今日は長崎に原爆が落とされた日だったんだね。朝、新聞の記事を読むまで全然気がつかなかった。一昨々日はナベツネ新聞を見るまで気がつかなかったし、今日はニューヨーク・タイムスを見るまで気がつかなかった。子供の頃は朝起きた時には気がついていたんだけど、年をとったらすっかりそんなことを忘れちゃてる。2度とこんなことが起こってはいけないから、忘れずにしておかないと。 今日はめずらしく朝からニューヨーク・タイムスなどという聞くからにかっこよさそうな新聞のサイトを訪問しちゃった。ナベツネ新聞しか読んでないっていうと国際政治や国際経済に弱そうな人に思われちゃうから、恰好つけのために、たまに訪問するようにしてるの。そうしたら長崎での原爆の記事が載ってたから、ちょっと思い出したんだ。その記事は「ここ」からどうぞ。この記事を見て、ソ連の参戦の方が原爆投下のニュースよりも上に来ているのは何でだろって思うのはムースだけなんだろうか。それだけアメリカにとってソ連の参戦の方が重要だったのかな?ムースは歴史っていうものを何も知らないの。なんてったって、なんと大きな平城京、鳴くようぐいす平安京、いい国作ろう鎌倉幕府の3つしか知らなくって。これを考えると教職課程なんてとらなくってよかった。だってこれしか歴史のことを知らない社会科の先生がいたら、生徒がかわいそうだもん。話を戻して、ソ連の参戦のことだけど、この記事からするとアメリカはソ連がいつ参戦する前から知ってたんだよね。ムースの頭の中では米ソは仲が悪いと思ってたけど、ヤルタ会談って米英ソでやったんだもんね。話くらいはするよね。あと日ソ間には不可侵条約があったのにそれを無視して宣戦布告されたと思ってたの。これが正しいかどうかわからなかったから、今日は1日中ネットで調べちゃった。だからハリーポッターを読むのはお休みだったの。 最初、ソ連の参戦のことを調べようと思って検索したんだけど、その結果は戦争に至るまでの歴史を書いてるものが多かったみたい。ムースはその中の1つを選んで読んでいたんだ。開戦に至るまでのさまざまな出来事を見ていると、いろいろな人間模様や駆け引きがあったんだなぁって思っちゃった。ムースが読んだものは自虐的なものではなく、仕方がなく戦争になっちゃったんだって感じのものだったの。歴史が全くわかってないから、何が正しくて、何がおかしいのかよくわからないけど、ムースの受けた感じだと多くの人が戦争を回避しようと一生懸命だったんじゃないだろうかって。もちろん、強硬派はどこにでもいるわけだし、そういう人たちは戦争をしたくてうずうずしてたのかもしれないけど。それと今日読んだものからだと、戦争をするしか残された道はなかったのかなって思えちゃった。 昔、自分達が習う歴史っていうのはヨーロッパ人の目で見たもので、ヨーロッパの歴史なんだっていうのを聞いたことがあるの。そのいい例は1492年のクリストバル・コロン(クリストファー・コロンブス)によるアメリカ発見。ムースもいわれるまでは気がつかなかったんだけど、アメリカはコロンが到達する前からあったんだよね。発見っていうのはヨーロッパ人から見ての発見であって、アメリカの原住民の目から見るとスペイン人来襲になるんだよね。ここ最近はアメリカ発見じゃなくアメリカ到達ってことになってるけど。日本史は日本人の目から見ている歴史だからまだマシだけど、世界史はヨーロッパ人から見た世界史なんだよね。だから多少偏りがあってもしょうがないかなって思ったの。ムースがスペインにいたときに習ったレコンキスタ(国土回復運動)だってヨーロッパの視点で見てるけど、もし世界の歴史書がアラブ人の目で見たもので書かれていたら1度国を追われたものが再征服(レコンキスタ)を行なったなんてとんでもないってことになるだろうし。そういえばレコンキスタって今のイスラエルとパレスチナの問題と似てるんじゃないかな?そのパレスチナ問題に欧米の国がしゃしゃり出て行くのはまるで現代版十字軍遠征のように見えることもあるし。 ここ数年、歴史の教科書が問題になってるけど、今日の見たサイトに書いてあるのを読んでると、何だか戦争の歴史もアメリカによって書かれたもののように思えてきちゃって。