ひとが腹痛で休んだり、親知らずの歯茎が腫れて口が開かなくなってズキズキする痛みと戦い明け暮れたりした最悪の二週連続の週末を過ごしていた間に、なんと大変な事が起きてしまった。
大泉洋またはえび蔵こと大分県がダウンしてしまったのである。
過労である。
朝、大分県は火田さんと会議室に入ってゆき、そしてしばらくして火田さんだけが戻ってきた。
「一週間くらいは休んでもらうことになったから」
昼前に、ようやくわたしのとこに火田さんが説明にきた。
うむ。 一週間で足りるはずがない。 しかし、それ以上いなくなられると、大分県の追い込まれた数々の仕事らがにっちもさっちもゆかなくなる。
一週間で足りないような症状まで耐えてしまったのか、それともまだ、身体のみが悲鳴を上げた時点で踏みとどまったのか、わからない。
さらに、今の火田さんの采配ぶりも限界パニック寸前の状況である。
なにせわたしに
「そっちは大丈夫? よろしくね」
と関わる余裕すら見せず、
「ありがとう、助かる!」
とわたしの些細な、せこい根回しに感謝の叫びをくれたりしているのである。
わたしがいうのもなんだが、顔に余裕が、一マイクロ、いやナノ、いやいやピコメートルほども見られない。
火田さんとわたしが大分県の分を分け合って回してゆかなければならないのである。
いや。 無理だって。
とほかに采配できる内容の仕事ではない。 ましてや中途で断ったりできるような仕事でもないのである。
なにせBIMである。 社内で加減がわかるのは、大分県とわたしの二人しか、いないのである。
この状況。
空気は常に緊張感を孕んでいる。
精神衛生上まことによろしくない。 君子危うきに近寄らず、である。
こちらが近寄らずとも、ほかに擦り寄れぬとなればあちらから近寄ってくるのが、摂理である。
降りかかる火の粉は振り払うものだが、振り払うその手が火傷するのは、イヤである。
できるならば、華麗なフットワークで火の粉に触れることなく、全てかわしたいところだが。
うぬぬ。
道に飛び出した仔犬を迫りくるトラックから庇ったときに負った、この足の負傷さえなければ。
といった心情である。
つまりは、今回の火の粉はそのままかぶるしかない、ということである。
着火する前に、出来る限り疲労を抜き、睡眠を回復させておかなければならない。
しかしそのための行いは、こちらは終電だというのにそちらはもう帰るのか、自分だけ楽にいようだなんてとの勝手な振舞いに見えてしまう。
終電ではなくとも、それでも毎日夜十一時頃まで働いているのである。
わたしは、何でもないどこもおかしくない、まだ余裕がありそうじゃないか、とはたからは見られるだろう。
皆さんがもうダメだとバンザイしたその先の状態に、わたしは既にいるのである。
グループ内の故障者が過去一年以内で二人目、まだ頑張れる社員が(切り盛りできる立場の者が)火田さんとわたしで、二人残っているというわけではないのである。
空気だけでももう十分なピリピリが、やがてこちらに直接向けられる。
お願いだから、せめて夜十時には会社を出られるようにさせて欲しい。
わたしの限界はもう、すぐ前に常に見えているのである。 いや、皆ももうとっくにきているのが易々とうかがえる。
ああ。
とかくゆっくり休みたい。
上野の西洋美術館で開催されている「ゴヤ展」にいったのである。
「ミスター。近所なのに行ったりしないの?」
東丸さんにパチクリされたのである。
順を追って説明しよう。
東丸さんとは、仕事を手伝っていただいている女性の方で、関西人である。
