仕事から帰ってきて、買って来た弁当食べて、ポットのお湯が沸騰するのを待っていたら……。 ……落ちてた。 体調の悪さでの最近の様子に、周りの目も訝しい雰囲気になってきてる? 結局の所、仕事でも私生活でも自己管理の出来なさ過ぎ、に行き着くんだろうきれど。たまに、ではない、毎日毎日の一日を過ごすこの重さは、結局自己満足の世界の範疇にしか過ぎないのかしらん……。 最近、じっとしているとゆっくりと、体が揺れているような感覚がする。 「地震? 貧乏ゆすり?」と、見回してみても違う。 体の中で、重心が左右に振幅している感じ。重力とかに身を任せている時のような感覚……。 これって、やばい???
今日は昼まで眠り、午後から会社へ。 夕方まで仕事をし、その後東京タワーのふもとまで……。 大雨の中、部屋に帰ってきて、ついうとうとと。 目が覚めたら、スマステで帝国ホテルの特集をやっていたのをかすかに憶えている。 ぼーっとした頭がようやくはっきりしてきた頃、ふと「明日は日曜? 月曜?」とわけがわからなくなっていた……。 携帯の日付を確認して、まだ一日のうちにいる事を飲み込んで、でも、どのみち明日は午後から会社だし、そういえば、まだ晩御飯食べてなかったっけ……と、とりとめなく思考がグルグル。 雨に濡れて部屋着に着替えていたのをまた着替え、晩御飯の買出しにいく。 すっかり雨は止んでいて、薄い雲の向こうに青白い月が浮かんでいた。 月との間を足早に雲が走り抜けていく。明日は晴れだ。そういえば、とりとめもなく、こうやって頭の中で次から次へと、話題や舞台がころころ変わりながら、自分主人公のストーリー(妄想?)を駆け巡らせるのって、最近とんとなかったなあ、いつも見知らぬ誰かが、自然に自分になっていて、てことばかりだったしなあ、と、頭の中でものすごく長い独り言をこねくり回しながら、ちょうどそう、いまのこの一文で句点(、)だけでだらだらとありえないくらい非文法的な文を書いているような、感じだった。 昨日までの寒さは全く無く、Tシャツにセーターにコートを羽織るだけで、充分歩ける夜。 はたはたとコートの前を両手であおりながら、月とにらめっこ。 そういえば、ミステリってどうやって書くんだろう。 ここ数年、わざと避けるようにして読んできていないから、さっぱりわからん。 よく「トリックありき」といわれるけど、最近はどうなんだろう? さらに短編ミステリって? そういえば、グインの外伝出てたね。ナリスの事件簿2だって。 参考にしてみますか……。 近所の乱歩でコーヒー飲みながら、篠原さんを聞きながら。 そう、篠原さんを聞いている時、決して目を閉じて彼女自身が歌っている姿を想像してはいけない。その瞬間、心と体が揺さぶられ、どうしようもなく感動を元とする、えもいわれぬ湧き上がってくる感情に打ちのめされてしまうから。
……ぐちゃぐちゃな内容になってしまった。
この時期、出版社各誌を見ていると、いわゆる公募締切の時期になっているものが多い。 そうなると、なんとなく「どんなもんかな?」と気になって応募要綱を見てしまったりもする。 規定枚数を見てみると…… 各社で多少ジャンルでばらつきはあるけれど、選び様によっては決して手が届かないものではないような気も……。もちろん、あくまでもボリュームに対してのみ、であって、実力という最も重要な問題は棚に上げておいて。 とはいえ、幾つか長編を並行して描いていこうかな、と思い始めた。 