Leonna's Anahori Journal
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bk1から届いた本に追加。
「ボタニカル・ライフ 植物生活」 いとうせいこう(新潮文庫) 「ロマネコンティ・一九三五年」 開高健(文春文庫)
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ふと思いついて新潮文庫のカバーについているマークを集めてみたら、すでにかなりの枚数になっていたので、Yonda Pandaの腕時計をもらうことにしました。あれ可愛いですよね!楽しみ。(届くまで四ヶ月位かかるそうですが)
bk1からまとまって届いた本。
「よこしまくん」 大森裕子(偕成社) 「よこしまくんとピンクちゃん」 大森裕子(偕成社) 「カイマナヒラの家」 池澤夏樹(集英社文庫) 「フランクロイドライトの帝国ホテル」 明石信道/村井修(建築資料研究社) 「ウール100パーセント」 フジモトマサル(文化出版社) 「ウール101パーセント」 フジモトマサル(文化出版社) 「こうちゃん」 須賀敦子(河出書房新社) 「長沢節」 内田静枝・編(河出書房新社)
こういう時期だけに、あまり疲れずに読める本、パラパラめくって楽しめる本ばかりだった。 -- ちなみに、「よこしまくん」の大森裕子さんのサイトと、「ウール100パーセント」のフジモトマサルさんのサイトは、少し以前からリンクページに追加してある。
あと購入本とは関係ないが版画作家の片岡まみこさんのサイト、イラストレーター吉田奈美さんのサイトも楽しい。どのサイトも絵ばかりではなく文章も楽しいというのが共通点。(フジモトさんは、特に詩人です)
しかし片岡さんの版画なんかみてるとつくづく思ってしまう。ああー、どうして私は絵の才能に恵まれなかったんだろう!こんなふうに絵が描けたらなぁ、って。ああー。
イラクで解放された三邦人。彼らが「それでもイラク人が嫌いになれない」「できれば残りたい」等と語ったときに、小泉首相が記者団に向かって言った言葉。 「あーれだけ大勢の人に心配をかけて、それで、まぁーだそういうことを言うのかねぇ。」 -- こういうひとには、こう言ってやるしかない。
…アンタは親戚のおっさんか!? (もともと公私の区別のあいまいな人だとは思ってたんですが…)
2004年04月10日(土) |
イラクの邦人拘束事件 |
この時期、世間の話題といえばイラクで3邦人が人質にとられた例の事件だろう。
で、拘束された人たちの安否がわからず、身内の人間にしてみたら居てもたってもいられない気持ちのときに、バッシングというのか、批判的な意見(対身内含む)がどこからともなく聞こえてきた。
いわゆる、世間の声。言うは易いことを、易いがゆえに平気で口にして、はなから責任とる気もない、だいたいそんなこと言われっこないんだからってんで、いくらでも思ったことが言えちゃうという、つまり、昔ながらの“世間”の声。
これ、多分発信元はインターネットだよね。こういう、昔だったら腹の中で思いはしても口に出すのがはばかられるようなことが、平気で表に出てくるっていうのは。きっと、ネットだと思うな。
つまり、こういうのって、昔からあった感情なんだと思う。人間が抜きがたく持っている、でもこれまでは表にでることのなかった醜さ。それが、インターネットという匿名性の高いメディアの発明によって顕在化してしまった。
だから、最近の日本人が急に底意地悪くなったわけでもないと思うんだな。いままで隠しおおせてきた(キタナイ)ものが隠しきれなくなったというだけで。 -- そりゃたしかに、なんでこの時期にイラクなんだよとは思ったけどね私も。なんで、いまのいま、劣化ウラン弾のことを調べなきゃなんないんだ、とかね。イラクに関心があったり、イラクに詳しい人なら、そのあたり普通以上にわかっててもいいはずじゃないの?とも思った。 でもジャーナリストのひとが、この時期だからこそ行かねばならぬと思うのはむしろわかる気がするしねえ…。
だから十把一絡げにして“自己責任”て言葉で裁こうなんてのが、そもそもの間違い。でも責任のない(顔もない)世間は、そんなときこそ声を強めて言いたがるんだよ「自己責任!自己責任!」て。