当然のごとく「阪神ファン」であり、わたしが「巨人ファン」であることを知ってから、わたしを「ミスター」と呼ぶようになっていた。
当初は、敬称を親しみを込めて「ミスター」と読んでいるのかと思っていたのである。
「ミスター。ちょっと」
東丸さんがわたし呼ぶとき、それに気付いた周囲は、「ミスター」が誰のことなのか一瞬空を見、探してみる。
「なんでしょうか」とわたしが返事すると、「ミスター」とはかけ離れたわたしのことだとわかり、ポカンとしたものだった。
「巨人ファンなんやろ。なら、最大の敬意を払って「ミスター・ジャイアンツ」の「ミスター」でいいでしょ」 「なら、東丸さんのことはこれから「とラッキー」さんと呼びましょうか?」
「しばいたろか、こんニャロ」
といったなんとも歯切れよいやり取りがあった後、東丸さんがわたしを呼ぶときに限って定着したのである。
「ゴヤ展は行ってみたいと思っていてですね」 「じゃあ、なんでいかんの?」 「安いチケットが見つかれば行くかもしれません」 「ケチやなぁ」
どうせわたしはケチである。
ゴヤといえば「黒のシリーズ」だか、真っ黒の背景に巨人がおぞましく描かれてるやつがある。
とはいえ、わたしはべつにゴヤに詳しいわけではない。 今回の作品展の広告に使われている「マハ」と「我が子を食らうサトゥルヌス」くらいしか知らないのである。
今回、サトゥルヌスが見られるだろうか。
そんな話をしていた矢先、上野のチケットショップで千円の入場券を見つけたのである。
えい、行こう。
土曜は終日起きられず、結局部屋に引きこもったままになってしまっていた。 日曜は、と奮起したが出てこれたのは昼三時過ぎ。
閉館までは、もはや二時間ほどの猶予しかない。 いや二時間も、ある。
こういう勢いでもなければ、美術館などそうそう行かない。
いざ、上野の森へ。
そして十分後に到着。
それから一時間経たずに回り終えてしまった。
サトゥルヌスはやはりなかったのである。
マハたちも一応ちゃんと観たが、目玉の「着衣のマハ」は、さして感慨もなくさっさと通り過ぎてすましたのである。 「勿体ない。ほかの何を観に行ったんだか」と思われるかもしれない。
しかし、ただ女が寝ている絵を観て、何の感性を働かせろというのか。
その他の風刺を描いたスケッチらの方が、わたしはじっくり観て回ったのである。
この勿体なさ加減。
「どや(ゴヤ)!」
これが言いたかった。
次の土日は、きちんと休日を味わえることを祈ろう。
2012年01月15日(日) |
サンザシの樹の下で」ゲロゲーロ |
「サンザシの樹の下で」
ギンレイにて。
チャン・イーモウ監督作品。 文化大革命下の中国。 都会に暮らす女子高生ジンチュウは、農村学習で訪れた山村で、地質調査隊のスンと出会い、互いに惹かれあってゆく。
スンの父は共産党内で半思想的だと注意人物の疑いがかけられて査問中だったりと、インテリながらリベラルな家族に育てられていた。 ジンチュウは都会暮らしだが貧しく、共産党の思想にそぐわない態度や生活を他人に見られたらたちまち生活できなくさせられるような、ギリギリの家庭に育てられていた。
つまり二人の恋は、許されない恋だった。
主演のチョウ・ドンユィが、素朴で頑なで、そして不器用で、自分の気持ちに自分が振り回されるジンチュウを、素晴らしく演じていた。
チャン・イーモウ監督作品のヒロインは、これまでの皆、何千人からのオーディションで選ばれ、これを機にブレイクしてゆく。
時代はやはり中国か。
作品が内容として優れていたか、などとはどうでもよいのである。
さて。
困った事態になった。
