青春の思ひで。
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想像力の、欠如としか言いようがない。
今更ですが。
もうほんとにありとあらゆるところで散々言われていることだけれど。
何故、今、この時期に明確な目的も持たずに戦渦の国に飛び込んだのか。
想像力が足りない、としか思えない。
イラクという国は、遠い外国の一青年の人生にかまっている暇はない国だ。 そこに「自分探し」に行ってしまったとは。
「戦争を知らなければ平和を語れない」とか。 一見、正論のように聞こえるけれど。
例えばね。 今、ボランティアに従事するわけでもなく、報道関係者としてでもなく。 新潟の被災地域に行くようなものだ。 「被災地を見ないと災害の深刻さについて語れない」とか言って。 今、あの混乱した被災地に、ボランティアをするわけでもなく取材をするわけでもなく、「ただ見に来ました。自分の将来のために」と言ってみろ。 どれだけ、その土地のひとの反感を買うか。 (ボランティアでさえ、報道関係者でさえ疎まれかねない状況なのに) 何もできない(やる気もない)ならせめて現場を混乱させるな、これ以上。
想像してこれくらい何故わからない。 イラクが必要としているのは、「今・すぐ」の支援だ。 イラクを踏み台にしての「将来の世界平和」だなんて今のあの国の人々には関係ない。 今、すぐの「平和」だ。 今、すぐの「救済」だ。 それができないなら不用意に立ち入る場所ではない。 己の危険のためにも。 イラクの人々のためにも。
不用意だ。 想像力の欠如だ。 情報収集不足だ。
「長期で外国に行ってたから、外務省の退避勧告とか知らずに気の毒だった」などと言っているひともいるが。 外国に滞在しているなら、尚更。 外務省からの情報は常に注視すべきだ。 今まで人質になったのは、何も日本だけじゃない。 欧米では、殺された人々もいる。 そして、今や世界のどこにいようとその程度の情報は容易にキャッチできるし、世界のどこの国においても、あの国が戦渦の国だと知らないでいることの方が困難だ。
目的もなく飛び込んで、一体自分に何ができると思っていたのか。
何者にもなれない不安。 20を少しばかり越えた人間には無力すぎるほど近代世界は巨大なのだ。 その現実の中で、自分の身のほどを知らない人間が多すぎる。
不謹慎にも面白いな、と思ったのは。 「遺体発見」の誤報が流れた後のメディアの報道の変わりよう。 それまでの「気楽な旅行者」報道から「自分探しの若者」へとシフトしたこと。 面白いよね。 「自分探し」と言ってしまえば何でも許される日本。 「自分探し」がそんなに素晴らしいことだとあたしはもうずっと前から思えない。 「ほんとうの自分」とかそんなものどこにもありやしない。 「自分探し」という言葉の持つ意味は「今の自分ではない、ほんとうの、全く別の自分がどこかに眠っている」というもの。 「自分」が潜在的なものであるという幻想。 潜在的、つまり生来的、持って生まれた何者にも影響を受けていない本質、という「幻想」 断言する。 それは、「幻想」だ。 人間は、社会化の過程に人間になる。生まれたときから人間ではありえないのだ。 人間の中に生まれ、人間として育てられて始めて人間となる。 この「社会化」をあっさり無視して、他者との関係性の中ではなく、潜在的なところに自分の理想像を求めようとするなど、逃避でしかないね。現実からの。
「人間はひとりじゃ生きていけない」という言説があるように、「人間はひとりじゃ理想の自分になれない」のだ。 自分の無力さを知れ。そしてそれから這い上がれ。
「自分探し」とは特別なことなんかじゃない。 日々、普通に生活していく中で見出していくこと。 至宝のものである才能だとか、そんなものを探し出す風潮になってしまったけれど、「自分探し」で見つけるものは才能ではなく技能だ。スキルだ。生きていくための。 理想の自分は探し出すものではなく、磨くものだ。日々。この一分一秒で。
もちろん、被害者に落ち度があったからと言って、正義だの宗教だのを大義名分に殺人を楽しむ輩が許されないのは当然のこと。 楽しんでいるとしか思えない。 演出された殺人劇。メディアに載せての流布。 正義とか宗教を汚しているのはまさにその行為だ。
もちろん、被害者に落ち度があったからといって、日本政府の対応が正しかったかどうかは別の論点。 「撤退しない」と明言すること。 確かに今、テロに屈する形での撤退は、国の威信が損なわれるので、できるわけはないが、明言してしまうことのリスクの大きさは考えたのだろうyか。 「痛みを伴う」というのは我が首相の数々のキャッチコピーのストックのひとつだが、痛みとリスクとそして得られるものの対価は、妥当なのか。
もちろん、被害者に落ち度があったからといって、被害者のご家族を批判中傷するのは言語道断。 それこそ、「想像力の欠如」だ。
これは個人的見解だ。 あたしの「想像力の欠如」だ。
英雄でもなく、国の恥部でもなく、ただ何者にもなれず土となってしまった青年の。 冥福をただ祈るのみ。
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