2011年12月28日(水) |
「どこから行っても遠い町」「海洋天堂」 |
川上弘美著「どこから行っても遠い町」
たしか読みはじめたのは、一ヶ月以上前である。
なんてことはない、ただの普通の厚さの文庫本である。
とある町の少しずつ関わりを持ちあう人々の、それぞれの話を書き連ねた短編集で、継続的に読み進めていれば、
ああ、この人のこういうことか。
と深く味わうことが出来る作品であった。
しかし。 いかんせん。 今回のわたしは違った。
途切れ、千切れ、 千切れ、途切れ。
前回読んだ内容など朝露の如しであった。 そのせいかと思うのだが、今までの川上弘美作品の感触とはまるで違って思えたのである。
極甘のわたがしのような濃霧。 しかし触れてみると、するりとその手を飲み込んでゆく。 その濃霧のなかを抜けた先が、きっと望む世界や場所なのだろうと手探りで進んでゆく。
わたがしのような真っ白な世界は、ひと足ごとにあまったるさをまとわりつかせてゆく。
そのだるさと煩わしさと手応えこそが本当の主願であり、霧の向こう側に抜けたところでなんの目的もないことに気付くのである。
つまりは、読んで何かを得るのではなく、読みながら感じていることこそが、川上弘美作品の醍醐味なのである。
本作品は、さほどおもったるくない。 だからこそ普通のひとにも読みやすく、わたしなどの濃い味好みのひとにはもの足らないように感じるかもしれない。
ようやく一冊、横積みの文庫の山が減った。
投げ出してなるものか。
意地である。
平積みは平積みとして、次々と本を買ってゆく。 もはや買うことでストレス解消しているようなものである。
さて。
「海洋天堂」
をギンレイにて。
ジェット・リーがアクションの全くない、人間ドラマ作品に出た。
自閉症のひとり息子・大福(ター・フー)とふたりきりの暮らし。 そんな折、末期の肝臓がんであることがわかる。
大福の面倒をみてくれるひとなどいない。 そうなれば生きてはゆけない。
いっそ、一緒に死んでしまおう。
海に投身自殺を試みるが、泳ぎが得意だった大福が重しの紐をほどいて助かってしまう。
それならば、大福がひとりでも生きてゆけるように、生活に必要なことをひとつひとつ教えてゆこう。
そうして、大福との残された時間のなかで暮らしてゆくことを選ぶのであった。
ジェット・リーといえば、わたしはどうしても、「リー・リンチェイ」だった頃を思い出してしまう。
中国全国武術大会優勝という華々しい才能を持ちながら、その「天才」がゆえに挫折を味わい、しかし見事に復活した。
そのリーが、アクションなどまったくない完全人間ドラマで、演技力で勝負である。
作品中、完全に単なる「おっさん」である。 自閉症の息子をあやし、向かい合い、ときに苦しむ。
しかし、大福役が、さらに素晴らしい。
いやいや 、それ以上にわたしが目を奪われた存在が、ある。
こころを
奪われて
しまった。
鈴鈴を演じた、グイ・ルンメイである。
台湾のトップ女優らしい。
そうか。 台湾へ、ゆこう。
に、にんはお。 うおー、あ、あ、あ。 あい、にー。
これで挨拶の言葉もバッチリである。
2011年12月23日(金) |
save the last dance for me? |
気がつけば新年まであと七日間ばかり。
目の前にクリスマス三連休が待ち受けていました。
今年は本当に、色々ありました。 とくに十月からこちら、その中でも十二月はとてもとても色々なことがありました。
わが社の設計グループは、少人数ながらも、集合住宅、一般施設、BIM(+一般施設)の三つのチームに別れています。
わたしと大分県は火田さん筆頭のBIMチームの所属になります。
各チーム両手で数えると指が充分余るくらいの人数で、社員にかんしてはE・Tの右手だけで間に合ってしまいます。
つまりは派遣や外注さんにきてもらって、なんとかやりくりして日々の業務をこなしているのです。
自転車どころか一輪車操業の状態です。
