてしまいました。
やっぱり、宗教はまだはかりかねます。いろんな意味で。あんまし本よんでないし。話ひろげすぎました。
後は、国家とか時代とか。日本だって、もう60年前まで戦争行っていたんですから。そのタイミングで生まれなくて本当によかったです。 今だって、世界の国の半分は戦争をしてて、赤道近くの国にいけば、木や葉っぱで生活している人だっているんです。 アフリカにいけば、寿命は37歳(ガーナ)です。 どうなんですか、これ??ほんと、世界不思議発見ですが、私たちはもっと目の前のことにとらわれないで(といっても、私も毎日とらわれすぎで、もういい加減自分につかれてきましたが)そういうことに目を向けるともっと人生が楽しくなるんじゃないかと思いました。
問をもつことが、もしかしたら、知的活動の意味なのかもしれません。(直感)
まあ、ナンセンスです。ナンセンス。だけど、こういうのを少しでも漫画にいかせればなーとおもいます。
ここまで、読んでくれたかた、ほんとにすみません。
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