「忙しい忙しい」というのも、この仕事をやっているからには観念しなくてはならないところがある。
幸か不幸か、わがチームのトップ下である大分県とわたしは独身者だから、家に帰ろうが帰るまいが、休もうが休むまいが、ひとりの勝手さでなんとでもなる。
誤解してはいけない。
わたしは、減俸されたとしても「帰って」「休んで」いなければいてもたってもいられない人間である。
勿論、わたし以外の方々はワーカホリックというわけではなく、責任感をごく当たり前に持っているだけの普通の意識の持ち主な方々にすぎない。
トップの火田さんが、わたしをこっそり呼んだのである。 後ろには大分県が付き従っている。
なんだなんだ、わたしの手抜きさ加減が目にでもついてしまったのか。そんな手抜きはしていないつもりだぞ。それは大分県らのきっちりさ加減にはかなうまでもないが。
火田さんの顔が、かなり重たげなのである。
「あのね、お願いがあって」
はうっ。 もうちょっと竹さんには頑張ってたくさん仕事をして欲しいの。
「しばらく、早く帰らせてもらっていいかしら」
「勿論、定時以降、てことで」
大分県と、思わずパチクリと目をしばたかせて見合ってしまった。
それはそれは、全然構いません。
「迷惑かかるかもしれないけれど、よろしくね」
こくりと頷くしかない。
火田さんは共働きでお年頃のお子さんがいるのだが、どうやら母親である火田さんがあまりにも家にいなさすぎて問題になってしまったらしい。
塾に通っているはずが、ずっと欠席し、帰り時間も随分遅くなっていたことが判明したらしい。
「ちょっと深刻化しないようにしなくっちゃ、てことになって」 「どうか今はご家庭を優先なさって下さい」
脅すわけではないが、こんなことが当たり前に起こりうる業界である。 それをなんとか防ごうにも、どちらか、またはどれかは、なるようにしかならないのである。
少し仕事の数が絞れたからと、九時十時頃になんとか帰れるようになるかと思っていたが、難しくなりそうである。
いやしかし、皆の誰かが不幸せにならぬよう、ここは協力しなければならない。
浮わついたままの気分も、少しは引き締めなければ。
2012年01月12日(木) |
「続・森崎書店の日々」 |
八木沢里志著「続・森崎書店の日々」
神保町の古書店が舞台の日常を描く物語。
貴子は叔父のサトルが店主の森崎書店でかつて一時期を過ごした。
人生に、自分に迷ったとき、温かく見守り、大切なひとやものやことを気付かせてくれたかけがえのない時間。
サトルの妻・桃子や、大切なひととなり付き合うことになった和田さんや、常連客たちとのまたささやかだが愛しい日々が、続いていた。
そんな愛しい日々に、ある日石が投げ込まれ、ひと際波立ってゆく。
和田さんが昔の彼女と会っていた。
さらに、
桃子さんのガンが再発。
森崎書店の日々に救われ今がある貴子は、叔父のサトルに、桃子に、そしてこれまでとこれからの日々のために、何ができるのだろうか。
前回作に引き続き、神保町の空気がたっぷり漂った居心地のよい作品である。
作品内に登場する「すぼうる」という店は、神保町駅裏に実在する「さぼうる」をモデルにしていることは間違いない。
平日遅くまで開いていて、ワインやウヰスキーなどをたしなむことができる。
勿論、名物であるフレッシュジュースやコーヒーもいただけるので、下戸のわたしでも十分くつろぐことができるのである。
食事は隣の「さぼうる2」でということになるのだが、こちらの「さぼうる」でもいただける「ナポリタン」が、とても美味いらしい。
