Leonna's Anahori Journal
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その後も頭痛は続いた。
頭の後ろ側、左右の耳の間ををつなぐような形で、モヤモヤとした雲のような痛みが居座っている。痛みというよりは、乗り物酔いの気分の悪さに似ていると思うこともある。しかし、少しでもイライラしたり感情的にたかぶったりすると、雲は即座に孫悟空の額の鉄輪の形になって締めつけてくる。
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そんな状態であったので、今までのようにサッカーの試合を観ることもままならなくなってしまった。頭痛がひどくて、選手たちの動きを目で追い続けることが出来なくなってしまったのだ。無理をすると、目まいがしてくる。本当に情けないことになってしまった。
しかし、今期Jの試合でひとつだけ強烈印象に残っていることがある。もうそれが頭痛以前だったが以後だったかも忘れてしまったのだが、たしか開幕戦だったと思う。横浜Fマリノス対浦和レッドダイアモンズ。
まず、マリノスの松田がいきなり頭を丸めて出て来たのだった。ワーイ(笑) インタビュアーが“そのココロ”について訊ねたが、もちろん、彼は黙して語らない。そういう男なんだよ松田は、などと思いながら、笑って眺めていたのだった。これが、試合開始前のこと。
しかし。試合開始後は、なんてったって浦和だった。 清水から移籍して来た三都主とエメルソンのふたりが終始画面狭しと暴れ回るという、やたら派手な絵の連続だ。燃えるブラジル魂、飛び散る汗。このうえまだ後ろに闘莉王が控えているのかと思うと、思っただけでも目まいをおこしそうになる。
しかし、この程度のことで目まいなどと言っていた私は甘かった。浦和はこのほかにもまだ、とんでもないタマを隠し持っていたのだ。 試合の終盤、後方から飛び出してきて強引にボールを運ぼうとしているその男の顔をみて私は仰天した。 ……、いつ戻って来たんだ?!岡野。 なぜいま、“野人”岡野雅行なのか、わからない。 わからないけれど、面白い。
唖然としながらも、こりゃ今期も浦和から目が離せないわんと思ったという、これが私のJ開幕時における感想(というか決心)なのだった。
(その後どうしてる?岡野)
あれからいろいろな病院にかかった。
ふり出しは市の夜間診療で、そのあと総合病院の脳神経外科。その総合病院にはその後もう一度救急車で運び込まれ、運ばれる途中は何でもなかったのに、着いて注射と点滴を打ってもらい静かに横になっていたら、どういうわけか過換気症候群になってしまった。
“過換気”という言葉だけは知っていたが、生まれて初めての体験。手は氷のように冷たくなっておかしな形に固まったまんま。手足の末端から痺れが広がってきて、最後には腹も胸も顔の筋肉まで痺れてきた。ほんなこつ恐ろしかー。病院側はパニック障害だというのだが、何かもうひとつ納得がいかない。
その後、病院を変えて国立の心療内科にかかる。すでにまえの病院でCTはすんでいたのだが、今度はMRIをやってみることに。 これまた初体験だったわけだが、かかってみてビックリ。スンゴクうるさいのだ、MRIは。ガンガンバンバンと耳元で凄まじい音がする。こっちは頭痛でオミャー状態になって医者に来てるのに、これじゃまるで嫌がらせみたいじゃないか。ミャー。
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なにかの拍子にわかったのだが、どうやら私は今年、天中殺であるらしい。 はー、そうですか。天中殺。それでね。なるほど。 そうしたら、今後こういうよからぬことに見舞われたら「しゃーない天中殺だもん」と呟いてあきらめることとしようか。 それはそれで使い道だよね、天中殺の。
ところが。本日医者にかかった帰りに立ち読みをしていて、天中殺以上に嫌なことを知ってしまった。 なんでも鬼谷算命学という占いによれば、私は人によろこんでもらうことがとにかく好きで、“他人のよろこぶ顔見たさに行動してしまう”星のもとに生まれているのだそうだ。これを最悪といわずして何を最悪という。
他人なんかよろこばせてどうするんだよ。自分がきもちいいと思うことを最優先して暮らせばいいじゃないか。そういうことだから、いいわいいわでホイホイときて、最後に阿凡!でアチャパーになるんだろう。馬鹿か、おのれは! オミャー…。 私はいやーな気分になって書店をあとにした。
教 訓: オミャー状態の人間は立ち読みなどせず帰るべし。
そうさ、帰って、さっさと寝るのだ。そういえば死んだ母親もよく言ってたよ。“寝るより楽はなかりけり、浮き世の馬鹿はおきて働く”ってね。ミャー。