ここのところ、もう自虐的な歴史観は捨てましょうっていう人がいることってわかる気がする。1つのものを見てもそれぞれ視点は違うわけだし、いろいろな見方があってもおかしくないけど、今まで習ったのはいつも日本がいけないってことばかりでしょ。しかも視点は1つだけ。それが故にだかどうだかわからないけど、今の世の中って謝っちゃえばいいやって感じで、何をしても「私が悪かった、ゴメンなさい」といって自分を責めはするものの、根本的な解決は一切なし。反省もせず、同じことを繰り返してるだけのように思うの。そんな気がしちゃった。 戦争が終わって今年で57年。この間にいろいろな変化があったと思う。その結果が今の日本だけど、何だかいつの間にかみんな骨抜きにされてしまったみたい。昔の人の方がすごいとは思わないけど、昔の人は自分の意思を持って行動してたような気がしちゃった。今でも自分の意思をしっかり持って行動してる人がいるけど、昔の人の方が骨があったっていったらいいのかな。何か今の人が失ってしまったものをたくさん持っていたような気がしたの。人を比べるのはよくないって先日書いたけど、これは気質のことで、個人と個人を比べてる訳じゃないので誤解しないでください。 それと歴史は繰り返されるってよくいうけど、資源もなく、食べ物も輸入に頼っている国が、日米通商条約を破棄されたときのようになってしまったらどうするんだろう?外交が上手な国だったらどうにか窮地を切り抜けていくんだろうって期待ができるけど、今の外交を見ているとちょっと期待は出来そうにないし。国民総海外脱出かな?そこで食べ物をわけてもらうか?考えてみれば、お金持ちはどうにかなるんだよね。飢餓の恐怖に慄くのはムースのような貧乏人だけか。悲しい。ただ今日読んだもののことを考えると、何もしないでのほほ〜んとしてると衰退への一途を辿るような気がするの。政治家だけではないけれども、政治をやる人は特に歴史からいろいろと学んで国をいい方に引っ張っていってもらいたいなぁ。そうじゃないと、また過ちを繰り返してしまうそうで。
話はちょっと変わるけど、今日いろいろと読んでいたらムースは松岡洋右って人がどんな人だったのかなって思っちゃった。あるHPではあんなレベルの低い人が外交をやっていたなんてよくなかったって書いてるし、あるサイトではもうちょっと客観的に彼のやったことを紹介してたし。またあるサイトでは国際連盟を脱退してしまって、失意のもとに帰国したのに、日本のマスコミは彼を英雄扱いにして、国民の感情を煽ったってマスコミ批判をしているし。ムースは彼ことを父からちょっとだけ聞いたことあったの。それは、彼が国際連盟の会合に出席したときに通訳に「よろしく頼む」とひと言告げたら、その通訳がベラベラといろいろなことをしゃべったんだって。それを見ていた他の国の人が「日本語っていうのはなんてすごいんだ。ひと言であんなにたくさんのことをいったのか」って感心したとか。でも、父の話はおかしい。だって松岡洋右って13歳でアメリカに渡って、オレゴン州立大学を卒業してるじゃない。しかも10年もアメリカにいたっていうし、国際連盟を脱退するときにも英語で答弁したらしいじゃない。自分でしゃべるのが面倒だったから通訳にしゃべらせたとしか思えない。ムースはずーっと英語がしゃべれないから外務省の人に任せてたと思ってたのに。だから日本の政治家ってダサいって思ってたのに。この松岡洋右だけど国際連盟を脱退しちゃって日本に帰ってくるとき、一体何を思って帰国したのかなって思ったんだ。今のように飛行機でひとっ飛びって時代じゃないんだから、船の中でいろんなことを考えてたと思うの。帰りにオレゴンに寄ってお世話になった人のお墓をたてて来たそうだけど、何だかそこに寄ったのはいろいろ考えていたからじゃないかな。そんなことを考えちゃった。あっ、この松岡洋右ですけど、戦後A級戦犯として東京裁判にかけられましたが、判決の前に病のためになくなってます。
今日はちょっと歴史について考えてみたけど、歴史って奥が深いね。いろいろな解釈もできるし。ヒマが出来たときにでも歴史をちょっと勉強しないと。いい国作ろう鎌倉幕府しか知らないっていったらみんなに笑われちゃうから。 |