青春の思ひで。
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土曜日。 新宿高島屋のベスト電器の中にある、インターネット体験コーナーの横をふらりと通ったら、画面がヤフーニュースの画面になっていて、目を奪われました。
「雅子さま、女児を御出産」
「あー。。。生まれたんだー」と、とりあえずそのくらいにしか思わなかったのですが。
置き去りにされてしまったので、暗い暗い道をとぼとぼ歩いて。 明るい代々木駅に着いたところで号外を頂きました。
「お!お生まれなさったか!」 というおじさんおばさん。 「まじでー?生まれたんだー」 という若い女の子(含む、あたしってカンジでしょうか)。
そんな人々の声の中で、ツキンと胸に来た言葉は。 「雅子さま、かわいそー……」
皇室なんてあたしの中では特に信仰対象でもなんでもなく。 (だいたい皇統譜を辿っていけば今の皇室なんて正統な皇室じゃないし) だからといって極端な天皇制廃止論者ではなく、日本特有の文化の存続のためには、彼らの存在が必要なのもわかるような気はしている。 あの高貴な空間(彼らが「高貴」なのではなく、彼らの置かれている立場・環境その他もろもろ)に、一抹の憧れを感じないこともないのだけれど。
正直、直系が途絶えることになってもあまり興味なく、今回の雅子妃の「御懐妊」もあまり関心はなく、いつの間に臨月だったの?ってカンジなんですがね。
前回、妊娠されたときに比較するとマスコミが穏やかだったので、ほんとうに気に留めることなく。
だけど、当然「号外」が出ることの予想はついていたけれど。 生まれて数時間で、デパートやらコンビにやら、いろんなお店の入り口に。 「新宮さま、御誕生おめでとうございます」 「内親王殿下の御誕生を心よりお祝い申し上げます」 などという紙が貼られていたのには、恐怖しました。
昨日は、駅ビルに垂れ幕がかかっているのを見て、身震いしてしまいました。
国民が国をあげての祝賀ムードでいっぱいになると、逆にあたしの気持ちは冷めてきて。 素直に「おめでとう」と思えない。 「彼女」の誕生を祝う声を、街角で、ブラウン管の中で、電脳世界の中で、目にするたびにぞっとします。
「彼女」はただの赤ん坊だ。 メシヤではない。 (景気の救世主にはなってくれるかもしれないが) 雅子妃もマリアではないし、「彼女」もイエスではない。
何をそんなに「おめでとう」、と言うのだろう。 見も知らぬ他人の出産よりは、故郷で結婚が決まった幼馴染に、「おめでとう」という気持ちをあたしは捧げたい。
ねぇ。 「おめでとう」と言う人よ。 垂れ幕に思いを込める人よ。
「彼女」はあなた方の望んでいた「お世継ぎ」ではないのですよ?
あたしは怖い。 「彼女」に自我が芽生えたとき。 自分が「男の子」であることを期待されていた、とか。 自分の誕生を、国民が狂ったように「おめでとうございます」と騒いでいた、とか。 そんなことを「彼女」が知るときが怖い。
「彼女」はただの赤ん坊なのに……、「生まれてきたね。おめでとう。元気に育ってね」以上の期待を掛けられている。
「雅子さま、かわいそー……」 雅子妃から生まれる赤ん坊が「お世継ぎ」だと、国民は盲信してはしなかっただろうか。 御結婚から、何年経っても孕まないことに。 国民はどれだけ、妃を追い詰めただろう。 どれだけの期待をかけてしまっただろう。 そうして、今回お生みになったのは、皇位継承権のない「女児」だ。
(かれこれ30年も女児しか生まれていない皇室の血統はもうどこか狂ってるんじゃないだろうか。太古に遡れば、「女帝」も存在したことだし、象徴としての天皇が別に男性に限定される必要性も感じないので、いっそのこと女性にも皇位継承権を認めたらどうかと思うが)
周囲から子どもを期待される夫婦は数あれど、全くの他人からもこんなにも「男の子」を期待される夫婦もいないだろう。
あたしは。 あたしの素直な気持ちを言えば。 「かわいそう」ではなく「おめでとう」と思いたい。 「彼女」の誕生が、あたしに何の影響も与えないことはわかっているし。 国民の税金を使って生きていく人間がひとり増えただけ、っていうのもわかっている。 だけど。 この世に生まれてきたことに。 (もちろん、幸せだけでなくたくさんの不幸も浴びながら「人間」として生きていくスタートに立ったことに) そして、結婚8年目にしてようやく子どもを授かった夫婦に。 「おめでとう」と言いたい。
雅子妃も「彼女」も少しだけ「かわいそう」 だけど、きっと妃にしてみれば、「彼女」の性別なんてどうでもよく、ただ生まれてきただけで幸福なのだろう、と想像して。
あたしは「国民」が怖い。 仮定の話。 もしも、あたしが雅子妃だとしたら。 祝ってくれるのはうれしいけれど。 自分の見も知らぬ人々が、見も知らぬところで。 「マサコサマ、オメデトウゴザイマス」なんて言ってるのを知ってしまったら。
発狂しそう。
どれだけの期待が。 自分の身と「彼女」に。 そして、「オメデトウ」の言葉の裏の「失望」に。
発狂しそう。
オメデトウゴザイマスオメデトウゴザイマスオメデトウゴザイマス。 ツギハゼヒオトコノコヲ。ツギハゼヒオトコノコヲ。ツギハゼヒオヨツギヲ。
発狂しそう。
やっぱり、少しだけ、雅子妃と「彼女」を「かわいそう」と思ってしまう。
そう、思われることもまた苦痛でプレッシャーなのだろうけれど。
御誕生おめでとう。 この先は茨の道ですが。 どうか強く生きられることを。 お祈りいたします。
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