集合住宅チームは、少しきな臭い様子ではありました。 しかしわがBIMチームはまさに大炎上状態だったので、対岸の火と用心される側だったのです。
こちらが沈静化しだした頃、川風に火の粉が混じりはじめていたのが露見したのです。
「こちらの業務を、とめます」
火田さんが大分県とわたしだけを打合せテーブルの隅っこの方に呼んで、伏せ目で宣言しました。
沈静化したとはいえ、乳飲み子がいようが、新婚で旦那さまを食事を用意して待ってなければなかろうが、申し訳ないが皆さん終電で帰ってからにしてもらえないか、という状況が多少改善されはじめたくらいだったのです。
大分県の仕事はこれまでの経緯で、先方にそんな事情を話せるはずがなく。
「竹さんの方の仕事をとめて、みんなであちらのヘルプに入ってもらっていいかしら?」
ですよね。 そうなりますよね。 まあ先方には、ちょいとスンマセンて言えば、まあわかってくれると思うので。
「年末までらしいから。全部受けないで、調整して」
そんなわけで、繁忙度は多少の鎮静はありつつも延期されてしまったのです。
すったもんだでわたしが内容を相談する集合住宅チームの担当者は、四郎くんでした。
わたしが前にいた会社から出向してきている知った顔です。 なので、
「やだよう、そこまでやりたかぁないよ」
と平気の平左衛門で「軽ぅく」言えてしまいます。 それがもし大分県だったら、遠慮してそんなことは言いづらいでしょう。
そういう意味では、わたしは「あ、かるいスタッフ」(a right staff)かもしれません。
しかし、それでも忙しいのは変わりません。
大森の田丸さんが、木曜日に最後の勤務を終えてしまいます。 だから、是が非でもその日に行って、お疲れ様でした、と伝える予定でした。
「今日は悪いけれど、医者に行かなければならないから七時になったら帰るから」
四郎くんに伝え、わたしの主だったスタッフらに宣言していたのです。
ああ、わたしの生来の「間の悪さ」が、やはりそれを許してはくれなかったのです。
「あれ、なんでまだいるの?」
四郎くんが八時過ぎに、まだまだ帰る気配がないわたしに気がついたのです。
「うん、帰れへんねん」 「医者じゃなかったの?」 「……行かれへんねや」 「別に行ってもらっててもよかったんだけど」
割り振っていた新人の作業が、ことのほか進んでいなったのです。 四郎くんに、ここまでは進めてあるから、となど言えないくらいです。
四郎くんがよくとも、スタッフの取りまとめ役のわたしがよくありません。
「しゃあないねん」 「ま、よくあることだけど」
四郎くんは騒がず、周りに広がらぬよう、慰めの言葉をくれました。
ああ、今日は行けませんとか、わざわざ電話するわけにもゆかないし。
わたしはいつも、予約をしているわけではないのです。
木曜の夜にだいたい二週間毎に行きますから、とわかってもらっている前提で、行く直前に「これから行きます」と電話するだけなのです。
時刻が八時半を過ぎました。 閉院の時間です。
はあ。 田丸さんに何も言わずにお別れになってしまった。
それなら電話してしまいなさい。
と思われるでしょうが、そこは看護師と患者という立場を守ることに意地を保たなければなりません。
(ブルルル、ブルルル)
携帯が振動したのです。
「どうしたの、来なかったじゃん」
イ氏からでした。
「田丸さん最後だったんだよ? 話さないでいいのかい?」
あ、ちょっと待って、とわたしの返事を待たず、
「おーい、田丸さーん。いるー?」
いや、そんな、わざわざ、心の準備がまだ、
「竹さんだよー、おーい」
イ氏の遠い声が受話器の向こうから聞こえてくる。
電話で話すなどはじめてのことです。 何を話せばよいのか動転したままで、「お疲れ様でした」しか口にしていなかったかもしれません。
ああ、デートのひとつでも誘ってみればよかったかもしれません。
田丸さんはなんと、業界主催のビジュアル大賞三位を受賞していたのです。 その副賞としてメーカーのモデルもつとめることになるらしいのです。