橙色の灯りにてらてらと艶かしく輝く姿態と香ばしい香りに、隣のテーブル席であるはずのわたしが、目と鼻を奪われてしまったのだから間違いない。
しかもなかなかボリュームがあったのである。
残念ながらまだ食べてはいない。
しかし美味いのは間違いない。 まことにまだ食べていないのが残念である。
会社帰りに「さぼうる」で文庫を読みながら待ち合わせ、と決め込みたいものである。
さて。
木曜は大森である。 田丸さんのあとを引き継いだ方がわたしとは「はじめまして」であったので、無駄な話をする余裕がない。
決まり一辺倒の確認項目にレ点をつけてゆき、たまに調子を書き込む。
じゃあ、と隣室のイ氏の元へとわたしを案内するのもどこか初々しく、わたしまで少し初々しくなりかける。
「やあやあ」
イ氏の馴れ馴れしく砕けた口調に、わたしのせっかくの初々しさも消し飛んでしまう。
言われる前に椅子を引き、ギシリと鳴らして座るのもいつものことである。
「それは面白かっただろう」
わたしが「続・森崎書店」を読んだところだと話すと、イ氏がしたり顔になる。
ふと名を出した作品を誰かが知っているというのは、なかなか嬉しいことである。 しかし、できれば父と変わらぬ年頃の紳士にではなく、聡明快活なお嬢さんと、共有したいものである。
2012年01月10日(火) |
一念の計は願胆にあり |
正月明けすぐの三連休。
さんが日の初詣で、じつはようやく根津神社と神田神社の御朱印をいただいてきたのであった。
それで氏神さんらへの初詣は済ませたが、一度押されると次々とほかの白紙にも朱を押したくなる。
そうだ。 思い付くかぎりのわたしに必要な御利益のある神社へゆこうではないか。
御朱印といえば、「江戸最古」といわれている「谷中七福神巡り」や「下谷七福神」や「浅草七福神」や、「江戸十社巡り」などが一般的に意欲をそそられる。
しかしわたしは、すごろくのマス目を順に埋めてゆきたいのではなく、御朱印帳の白紙を朱印で埋めてゆきたいだけなのである。
いざ、御朱印巡りへ。
ゆくなら外せない神社の一つ、「小野照崎神社」
俳優の渥美清さんがここにお参りして「寅さん」の役を手にいれることができた、という逸話があり、芸能(学問にも)に御利益があることで有名な神社である。
芸能と文学は若干違う気がしなくはないが、いいやこの際、似たようなものである。
上野から浅草に向かう途中の下谷にあるので、なおさら都合がよい。 そのまま浅草神社にゆける。
小野照崎神社では、
「願を掛ける際、好きなものの何か一つを我慢することを誓う」
らしい。
好きなものとなるとわたしには何があるだろうかと、あと一礼を残すのみになっても思い付かない。 好きなものなどが身近にそうあるような、満たされた暮らしはしていないつもりである。
「ちとじっくり相談が必要なので、あらためて」
モニョモニョ(仮)を断ちますので、どうかよしなに。 むむっ。
と拝み手越しに力強く一礼する。 モニョモニョ(仮)を何にするか、早々に決めて御祭神の小野篁(タカムラ)さんに申告しなければならない。 境内を出る前に、いや、御朱印をいただいて、それから。 あいや、もういただいて、鳥居をくぐってしまった。
さあ次の神社へ。
しかし道すがら、ずっと腕組み唸りながら緊急会議である。
断てというなら、もう決まっている。 肉か? む、それもある。 カツか、唐揚げか? いやいやそんな小さな願を断ったところで、相応なのか? ならばいっそ、もっと重みのある「縁結び」の願を断ったらどうだ? おおっ。 目からウロコだ。 そんな大事なものを? 本気か。
ザワザワ。
静粛に。 その他、異論はないか?