だからね、そういう「なんでこんなときにイラクになんか行ったんだ」って、別段自分が迷惑被ったわけでもないのに偉そうに言うやつには、言ってやればいいのさ、「なんでこんなときに、お前に追求されなきゃならないんだ」って。「いまこのときがどんなときだか、わかってないのはアンタだろ」ってね。
(ま、顔のない奴に意見なんか出来ないってのもあるけんだどさ)
2004年04月08日(木) |
よみがえる愛聴盤(1) |
音聴箱がやってきたことでお気に入りのアナログ盤が再び日の目をみることになった。それらのレコード達についての覚え書き。
-- ■コパカバーナ/サラ・ボーン
このディスクについてはこれまでにもたくさん書いたので今回は割愛。でも、ひとつだけ。もしかしてこのLPは未だCD化されていないのかしらん?私が店頭で探した限りではみつからなかったのだけれど。もしそうだとしたら何故?こんなに素晴らしい歌がいま普通に入手できないのだとしたら、それはあまりにも勿体ないと思う。 ■JAZZ at the PHILHARMONIC/ビリー・ホリディ
ずっと昔、ビリー・ホリディというひとのことが知りたくて買った。A面がライブ録音、B面がスタジオ録音で全14曲。「ストレンジ・フルーツ」「ボディ・アンド・ソウル」「ザ・マン・アイ・ラブ」等々、彼女の代表曲、有名曲が目白押し。こりゃお得な一枚だわいと思って買ったのだったが、実はコレ、世間様ではいわゆる“名盤扱い”されていたらしい(ずっとあとになって知った)。とにかく二十代の初めから終わりまで、繰り返し聴きに聴いたディスク。邦題“ビリー・ホリディの魂”。
冒頭、ジャズクラブの客の前に現れたビリー・ホリディが「ボディ・アンド・ソウル」の前奏中に二回咳払いをしてから歌い始めるところ。そして、その彼女をあたたかく迎える聴衆の拍手。「確かにこのとき彼女は熱烈に愛されていたのだ!」という思いがこみ上げてきて、何度聴いても胸に迫る一枚。 ■モーツァルト ソナタ第2〜5番/内田光子
やはりずっと昔、モーツァルトを一度きちんと聴いてみようと思い立って買った。とはいうもののお店には数えきれないくらいのモーツァルトのピアノソナタが売られており、誰のどの演奏が良いのだか悪いのだか、皆目見当がつかない。
ではなぜそれらあまたのディスクの中からこの一枚を選んだのかというと、それは、えー“霊感”です(笑)。ジャケットに写った内田光子の顔をはじめて見た瞬間、「このオンナこんな顔して、これでもし演奏がアチャパーだったら詐欺で訴えるよ」と、ナゼか思ったのだ。購入店はたしか新宿紀伊国屋書店二階の帝都無線だった。
果たして、家へ帰って聴いてみると、清潔で硬質で、でも核にやわらかい花のような愛らしさをチラチラと感じさせる演奏ぶり。「うんうん、これでいいのだ。はずしちゃいなかったぜ」と頷いたあの日以来、ずっとワタクシ、内田光子の味方なのです。(モーツァルトなら内田!) ■ショパン ピアノ協奏曲第2番、ポロネーズ第5番嬰ヘ短調/イーヴォ・ポゴレリチ
モーツァルトが内田なら、ショパンはポゴレリチ!これチマリスの常識(笑)。1980年のショパンコンクールで落選、この決定をめぐって審査員の退場など抗議行動がおこり、一躍有名になった“天才児”ポゴレリチ。しかも彼の自由奔放、天衣無縫ぶりは演奏スタイルのみならず服装にも顕著だったようで、他の出場者が普通に黒のタキシードを着用する中、なんと革のズボンにヒラヒラブラウス、シフォンのスカーフといういでたちであらわれピアノを弾いたとか(イヤッホー!)。そういうブラボーな天才児の演奏っぷり、実際のところはどうなの?と興味津々で買った一枚。オーケストラはシカゴ交響楽団、指揮はクラウディオ・アッバード。
で、ポゴレリチの演奏はというと、この人、ほんまもんの天才なのね。すごく先鋭だったり意表をついたりする演奏は人を驚かすためではなくて、自分でよくよく楽譜を読み込んだ結果なのだと思う。技巧的にもすごいものを持っていることは私のような素人の耳でもわかる位だけれど、でもテクニック至上主義が陥りがちな冷たさはなく、むしろ熱々という感じ。つまり、音楽そのものに対するなみなみならぬ愛情を感じさせる演奏だった訳です。こうなりゃもう、私のハートは彼のもの(笑)