「息抜きに教室に来てくださいね、待ってますから」
息抜きではなく、骨抜きです。
江古田駅のホームでダンス教室の窓を見上げる役所広司さん(shall we dance?)の姿が脳裏に浮かびますが、せめて周防監督の側の道を行きたいものです。
2011年12月12日(月) |
「人生、ここにあり」 |
「どうしたの、その目」
右まぶたが、あつぼったくわたしの顔の右半分を支配していたのである。
「ものぉ、もらっちゃったみたいですね」 「仕事はもう、いらないって?」
金曜の夜十時である。 大分県が体調不良で休んでいたために不在だが、我がチームは火田さんをはじめ、ほぼ全員がまだ帰らずに揃っている。
「それならウィンクできるんじゃない?」
わたしはウィンクとは遠縁の男である。 なるほど、片目がなかばつむってる状態ならば、もはや容易くできるに違いない。
(ぱ、ちり)
「なぜ、よけたんですか?」 「あ、ほらほら、反対でもやってごらんよ」
(ぱ、ちり)
「くち、くち。口が歪んで開いてるって」 「ていうか、両目つむってるって」
皆から散々ないわれようである。
「明日、眼医者にいったほうがいいよ」
土曜なら開いてるでしょう、と火田さんが気の毒そうな目で申し付ける。
火田さんと打ち合わせしている最中もずっと、右まぶたをつむってしまわぬよう人差し指で持ち上げながら話をしていたのである。
眼科なら部屋のお向かいさんで、歯医者の予約ともやりくりできる。
よし、では土日はお休みだ。
勝手ながらそう決めた。 年末を目の前に、それくらい目をつむってくれるだろう。 つむってるのはわたしのほうなのだが。
「人生、ここにあり」
をギンレイにて。 1983年イタリア。精神科病院を廃止するバザリア法が施行されたなか、病院を追い出され行き場をなくした患者たちは「協同組合」に身を寄せていた。
そこへ熱血が裏目に出て転属させられたネッロがやってくる。 精神病とは無縁の、いたって普通の男である。
協同組合の仕事とは、切手張りに宛名がき、生産性に欠けるものばかり。 しかし、その切手の張りかたにネッロは芸術的感性をみつけ、
「社会で働こう」
と皆を社会へ連れ出す。 「寄せ木づくり」の床張り会社を立ち上げるのである。
廃材からモザイクの材料を切り出し、それが評判にもなり、注文も集まってゆく。
薬の副作用で悪影響が出ていたのを、量を半分に処方してもらい、皆も快活になっていた。
社会に出れば、恋のきっかけも、ある。
しかし彼らはそれまで、病院に薬で押し込められ、また引きこもっていたものたちである。
仕事が順調になり、一ヶ月無給で働けば地下鉄の各駅に寄せ木張りの自分たちの仕事ができるビッグチャンスがやってくる。
給料がないのはイヤだ。 おしゃれな洋服を買いたい。 デートできないなら残業なんかするもんか。
協同組合は、すべて組合員の協議による多数決で決めてきた。
社会にでることも。
薬量の半減、何より社会に対する前向きさ、自信、それらを手にいれてゆく彼らだが、社会で普通のひとと同じ認識で暮らしてゆくことは難しい。
彼らはやがて、大きな壁にぶち当たってしまう。
越えがたい壁と、深く口を開けた自分たちのなかの断崖を前に、それを乗り越え、渡ることができるのだろうか。
ネッロは、彼らにただ束の間のかりそめの夢を見せただけだったのだろうか。
やはり、わたしは「ギンレイ・ホール」を愛してゆ。
観たくても予定が合わず観られなかった作品を、こうしてかけてくれる。 もちろん、たまに興味のわかないものがあったりもするが、八割から九割がた、わたしが観たい、観てよかった、という作品ばかりである。
適度にミーハーで、しかし普通のひとが何より観たいとまでは思わないで済ませてしまうような、絶妙な名作加減。
シネコンなんかでは絶対にかからない。
それが週に一本のペースで観られる。
歩いて観にゆける。
もう、最高である。
久しぶりに味わった休みの実感。
