ぼくたちは世界から忘れ去られているんだ

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2002年04月22日(月) 企画小説第一弾
 企画第一弾。テーマは「今日もメールは来なかった」条件は、「主人公は男性」




 いいかい、ここはジャングルだ。僕は豹だ。君はシマウマだ、と、ジェントルメンが言った。その可憐な足で走り回っておくれ、と、ジェントルメンが地下鉄の中らしいひそひそ声で言う。
 シマウマってなんて鳴くのかしらシマー、とか、鳴くのかなあ。ジェントルメンは嘆いた。シマウマは鳴かないよ。何も言わずにひっそりと豹に食べられてしまうのだ。へぇ、その、食べられるってのは、比喩?
 ジェントルメンが急に深刻そうな顔で言った。
「比喩ではないのだ。君はシマウマだ。だからもう、食べられて死ぬしかない」
 ジェントルメンのその顔を見て、僕は急に恐ろしくなった。
 ジェントルメンの言うことは絶対なのだ。ジェントルメンは世界で唯一の本当を知る男なのだ。
 ジェントルメンは次の駅で降りるよ、と僕に言った。
 僕は頷いた。これからさきしばらく、サマーバケイションの時まで、こうやって、ジェントルメンの言葉に頷くことも、ないのだろう。僕は、寄宿舎に、行く。さようなら、ジェントルメン。身寄りのない僕を十の時まで、ここまで、育ててくれたのは、ジェントルメンです。
 ありがとう。
 さようなら。






 僕の前に一台のパーソナルコンピュータ、ようするにパソコンがある。
 これは僕が十三のときにこの寄宿学校に導入されたもので、各々にメールアドレスが配布されている。僕は毎日、ジェントルメンと、メール交換をしていた。
 ジェントルメン、という名前で登録してある。
 僕はジェントルメン、という呼び名を変えたことはない。父親でもないし、いまさら呼び名を変えようと思ってもどう呼んで良いかわからない。
 物心ついたとき、僕は訊いた。それまではずっと、あなた、とか、ねぇ、とか、呼んでいた。
「ねぇ、あなたは、僕の、お父さんではないのでしょう?じゃあなんなの?」
 紳士さ、と、ジェントルメンは笑った。それ以来僕は彼をそう呼んでいる。
 僕は「メールチェック」というボタンを押す。
 ぴぴぴぴぴ、ぴぴーん。
「メールはありません」という文字がばん、とモニタに浮かぶ。
 ジェントルメンは一週間ほど前から僕にメールを呉れない。
 ちょっと前まで日々のくだらないことや、感動した景色、テレビの感想なんかを書いたメールがきていたのに。ジェントルメンになにがあったんだろう。

 心配な気持ちがどんどんと募り、僕は気付くと公衆電話の前で十円玉をいくつもいくつも投入していた。ちゃんと覚えている番号。ジェントルメンに、電話する。
「もしもし、僕だけど」
 あぁ、元気かい?と、ジェントルメンがやさしい声で言う。メール、呉れないんだね、と、僕がいった。パソコンが壊れてるのさ、と、ジェントルメンは笑った。そう?ならよいんだけど、と、僕は答えた。けれど気が気でなかった。どうしよう。ジェントルメンはきっとパソコンを修理には出さない。彼はそういう性格だ。じゃあ、どうなるんだ。僕は。メールという、形の残るもので、ジェントルメンを感じたいのに。
 嫌な空想ばかりが広がる。
 僕のたった一人の家族が。









今日もメールは来ない。

 僕はもう、ジェントルメンに会いに行こうと思う。
 僕は先生方に外出届を提出し、地下鉄に乗った。
 ジェントルメンの携帯に、電話する。
「もしもし、ジェントルメン、僕だよ、すぐに駅に来て」

 そしてジェントルメンは、僕のもとにけして現れなかった。

 雨。視界の悪いトラック。小走りのジェントルメン。彼はいつだって黒いコートを着ていた。見えにくかったろう。



 葬式は、酷く静かで、みな穏やかな顔のジェントルメンの写真を見て声をあげて泣いた。ジェントルメンの恋人と、久しぶりに会った。相変わらず美しい人だった。今までありがとう、とその人は言った。


 そして、今僕の前にまたパーソナルコンピュータがある。
 葬式のあと出逢った、恋人からメールが来ていた。かわいい娘だ。だけれど、僕はジェントルメンのほうが素敵だった、と、思ってしまう。
 ジェントルメンとの思い出は、日に日に美しくなっていく。
 僕はそれにとらわれている。いけない、と、思いつつ。





 そして今日も、ジェントルメンからのメールは来ない。






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