そして忘れもしないこの日、午前11時40分頃、私の頭がアボ〜ン!になったのだった。
はやい話がストレスつーことなのだが。(ま、ここには書けないようなことも、いろいろあった訳デス)
それでついに、とうとう、アットラスト、パンドラの箱が開いてしまったらしい。
この日以降、私は頭痛をともなう長いオミャー状態へと突入したのだった。ミャー。
2004年03月17日(水) |
内田光子とロンドン響 |
暑いうえにやたら風の強い日。 青山一丁目の交差点、ホンダ本社前の横断歩道を渡ろうとしたところ強風に押し戻されて立ち往生。
前へ進めない。押し戻されてしまう。かと思うといきなり下から突風にあおられる。チマリスもう少しで春の大空を舞ってしまうところでした。
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夜。サントリーホールでロンドン交響楽団+内田光子(ピアノ)のコンサート。
内田光子は私が愛してやまないピアニストです。クラシック、いや全てのジャンルの演奏家の中で最も好きなアーティスト。どれくらい好きかと言うと、もし彼女が男だったら結婚したいくらい好き(笑)。
八十年代の終わりに彼女の弾くモーツァルトのピアノソナタ第2〜5番のLP(まだCDではなくLPでした)を買ったその日から、ピアニストといえばミツコ、モーツァルトといえばウチダのわたくしなのです。
そういえば亡くなった安原顕氏も内田光子、好きだったですねー。以前、日曜夜のNHK教育の番組で彼女にインタヴューしてましたけれど。そのとき私、内田光子もさることながら安原氏のあまりにヒップなスーツ姿に釘付けになってしまいまして(笑)。すごかったですよねー、ヤスケン氏のファッションセンスは。(ああ、なつかしい。)
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初めて生で聴く内田光子の演奏は期待をまったく裏切らぬ、素晴らしいものでした。主役のロンドン交響楽団がまた良くてねー! 品格があって、しかも楽しい演奏とでもいうのかな。
パンフによれば内田光子は指揮者のサー・コリン・デイヴィスのことを絶賛していて「彼がモーツァルトをやるときは本当に嬉しそうにニコニコしながら指揮するんです」ということだったのだけど、本当にその通りでした。 実は今回私たちの席は舞台後方寄り左側の二階席で、すぐ足下にはパーカッション(銅鑼とマリンバ)の奏者が立っているという場所。だからずっとサー・コリンの顔を見ながら音楽を聴くことができたのです。
サントリーホールでこういう席に座るのは今回が初めてだったのだけれど、舞台に近いというのはすごい事で、指揮者も奏者も間近に見る事が出来る。内田光子の右手の指が優雅にキーの上を跳ねるのまで見えるのだ。しかも、足の裏からオーケストラの生音がガーッと這い上がってきて、膝から胸を通って頭に抜けるんですよ! もー、至福でしたわ。
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ひとつ印象的だった事。私たちのすぐ足下で演奏していたにいたパーカッショニスト氏、一曲目の『ピーター・グライムズ』で一発目の銅鑼をジャーンと鳴らした途端に顔が上気して、みるみるうちに耳の先まで真っ赤になってしまった。きっと最初のジャーンまでの緊張が一瞬にして解けた、その瞬間だったのでしょうね。 (4月某日 記す)
もうあとがない、日本×レバノン。 番組が始まると、こっちを向いて並んだ実況アナ+セル爺+ヤスタロー。三人とも思い詰めたような「ミッ」とした顔をしている。気持ちはわからないでもないけれど、可笑しい。
ま、でも、よかった。とにかく勝てたんだから、2−1で。もう一点くらいほしかったけれど、とにかく勝ち点3は手に入ったわけで。
阿部が出てくると単純にフリーキック!と思ってしまう単純な私。でも、やっぱりな。やっぱり、阿部のFKだったでしょう。 あのFK貰ったとき、蹴る前に、ボールを置く時点でもう一点貰ったような顔してたもんね、阿部は。すごく自信にあふれてて、頼もしかった。
あと、きょうの大久保はよかったですよね。二点目を決めたヘディングもさることながら、動き全体が、とてもよかった。エムレ(インテル)なみに倒されてましたけど(笑)、ああいう大久保をみるのは久しぶり。
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性懲りもなく、味噌ラーメン賭けました。
Y氏: 0−3 レバノン T氏: 2−0 日本 ゲッツ君: 1−0 日本 チマリス: 1−1 ドロー
…全員はずしてるじゃん。しかも、1−1のドローって何。(阿部クンに謝りなさい!)