一つ目は昨年の夏から手をつけてるもの、二つ目はオムニバス形式の短編集、三つ目は……まだわからない。 前二つは今までのスタンスで続けてゆけるだろうし、三つ目以降は……。 とにかく、自分の描き方が正直迷っている状態に近いので、どれが一番自分に合っているのか見つけなければいけない。一人称を無理に変える必要も無いし、風景によって自然に使い分けれるようになればいい。もちろん慣れるためにとにかく書くことも必要。 書くだけでなく、読むことも。 仕事もおろそかには出来ない。当たり前。 せっかく、ナルコのおかげで授かってるのかもしれない(?)能力だから。 (しかし、そのわりには夢を全くといっていいほど、見ないんだけどね……) マイナスをプラスに変えてゆかなければ。
「笑顔」 自分の事は棚に上げて、 その人に求めてばかりいる……。 笑顔で素敵な人になるには、それ相応の努力が必要なんだからね。
素敵でいて下さい。 その努力の種は、きっと育ってる。 誰かの胸に中に、しっかり根付いている。
最近、馬鹿笑いをしている自分に気が付いた。 あ、笑ってるじゃん。 声を上げて。 手を叩いて。
キミの笑顔には敵わないけれど、 マネして笑ってみる事にするよ。
2006年01月08日(日) |
手にしても手にしきれない風景 |
昨年十一月半ば辺りにふと浮かんだ光景があった。 でも、なかなか捕らえられなかった。 手を伸ばそうとする度に掻き消えてしまい、ただずっと、夜空に浮かぶ月の姿しか見続けることが出来なかった。 少し見えては、描き。また少し見えては、書いてしまっている、これは違う、と消して、の繰り返し……。 それが、やっと描くことが出来た。 ひと月半、始終考え続けていたわけではないけれど(考える段階の前で、考えるべきではない段階が大半だった)、丁度良いタイミングで描けた。 もどかしかった……。 動かない風景を無理に動かしたところで、それは全くかけ離れたものになってしまう。昨日の「形にならないもの」ではないけれど、言葉にならないものを無理矢理思いつく限りの言葉を並べてみたところで、並べるほどに的外れなものになってゆく。 なんとか描き上げたと思っていても、見返すほどに、何かが足りない、何かが違うような気がする。それは、一文一語一字であったり、流れであったり、覗いている窓からの角度だったり……。 それでも、原風景になるべく近いものにしてゆく。 はがゆさと、もどかしさと共に、充実感と、爽快感の満ちた時を過ごす。 気が付けば、あっと言う間に四〜五時間が過ぎて行く。 こんな時間は、他の事では得られない。 自分にだけ許された時間……?
隣の席での会話。 「建築って贅沢だと思うの……」 同業者らしい彼女が言うには、他の美術品は単体で価値や魅力が得られる。でも建築は違う。歴史や文化や風土があって、だからここにこれがあるんだ、と複数の背景が融合して初めて価値や魅力が得られる。 「分業化でランドスケープ屋さんが入って、設備屋さんが入って……、でも一人で全部やりたいの。大変だけど」
「形にならないモノを形にしたい」
彼女は、そう言っていた。 難しいテーマ。 形にならないモノは、極論、形になり得ないからこそ、その流動的な本来の意味を失わずにいられるのだと思う。だけど、敢えて形にしようともがき続けるからこそ、人間はあくなき前進をしてゆける。
形にする、とはどういう事?