そもそも、そんな大事に思っているのか。 大事に思っているに決まってる。 そうだそうだ。 大事に決まってるじゃないか。 伴侶だ伴侶だ。 ひとりめしは寂しいぞ。 鍋を作ると三日間続くのも飽きたぞ。 わびしいぞ。 そうだそうだ。
やんややんや。
では。
ザワザワ。
大多数により、「ご縁」を「願掛け」と等価交換とする。
うわああ。 パチパチパチ。
「あなた、結婚願望がもの凄く、出てるよ」
その矢先の、次の神社のひと言目である。
わたしが差し出した朱印帳に御朱印をおしながら、宮司の母親だという巫女さまに、言われたのである。
そういうの、感じるのよ。
八百屋のおかみさんがザルのプチトマトを袋に移すような感じで、朱印をおし、日付などを筆を走らせている。
というより。
「仕事頑張らなきゃ、て方のがあるわね」
はあ、そうですか。
ようやくのこと返事できたが、そのどちらも、わたしの核心とは外れている。
しかし、はたからみれば、まさに「大当たり」に違いない。
たまさか、わたしが他人とは微妙に違う選択肢を選んできているだけである。
「だいじょうぶよ。あなたマジメそうだから、出会えれば」
なるほど。 だが、出会わないのだからどうしようもない。
しかしそれでは、ご縁に関しては完全に神頼みにしてお任せしよう。 そうすれば、おかげさまで小説だけに専念できるというわけである。
ナムナム。
さあ、おみくじである。 今のところ、吉中吉しか出ていない。
いざ。
カラカラカラ。 シャッシャッ。
「ようこそお参りくださいました」
おみくじを差し出す巫女さんにペコリと会釈を返し、はらはらとくじを開く。
「縁談、ととのわず」
なんとも、徹底したものである。 ここまでくると、迷いがない。
巡ったほうぼうの神様たちから、とことん念押しされてしまったのである。
いやつまり、なおのこと「ご縁」については神のみぞ知るにお任せして、じたばたしないようにしよう。
腰を上げてなるものか。 溶岩焼きの溶岩石のごとく、座り込み過ぎて熱くなった石に、まだまだ座り続けてやる。
石の上に何年。
苔の一念。
桃栗三年、書き八年。
なんでやねん。
今年は何よりも、書き初めの年となるように。
年末に、普通の掃除くらいしかできていなかったのである。
円盤形自動徘徊掃除機(類似廉価品)に、存分に我が家の部屋を解放した。
「ウィーン、ウィーン」
と、雪に庭駆け回る犬のごとく、円盤形掃除機は歓喜の唸り声でわたしに答えてくれたのであった。
なんだ、そちらにはさっき行ったばかりではないか。 あ、チョイ。
探知センサーなどなく、壁にぶつかると方向転換し、ジグザグや弧を描く動きになったりする。
裸足の爪先で、進路を導いてやったりしてしまうのである。
ほっておけば、広くもない部屋なのだから、その内まんべんなく、そこそこ徘徊してくれるだろうと思われるのだが、愚直なまでのまっしぐらさ加減を見ていると、ついつい愛情がほとばしり出てしまう。
ほうら、これを取ってこい!
ふわりと放たれる糸屑。
ウィーン、ウィーン!
それはまるで、投げ放たれたフリスビーを追いかける白毛の犬とご主人みたいで、まことに優雅である。
ウィーン!
まっしぐらに脇を通り過ぎてゆく。
ガツッ。 ウィ、ウィーン。
糸屑を拾い、壁にぶっつかり方向転換したその正面に、ハラリと落としてやる。
うむ。 たんと吸いやがれ。
そんなアホ丸出しで、さらに油断したら鼻歌まで出てきそうな様子である。
大晦日から元旦まで実家で過ごして新年を迎え、それからとって返して谷中の我が家である。
そして「初夢」をみた。
夢など年間で片手で数えるほどしかみないわたしである。
それが、なんと珍しい。 しかも、麗しの小西真奈美嬢との共演。
内容がたとえなにもなくともそれだけで大満足である。
その夢のおかげで、ギトギトになっていたガスコンロの五徳も、すっかり綺麗に掃除することにもなったのである。
そして、新年のご挨拶に氏神さんらのところへ行かねばならない。
決して「ならない」わけではないのだが、男には大義名分というのが必要である。 何が大義なのだかもはやわからないが、要するにイチイチが面倒くちゃいヤツなのである。