日本×バーレーン。なんと0−1で負けてしまったニッポン。
でも得点差は1点だから“逆レインボー”ではあるけれど賭けはゲッツの勝ちだなと思いながら会社へ行った。ところが管理職のオッサン二人(Y氏とT氏)は日本が勝つという前提で賭けたからこの賭けはお流れだと言う。
あーらら、そうなの。でも私、今日はラーメン屋さんへ行くつもりだったのでお弁当持ってこなかったんだな。そこで「しみったれのジジグマなんかほっといてラーメン食べにいこ」とゲッツ君を誘って件のラーメン屋さん(味噌ラーメンの専門店である)へ。
大食いの私は会津胡麻味噌ラーメンの他に高菜ごはんも注文する。ついでに「日本は負けちゃったけど一点差はあってたんだからライスぐらいはおごるわよと」ゲッツ君の分も注文する。いつもそんなに食べるんですかと驚くゲッツ君。
ずっとまえにオットと二人でラーメン屋さんに入って、私が学生ラーメン、オットが普通のラーメンを頼んだら、お店のヒトは迷わずオットの前に学生ラーメンを置いた。また、居酒屋で熱燗とウーロン茶を頼むと、やはり熱燗はオットの前に、ウーロン茶は私のところへくる。それで運んで来たひとが去ったあとでササッと置き換えることになる(オットは下戸)。 …と、まあそんな話をすると、しきりに「はぁ、」とか「ははぁ〜」とか感心するゲッツ君。(感心していたのではなくて単にあきれていたのかも)
そのゲッツ君が「ところで、さっきからひとつ疑問に思ってることがあるんですけど」と言う。何?と問うたら、「ジジグマって何ですか」。
ジジグマとは“爺熊”のこと。チマリス家では年取った男性(じじむささ横溢)のことをこう呼んでいるのだと教えてあげると「おおー、爺熊!ぴったりだ、課長と部長はまさに爺熊って感じだー」と、顔を輝かせながら納得していた。
ライスに加えてチマリス用語の基礎知識まで。若者に善行を施すのって、本当に清々しいな。
2004年03月10日(水) |
ブライヅヘッドふたたび |
14日から日本で行われる五輪代表の三連戦。こんどは、勝ち/負け/ドローではなくて、得点差3点/2点/1点で賭けることになりました。日本×バーレーン、日本の負けはまず無い、勝つという前提での得点差。
で、私は3点と賭けた。ゲッツ君は1点、Y氏とT氏は2点だって。これはちょっと熱くなりそう。 --
やっと古書で入手した本のことを書き忘れていたので、書いておきます。 「ブライヅヘッドふたたび」 イーヴリン・ウォー(ちくま文庫) この本は探し始めてから手に入れるまで半年以上かかってしまった。ずいぶん前に古書で出たんだけど、値段の交渉に応じるということだったので値切ったらあっさり断られてしまった(笑)。定価でも千円近くする本だということを知らなかったために、とんだ恥をかきました。
で、その次はわりと最近、出たというのですぐに「買います」とメールしたら「店に出しておいたら売れてしまった」という返事。うわぁ〜ん、だめー、ちゃんとしまっといてくんなきゃー、と、またしても泣きわかれ。
それで先月末、三度目の正直でやっとこさ手に入れることができたわけなのです。さすがに送られてきた現物をみるまでは安心できなかった(笑)。
この本、訳は吉田健一です。舞台は1924年、英国はオックスフォード大学、(と書けば、どうして私がムキになって探したか、わかるひとにはわかるはず)です。それでいまは、読みたいような勿体つけて積んどきたいような、複雑微妙な気分。
おごってもらった賭けラーメン(UAE×日本)は、なかなか美味しかったです。
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ミラン×サンプドリア。3−1でミラン。 強いのみならず優美ささえも漂わせはじめたこの頃のミラン。
なかんずく、カカ。 こんなサッカー選手がいていいものだろか。いや、いけないだろう。 カカは人間じゃなくて、本当はカルチョの妖精なのだ。
そのカカがブラジルからイタリアへ来てもっとも印象的だったのが“雪”だそうだ。本物の雪を見たのは初めてで、雪の中を歩くとき靴の下で雪がきしむ音をきくのがとても好きだとか。(かーわいいー)
そういえばATPテニスショーでみたグスタボ・クエルテン(カカと同じブラジル人)も、ツアーでロシアを訪れたとき、同じようなことを言ってたっけ。「僕の滞在中はずっと雪でもかまわない」なんて、ひどく感激してた。