お気に入りをあげるなら、ショパンの作品のなかでも、特にポロネーズ。これは私、いまだにポゴレリチの演奏じゃないと満足できない。彼の演奏は非常に強くて、かつユニークだから、耳に聴き癖がついてしまったのだろう、きっと。
なおこのディスクで棒を振ったアッバードは、この数年後にカラヤンの跡を継いでウィーンフィルとベルリンフィルの指揮者にダブルで就任、指揮者としてのキャリアを上り詰めたひと。地味な印象の人だとしか思っていなかったので、そのニュースを聞いたときはエッと思ったけれど、あの破天荒ともいえるポゴレリチとオーケストラの間をとりもって美しくまとめあげた手腕を思えばそれもむべなるかなと、後々深く納得したのでありました。
-- しかし、こんなことをつらつら書いていると、仕事休んでレコード聴いて、けっこう楽しく暮らしていたみたいな、何だか自分でもそんな気になってくるから不思議なものです(笑)
あとまだ4、5枚、書いておきたいディスクがあるので、(2)に続きます。
2004年04月07日(水) |
音聴箱(おとぎばこ) |
たしかこれくらいの時期(四月上旬)だったと思う。“音聴箱”(おとぎばこ)という名前の卓上型ステレオを買ったのは。
もうかれこれ十年以上も聴きたいと思いながら聴けないままになっているLPレコードが何枚かあって、そのうちにちゃんとアナログプレーヤーを繋いで聴けるようにするんだ、するんだ、と言い続けているうちに時間が過ぎてしまった。
それがなぜか、この四月に思い立ってネットで検索、即注文したというわけなのだ。休職して家にいてもなんだか所在なくてイライラするばかりだし、何をしようとしても頭が痛い。サッカーも観られない。それで、せめて音楽くらい好きなの聴きたいわ!と思ったのかもしれない。
“音聴箱”のことはこれまでも何度か家電売り場で実物を見ていたし、買おうと思ったこともあった。でもこれだけアナクロな商品にしては少し高いんじゃないかと思って踏みとどまっていたのだ。それが調べてみたら、これならまあまあという値段で手に入ることがわかったので注文してみた。
“音聴箱 GP-38”についている機能は、レコードプレーヤー、CDプレーヤー、カセットデッキ、FM/AMラジオ。リモコンはついておらず、電源とボリューム、ラジオのチューニングはつまみを回す式。音質の調整も出来ない。レコードプレーヤーにはオートリターン機能がついていないので、針を戻すのを忘れると、レコードはいつまででも回り続けている。
それでも私は、けっこうこの“音聴箱”が気に入っている。レトロな外観も好みだし、それに箱から出してコンセントに繋げば即聴ける、音が出るというのが、何より私向き。(コクーンなんかだとこうはいかない!)
これで、やっと(本当に、やっと)サラ・ヴォーンの『コパカバーナ』を聴くことが出来ました。今年は冷房なし&アナログプレーヤーで、懐かしき“昭和の夏”を満喫します(笑)。
これが音聴箱。上に置いたLPジャケットが『コパカバーナ』。
頭痛、目まいときて心配になるのは眼圧のこと。私は緑内障をもっているので一応かかりつけの眼科で診てもらうことにする。
診察の結果、幸い視力、眼圧とも正常だった。意外に視力が出ていたので「見えてるじゃ〜ん」という感じで、ひとまずは安心した。
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帰りについフラフラと入ってしまった書店で購入した本。 「百禁書」 ニコラス・J・キャロライズ他(青山出版者) 「サブカルチャー文学論」 大塚英志(毎日新聞社)
どちらもページ数の多い、ずっしりと重い単行本。 立ち読み時にはやたら興奮していたのに、家へ帰って読もうとしたらけっこうアタマ痛くなりそう(比喩的な意味でも)な感じだったので、あらららーとなった。(だから、立ち読みは駄目っつったじゃん!)
それからもまあいろいろあって、結局、休職することになったのだった。 しかし、オミャー状態で会社を休んでいる人間がこういうサイトに入り浸っているというのは、客観的に見てどうなのだろうか。 (ううう、目まいする)
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