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闘病記録 - 2003年10月11日(土) 少しずつでも書いていかないと、薄れていってしまいそうだから。 何も出来なかった日々が消えてしまわないように。 ベッドに一日中寝ていた記憶しかない。 酷かった頃は。 発作も毎日だった。 何も感じない。何も考えない。 求めていたのは終わりだけ。 いつ治るとも知れない病気の。 家族への負担の。 私という存在の。 終わりをずっと待って、死ぬことが快楽へ繋がり始めた。 無表情・無感動。 強い睡眠薬を飲んでも眠れなくて、眠っても苦しくて。 誰にも理解できない苦悩。壊れていく自分。崩れていく心。 バラバラになっていく精神と肉体を、何処か遠くから眺めていた。 それが、一番酷かった時の私。 分裂症を起こしたこともあった。沢山の声が木霊した。 「死ね」「早く死にたい」「もう終わろう」 「お前なんていなくてもいい」 代表して出てきた人格。名前は【リディ】。 私の意識は何処か遠くにあって、床に倒れてからの記憶はあまりない。 「死にたい」とリディが呟くのを、私の口から小さく呟かれるその言葉を、 遠い意識の向こうで聞いていたような気がする。 家族が救急車を呼ぼうとしていたのを聞いたのは最近になってから。 包丁を手にして、まず左手の甲を切ってみた。 切れ味の悪い包丁は、望むような結果を与えてくれなかった。 次に、動脈に添わせて切ってみた。 そういうことを、何度か繰り返した。 気付けば、家からは鋏もカッターも消えていた。 死ねない自分が苦しくて辛かった。 眠れない真夜中の三時。家族に何も言わずに散歩に出た。 コンビニに行って飲み物と、闘病日誌をつけようとノートを買った。 カッターが目に入って、手にとって、また戻した。 「死にたい」と繰り返す私に、「死ぬな」と泣きながら言った祖母を思い出したのかも知れない。 家に帰りたくはなかったけど、行く当てがなかった。 そのまま徘徊していてもしょうがないから、取り敢えず家に戻った。 戻ってみれば、家は私が行方不明になったと大騒ぎになっていた。 父と姉は車を出して私を探していた。 ノートは使われることはなかった。そんな気力すらなかったから。 無気力だった。ただそこに存在しているだけ。 本を読む気にも、テレビを見る気にもなれない。 テレビは特に嫌いだった。雑音としか思えなかった。 私が起きている間は、テレビは消されるか、極小さな音でつけられていた。 気付けばガラスのコップを床に叩きつけていた。 心は何も感じてない、考えてないのに、体が勝手に動いていた。 堪っていく欲求不満に、どんどんバラバラになる心と体。 まるで拘束具をはめられているような毎日だった。 ある女に捨てられて、立ち直りかけていた全てが崩れた。 死への執着はより強くなり、毎日発作が起こり、泣き叫ぶ日が続いた。 立ち直るまで、壮絶な毎日だったように思う。 覚えている限りでは、こんな生活を送っていた。 思い出したらまた書こうと思う。 天気が悪い日は、好きじゃない。 -
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