氏神というと住所からゆけば、本来「諏方神社」になるのかもしれないが、谷中に移り住んでから六年間、ずっと根津神社ということにしている。
歩いて十五分かかる諏方神社と、五分で、しかも一時は通勤で目の前をシャコシャコ自転車で通っていた根津神社である。
どちらが、となれば迷うまでもない。
さらに、諏方神社の御祭神は「タケミナカタノカミ」であり、オオナムチ(大国主)の次男坊だという。
調べると面白い。
アマテラスに「国を譲れ」と脅迫されたオオナムチは、「それだば、息子達さ聞いてぐれ」と。 タケミナカタは、「何ばほんじなしごどば!(何を馬鹿なことを!)」と抵抗。 しかし抵抗むなしく海(諏訪湖)に追い詰められ、
「こごはんで外さ出ません。 命だげは助けいてけろ?(ここから外に出ていったりしません。だから命だけは助けてくれませんか?)」
と降伏したのである。 大和朝廷の統一神話を、土着の神々をおとしめつつも寛大さによって受け入れていると伝えるためのオハナシである。
東北弁っぽいのは、出雲弁と東北弁に共通性があるというこれまた面白い事実に乗っとり、わたしが脚色してみただけである。
勢いだけの腰抜けか、と勘違いしてはならない。
「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」
と軍神として知られている。 また風の神ともされ、元寇の際には諏訪の神が神風を起こしたとする伝承もあるのである。
もとい、そんなタケミナカタノカミの父親であるオオナムチノミコトが神田明神で、またその親系のスサノオノミコトが根津神社である。
長いものには巻かれ、危機にはとっとと尻尾を巻いて逃げるのが信条のわたしである。
「君子危うきに近寄らず」
とそれを支持する金言もある。
さて、いざ根津神社である。
さんが日はさすがに大行列である。
「お急ぎの方は列の脇から並ばずに御参拝いただけます」
もちろん、そのつもりである。
チョイチョイ、チョチョイと御参拝を済ませ、気合一発、小槌を振っておみくじをひく。
スサノオチャマ、お願いちます!
えい!
さあさあ、すぐに神田明神へ。
こちらは「江戸総鎮守の神」である。
もはや秋葉原、というところまで参拝客が並んでいたのである。
長いものに巻かれたり、巻いたりするのはよいが、一方、長い列に並ぶのはごめん被るわたしである。
またチョチョイと脇から御参拝を済ませ、気合一閃、おみくじをひく。
ナムナム!
親子揃って似たようなことを言うものである。
吉に中吉と多少の差はあれども、肝心要の縁談・待ち人が、
来ず、
だの、
目上の引き立てに頼れ、
だの、己の力ではいかんともし難いという結果であった。
えい、やはり「長いもの」に巻かれるべき一年になるのだろうか。 もはや宿命である。
ここはそれに従って、じっと目上を上目遣いで見つめ、時折「てへぺろ」と舌出しウインクでもして見せる訓練をするとしよう。
なんとサブイ光景だろう。 身の毛がよだつとはまさにこのことである。
明日から仕事始めというときに、風邪をひいては元も子もない。
四日から仕事なんだか、何日から仕事なんだか、目まぐるちくてかなわない。
ここはただ初夢で想い人と会った喜びを噛みしめよう。
コンロはガスに限るのである。
ガス、パッ、チョ。
続きはウェブで。
お楽しみは、まだ、とったままにしてあるのである。
「サラの鍵」
を銀座テアトルシネマにて。
ナチス占領下のパリでユダヤ人の一斉検挙が行われた。
それはナチスによるものではなく、フランス警察によるものだったのである。
警官が検挙にやって来た朝、サラは機転をきかせて、弟を納戸の中に隠れさせ、扉の鍵をかける。 父母と三人でヴェルディヴ(屋内競輪場)に連れてゆかれ、大勢と一緒に押し込められてしまう。
そこはひどい有り様だった。
トイレもなく、皆その場で用を足して垂れ流すしかない状態。 収容所で殺される前に、と自殺する者たち。
「息子をひとり、納戸に閉じ込めてきたんだ。頼むから、家へ、逮捕しに行ってくれ!」
検挙当初は「よく弟をまもった」となっていたのだが、このまま収容所に連れてゆかれるらしいことがわかった父は、警官に必死に頼み込む。
しかし話を聞いてもらえないまま、三人は収容所へと連れてゆかれてしまう。