でも私にとっては、雪景色なんかよりカカ本人の方がよーっぽどファンタジックなんだけどな。 -- 雪といえば今節、大雪で延期になったボローニャ×ラツィオの試合は25日におこなわれるそうな。
昨シーズンは確か、ピッチの凍結でユヴェントスの試合がひとつだけ延期されたように記憶しますが、サッカーの試合は多少の雪では中止にならない。ボローニャはかなりの大雪だったのでしょうね。
先週の日曜日に母の三回忌をすませた。今日は義父の四十九日。 ここ数年で、葬儀、お墓、法事に関するスキルはかなり上がったように思う。
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四十九日の法要のあとで食事をしていたときのこと。 向かい側に座った親戚のおじさん二人がビールを飲みながら話している。話題は本日お経をあげに来てくださった御住職の趣味について。ちなみに二人とも千葉生まれの千葉育ち。言葉に少し外房なまりが混じる。
「たしか、水銀もしたよな」 「ああー、水銀ね。そうそう水銀。だから声がいいんだわ」
水銀? 少し考えたらわかった。水銀じゃなくて詩吟だった。 --
帰宅して、昨日録画しておいたゼロックススーパーカップ、横浜Fマリノス×ジュビロ磐田を観る。
これはマリノスかなーと思わせておいて、最後の最後PK戦で磐田だった。印象的だったのは、中山を両手でつかんで投げ飛ばした松田(笑)。今年もがむばってください(ケガに気をつけるんだよ〜)
決戦は金曜日、UAE×日本。
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我慢して我慢して、
ひたすら信じて、我慢して。
ああー、しびれましたなぁー -- だから泣きそうになってしまった、高松の一点目が入ったとき。 でもさ、応援しがいのあるチームだよね、五輪代表は。 アウェイ戦終了して、これで勝ち点7。まさに心はレインボー。
そして、またしても私、月曜日のランチはロハ(また賭けて勝ちました)
三月に入ったとたんに寒が戻って、一昨日は雪。 今日は帰宅途中、駅前の書店を出たところで降り出した。小さな雨粒のようなものはすぐに霰(あられ)に変わり、冷たい礫(つぶて)は、私のダウンコートの襟や肩に当たってパチパチと音をたてた。
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その駅前の書店で。雑誌の立ち読みをしていて、編集者の書いた短い文章からモデルの深沢エリサが亡くなっていたことを知り、愕然とする。
最近でこそ、まんま日本人顔のモデルというものが登場してきたが(ただしボディは八頭身以上)私の子供時代には、モデルといえば所謂ハーフ、バタ臭い顔に茶色い髪の毛というのが断然主流だった。 深沢エリサは私に、なによりもそのいにしえのモデル像、懐かしいハーフ顔を持ったモデルたちを思い出させる。
一昨年くらいに雑誌で彼女が自分で撮った写真(ポラロイドだったかも)というのをみたら、その中に入院中のお母さんを撮ったものがあった。そのとき直感的に、この人はけっこう重たい荷物を背負って生きているヒトなのかもしれないと思ったのだった。
(病床の母親が“重たい荷物”なのではない。その母親に対するエリサの視線に何か感じるものがあったのだが、それをいまここで上手く説明するのは難しい)
そしてそのとき彼女に対して抱いた印象は、華やかなファッションピープルである彼女のイメージと相反するものではなく、むしろしっくりくるような感じさえした。少なくとも私の中では。
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帰宅してインターネットで調べてみたら(なにしろ病気で亡くなったとしかわからないのだ)、こんな場所へ行き着いた。
深沢エリサのことは、私は、雑誌の写真でしか知らない。けれども私はこの人のことを、顔を、これからも何かにつけて思い出すのではないか。そんな気がする。もちろんそれは、現実の深沢エリサとはまったく別の、私の内部におこった個人的な経験の思い返しにすぎないのだけれど。
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