例え一日丸々寝て過ごしてしまって何一つまともに片付けられなくとも、このような幸せがあるから日々を過ごしてゆける。
我が人生、ここにあり。
ず、ずいと顔を寄せられて、真顔で言われたのである。
「三、四時間しか寝ないひとに出すのは、なんか違うんだけどさ」
健康者が「それでも、昼間居眠りせずにいたいので」とやって来ても、決して出してもらうことはないものなのである。
八時間寝てもそうなってしまうからこそ、わたしはそれを出してもらいにやってきている。 しかし、実際は普通のひとでも居眠る「三、四時間」しか寝ていない。
「ホントに、三、四時間なの?」
わたしを疑う声ではなく、わたしが言っていることを、念を押して確かめる口調である。
これまでの共感や慰めとはうってかわり、否定的な問いかけである。
本当にいい加減にしなよ。 なんでそんな生活になる仕事なんかやってるの。 いっときの忙しさなら目もつむるけど、一ヶ月二ヶ月続きっぱなしなんて自殺行為だよ。 そんな自殺したがってるようなひとに、僕は手を貸したりなんかしないからね。
みなまで言わせるな、とイ氏がチリチリとわたしの目を覗き込む。 もとより。 死ぬ気なんかないし、死にたくなんかあ、ないですよ。
まじまじとわたしは見つめ返す。 チリチリとまじまじが、中間のあたりでお互いにそわそわと行き場を探しはじめる。
「じゃ、いつも通り出すけど」
そこへガラガラと戸を開けて田丸さんが入ってきた。 やれそこだ、とチリまじが行き場を見つけ、一目散に逃げ出してゆく。
戸を開けたら漂っていた意図的な何だかわからない部屋の空気に、わけのわからない田丸さんはわからないからこそ気付かない素振りで、銀のトレーに受け取ってゆく。
「できるできないや、やるやらないじゃなくて、向き不向きの問題だよ、それはもう」
時間がきっちり決まっているものや、時間の融通を自分の自由につけられるもの。
言っても簡単には変えられないのはわかってるけどね。 だから、言い飽きないようにあまり言わないけど。
ああ。
田丸さんと顔を合わすのももうあとわずかしかないというのに、こんな「どうしようもない」世界に付き合わせてしまった。
最後まで健やかな時間のまま、過ごしたかったところである。 しかし、そうは問屋が卸してはくれなかった。
「はい、それじゃ」
イ氏は素っ気なく、わたしに手を振る。 「やあいらっしゃい」の友好を示すような手振りではない。 「もう用が済んだから」というぞんざいにも見える手振りである。
これは、凹む。
最後のわたしがとっとと帰らなければ、田丸さんが時間通りにあがってダンスの練習にゆけないというのはわかる。
この二ヶ月ほど、読み終えた本などないのだからあれやこれやと話せるネタもない。
早々に退散すべきである。
仕事はどうにかピークを越え、徐々に落ち着く予定ではある。 しかし、切り盛りする社員の数が足りない。
大分県とわたしのふたりではとても足りず、グループの売上を、質を落とさずにあげてゆくなど、無理がある。
わたしは元来、定時にあがってちまちま読み書きして、九時には部屋へ帰って納豆ご飯を食らい、ぼおっとつつましく過ごす日々こそを求めているのである。
両手指の皮も、三回剥け変わった。
もうもはや、これではおなごと手すら繋げないではないか、などと繋ぐ相手がいない前提での洒落すら、ほざいてみる気にもならない。
どうしようもないことを誰かに話しても、結局「自分がどうにかする」か「どうにもならない」というところに着地してしまうのである。 そうだとわかって話すことは、つまりそういうこと(現実)だと自分にあらためて言い聞かせることでもある。
であるから口には出さず、せめて書くだけにして書きものの内の出来事として済ませたいところである。
残り少ない年末の日々に、何の価値を見いだそうかなかなか頭が働かない。
つつがなく、休みが迎えられることだけを祈ろう。
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