「きっと弟も脱出してるに違いない」
周囲の言葉にサラは、
「約束したんだもの。わたしが帰らなければ、弟は絶対に隠れたままに違いないわ」
「だから、早く助けにいってあげなくちゃ」
サラは収容所から脱出することができ、老夫婦に助けられる。 そして老夫婦に付き添われ、パリの我が家に「ひと月」振りに帰りつくが、我が家はすでに、別の家族が暮らしていた。
呼鈴にドアを開けた男の子を押し退け、納戸の鍵を急いで開ける。
弟が、帰らぬ姿となったまま、サラを待ち続けていた。
それから60年後。
アメリカ人のジャーナリストとしてパリで暮らしていたジュリアは、アウシュビッツに送られた家族を取材していた。
婚約者の実家だったアパートをふたりの新居にしようと準備をするうちに、かつてそのアパートにユダヤ人家族が暮らしていたことを調べあげる。
できるならば正当な持ち主に返すべきだ。
そこまではできなくとも、会いたい、話をしたい。
サラの行方を、探し始める。
父母はナチスに殺された。 弟は、自分が殺してしまった。
わたしだけが、生き残ってしまった。
「お前だ。お前が弟を殺したんだ!」
父母に取り乱した末にとはいえ、叩きつけられた重すぎる言葉。
奇しくも、ジュリアは妊娠していたことに気付く。 四十を過ぎて、高齢出産のみならず、成人までの子育ての不安もある。
生きる、ということの重たさが、大切さが、ここに、ある。
ジュリアはサラの息子だろうと思われる男をようやく探し当てる。
「俺はフランス人だ。ユダヤ人のわけがない。俺の前に二度と顔を見せるんじゃない。いいな!」
サラは全てを隠し、罪を悲しみを苦しみをひとりで抱え込んだまま、亡くなっていた。
サラの本当の姿を、ジュリアは彼に伝えることができるのだろうか?
彼は母親の本当の苦しみを、受け止めることができるのだろうか?
シラク大統領がそれを認め、謝罪し、世界で話題になった。
と、今さらになって知ったのである。
「黄色い星の子どもたち」という別の監督の作品も、この歴史の事実を元にした作品だったらしい。
わたしは観たく思っていたのだが、時期が合わずに見逃してしまったのである。
新年一発目の娯楽は、やはり映画しかない。
ならば、観たいと思った作品を迷わず観よう、と選んだのだが、これはまた、優れた作品だった。
年始めにこの作品にあたって、今年は幸先がよさそうである。
2012年01月03日(火) |
明けまして驚きました |
新年明けまして おめでとうございます。
昨年は公私ともに、まさに激震の一年だったことを、沁々と思い返しております。
新春に春を嘯き、やがて虚は剥がれ落ちるものと大震災に襲われました。
初夏になり、震災後の波崎・銚子をようやく訪ねて、そのありありと残された爪痕を目の当たりにしてきました。
そして盛夏。 紀伊の熊野三山を詣でて熊野古道の「大雲取越」(別名「死出の山路」)を踏破してきました。
その一、二ヶ月後、紀伊地方は未曾有の台風被害が出て、那智大社など土砂に襲われてしまいました。
土砂崩れによる道の分断、陸の孤島化、土砂ダムの決壊という不安と恐怖。
それでも時間は無関係に、無表情に待ったなしで進んで行き。
秋には長きにわたった出向が終わり、ようやく本社勤務に。 本社に帰ったらまともに休みなんぞあるかわからん、と間隙を突いて勢い伊勢神宮へ。
夜光バスでほぼ日帰りの強行スケジュールでした。
十月以降はもう何が何だか。
忙しいとかの限界を越えていました。
よく、今こうしてここにいるものだと。
しかしこうしてみると、昨年はかなり濃い一年でした。
五年分くらいの、濃さ、です。
そしてこれだけのことがあった昨年のわたしは「強運に恵まれていた」のだろうと。
今年は臥龍転じて昇龍となるべき年かもしれません。
どうか画竜点睛を忘れずにゆきたいと思います。
まずは毎年の目標として、文芸賞受賞。
大きくでときます。
堅実な目標として、百枚程度の作品を二本、書く。
短編を途中で挟むかもしれませんが、二、三作品は、今年書くようにしたいと思います。
本年もどうかお付き合いいただけますよう、よろしくお願いいたします
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