パソコン壊れ、怒りについて考える

雷でパソコンが壊れ、
バイト中にも某社に電話させていただいたりと迷惑を掛ける。
しかし午後からはバイトが忙しくなり、
写真を焼いていたら旅行の写真が多くて、無性にむかついてきた。
やけくそに焼きまくっていたらいつもより早く写真が出来上がり、
効率アップに貢献できたのである。
怒りのパワーは労働に燃やすと良いのである。
しかし頑張りすぎてもうやることがなくなり、痴呆的顔でぼんやりしていた。
そしたら店にきた客の子どもが私の事を不思議そうに見るので、笑って見せたらなぜか喜んでくれ、しばらく一緒に遊んだ。
そんなバイトの一日。

家に帰ってもパソコンがセーフモードで起動するので、
怒って説明書を投げつける。
父が怒ったので怒りをうちにとどめてみる。
すると不思議なくらい頭の中では恨みつらみの言葉が吹き荒れ、
しまいには普段信じてもいない神までも呪うのだった。
このとき神は私の行動を常にみているからこのような天罰を下すのだという結論に達してしまい、結局自己嫌悪に陥ると言う思考回路を形成してしまう。
自己に向ける怒りほどつらいものはなく、それをしてしまう人の心理と言うものはなんだろう。人に向けて暴力とかに出るよりはいいけれど。悩みを抱えている人はどんな形にせよ自分への怒りを内包しているからつらいのかなあ。自分に置き換えてみてもそのような気がしてくる。怒りとは厄介なものだ。
さっきも書いたが怒りのエネルギーはとんでもないと思う、もしこの力を何かの動力に使用できたら1か月分の電気代ぐらいになるのではないか。
怒りを力に変えることが出来る人は器用だなあ。
機関車トーマスの顔の部分を自分の顔に置き換える妄想をし、アホみたいに思えてきた。
そんな事を考えているうちに怒ることすらあほらしく思えてきて怒るのを止め、心を静かにしていたら、友からメール。
「今度の旅行の予定、パソコンのアドレスにメールしておいたよー」
再び心はゆれるのだった。
2002年08月18日(日)

日々ノオト / kica

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