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2009年06月30日(火) 記憶

母親は私が子どもの頃、
実践倫理宏正会というのに入ってた。
通称朝起き会というやつで宗教ではないらしい。

「捨て育て」「節約こそ美徳」「妻とは、母とは、こうであるべき!」

内容は時代にそぐわない昔風の倫理感、子育て方針。
朝の3時に神社に集まり日常のエピソードを壇上で発表する。

今時じゃない子どもを持つ親が
二宮金次郎的なエピソードを披露したら
「あそこの子は素晴らしい!」

真に受けて、私達(姉と私)にもしょうもない我慢を強いる。
そんなこと人格形成において何のプラスにもならなかった。
あれは本当に諸悪の根源だったと姉妹で意見の一致。
今は会員ではないが結構長い期間、入会していたと思われる。



うちには様々な決まりごとがあった。

・ご飯を食べるときにテレビを点けてはいけない。

これは良いことだと思う。
でも決して会話の楽しい食卓ではなかったし、
当時、水曜7時はゴールデンアニメタイムで
アラレちゃんやうる星やつらが晩ごはんの時間と重なって
テレビを消すのが悲しかった記憶がある。
それらは数年後の夏休みの再放送で見たw

・夕食後の家族の食器は姉と交互に洗いなさい。

小学3年生から家を出るまで続いた。
躾の一環としてはまぁいいだろう。
でも部活でクタクタに疲れて帰ったときや
受験前は苦痛だった。

・下着や靴下は手洗い

これは普通だが、小学2年か3年のとき、
間違えて、体を洗うための牛乳石鹸で洗ってしまい
父からゲンコツを受け、その後湯船に顔を沈められ
死ぬかと思ったことは忘れない。

・ゲームは絶対ダメ。

これも当時は男の子メインで流行ってたから我慢できる範囲。
他にも色々あったが忘れてしまった。
まぁ、まず欲しいものは買ってくれない。

でも、必要な物を買ってくれないのはどうだろう?
学校にいるものでも「これでいける」とありあわせのものを渡されたし
姉妹(年子)で共有も多かった。

私は覚えてないが、
小学校1年生のとき、ピアニカは姉妹で共有で
姉のクラスにピアニカを借りに行った。

姉は机の中を見て「ない」と答えたが、
授業の後に廊下でワーワー泣いてる私がいて
よく調べたら出てきたので、悪いことをしたと
30年近くも前のことなのに鮮明に覚えているそうだ。

1年生のときの担任は、
ヒステリックな年配の女の先生だった。
きっと金切り声で叱られたのだろう。

その先生にはお気に入りの生徒がいて、
遠足のときはバスでその子だけ膝に座らせていた。
その子にはニコニコ笑顔で接していた。

私は当時、おとなしかったので
嫌われるほどではなかったが、好かれてもいなかった。
名前覚えてないけど、あの先生今どうしてるかな?

話はそれたが、とにかく家って変!
のエピソードは際限なくある。

私は細かいことは忘れてしまってるが姉は記憶力が良いので
会うとこういう子どもの頃の話がよく出る。

私からしたら自分の親が変わっているのは今更な話で
笑い話として話すのはいいのだが、
悪口みたいなのは少々げんなりしてしまう。

姉の場合、結婚したのが数年前で、独身であることを
長い期間ネチネチ言われていたし、結婚が決まったら決まったで
式の前日に出ないと言い出すほどの大バトルがあったりと新しい。
(結局、式はうまくいったが)
様々な積み重ねがあり許せない気持ちは理解できる。

でも私はもう過去のことになってしまってて
母がおかしい大会は、もういいじゃないと複雑な気持ちになるのだ。

姉はまだ葛藤の中にいて、親に対して
表面上穏やかに接していても非常に厳しい目で見ている。

続く


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