イメージを直接的に外形に表現するのか。イメージをそれぞれが持ちこめる空間をのみ提供するのか。 どれも方法で、それぞれだと思う。 尖ったモノが攻撃する為のモノなのか、身を守る為のモノなのか、見るものそれぞれで違う。
形にならないモノを、今は言葉で伝えようとしている。そのものズバリという言葉は存在し得ないだろう。 だから、今もこれからも、幾つも言葉を綴り続ける……。
さて、正月三が日も終り、年越しとこの休みの間でひと息に小説を進めるぞ! と思いきや……。 持ち帰った仕事納めに収まりきらなかったお仕事すらまともに手をつけられず、地元の友人達との再会しか果たせなかった竹です。
本を読む時間もやっと東京へ帰る電車の中で確保し、読みきった……。 重松 清さんの、
「流星ワゴン」
この作品は、正直、ヤバイ、です……。 自分のことを、とにかく、棚に上げて話をするならば、是非、誰かに薦めたい本。
内容に触れると、とても自分の耳が痛い内容のお話で……。
事故死した親子が、家族や妻との絆の崩壊に疲れ果て、そこにいる自分の「生」の意味を諦めた「父」を、自分達のワゴンに乗せて彼の過去を巡る。それは本人が気が付かなかっただけで、実はとても重要な分岐点でもある。やがて同乗者に、自分と同じ年の自分の「父親」が加わり、二組の親子を乗せたワゴンは、やり直しの旅の終着へと向かってゆく。 「過去でのやり直しは、結局現実には無かった事になるんですよ」 「じゃあ、現実を変えたくてやり直しても、それは無駄な事ってことですか?」 「重要な分岐点だったことを知らずにいるのと、知っているのと……。何も出来なくても、その事を知ることが、重要なんです」
三組の親子が登場する。 事故死した親子と、主人公の「父」とその息子と、主人公の「父」とその「父親」。 必死に親子の関係を築こうと父親が努力していた親子と、円満な親子関係を築いてきたつまりだったが実際は失敗してしまっていた親子、そして、すっかり崩壊してしまっていた親子。 実際には何も変わってはいないはずの「やり直し」の意味を理解した上で「父」自身の導き出す答え……。
身内からの耳の痛いお話は、とりあえず耳を塞がせて貰って。 「父親」と「父」は、『朋輩』と言う関係で初めて、理解し合える。 父親はいつまでたってもやっぱり父親であって、決して同じ立場に肩を並べる事は出来ない。 だから、『未来である現実を知らない、同じ年同士の朋輩としての父親』という形が必要になる。
うだうだ言っても、伝えられないものが、この作品には、ある。
「知る」ことと「わかる」ことの違いは確かにある。が、せめて知ることはできる。あとは、「わかる」ために時間を積み重ねて行くだけ。 作者は、父親になった息子である今だからこそ、書けた作品。と言っている。
父親でも、息子でも、一読する価値は十分ある作品だった。
……少しだけだけど筆も進めたし、新年の休日として駆け込みで英気を養えたかな?
名古屋の真友が地元に帰郷。 奥さん、赤ちゃんの息子さんとも会ってきた。 大した母親、父親、ぶりだった…… なんだか不思議な感覚。 小学校一年から知っていた仲。高校以降は別々でも、何かにつけずっと顔を合わせてきた。 それぞれ違うとわかっていても、昔の感覚でいられる間柄。 気が付くと彼は夫であり父親になっていた。 オムツを替える後ろ姿を、ほのぼのと眺めている自分。 ひょっとすると、自分も同じようになっていたかもしれなかった風景。 でも、結果的に今は独り。それで良かったとも思う。今の自分とタラレバの自分とのギャップ。 目の前の幸福の原風景。 好々爺然と見入ってしまったって、いいじゃない。 お正月なんだもの。
2006年01月01日(日) |
新年明けましておめでとうございます |
明けましておめでとうございます! 振り返れば昨年はまさに「ヘビー」な年でした……。 浮き沈みの激しい、波乱万丈と言うに相応しい。 ナルコの暴発(?)、短編小説の入選……公私共に環境が一変。 本年は、昨年のそんな中でかろうじて見つける事が出来た足がかり的な物を生かし、一歩ずつ前に進んでゆくエネルギーに転換してゆけるよう頑張るつもりです。 一度の入選に満足せず、「まぐれ」ではない力を付ける! 自分自身との歩幅を、しっかり確認しながら、二人三脚の紐を結び直す! 何の気紛れか、ここを訪れてくれている皆様に、深く感謝の気持ちを込めて。
本年も、どうぞよろしくお付き合いくださいませ……。
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