2012年02月29日(水) |
「妖怪アパートの優雅な日常 その七」 |
香月日輪著「妖怪アパートの優雅な日常 その七」
事故で両親を失い天涯孤独となった稲葉夕士は、自立した人生を送るために商業高校に通い、将来は公務員を目指そうと決めた。
ひょんなことから下宿することになった「寿荘」は近所でも「妖怪アパート」と呼ばれていたが、何を隠そう正真正銘の「妖怪アパート」だった。
幼児虐待で母に殺され、死してもまた怨念と化した母に殺され続ける男の子の霊や、小料理屋を開くのが夢だったがバラバラに惨殺されてしまった手首だけの霊や、祓い師や古道具屋や画家などとても怪しいが人間である住人たちに取り囲まれて暮らす夕士。
彼らと過ごす時間は、両親を亡くした夕士にとって、常識非常識にとらわれず自分で考え、判断し、そしてそれがもし間違いならば諭してもらえるかけがえのない時間であった。
高校二年の夕士は自分の進路を決めていたはずだった。
簿記会計の資格をとり会計士になるか、公務員をめざすか。
「周りにあわせて、慌てて大人にならなくてもいい」
少しでも早く自立し、他人に迷惑や世話をかけずにすむようにと思っている夕士に、アパートの大人たちはいう。
手首だけの霊、るり子さんの絶品料理をつまに。
そう。
本作品のわたしの最大の楽しみは、高校生が魔法書から召喚した使い魔や召喚獣を駆使して勧善徴悪をなしたり、たくましく大人に成長してゆく姿を見守ったりすることなどではない。
るり子さんの、まさに「手料理」を、読み味わうことなのである。
ああ。
腹が減った。
東京タワーが、消灯した。
これが高層ビルのラウンジで、優雅にブランデーのグラスを傾けながら、ならば格好もつこうが、幸いにも冷たい海風が吹きすさぶ品川の高層ビルの足元である。
ああ。
あったかい味噌汁に、季節の野菜の天ぷらに、ふっくらツヤツヤの白ご飯。
ことに、なぜか、パセリの天ぷらが、喰いたい。
ああ。 たまらない。
気持ちは二十代、こころは中二、実年齢は三十路の下り坂をネコまっしぐら。
わたしは、きっと思っているよりもアンバランスなミスターチルドレンである。 かつて「アダルトチルドレン」なる言葉があったが、今でも世間に通じるのだろうか。
まあ「内弁慶、外地蔵」でもあるわたしは、わかったようなふうに見せて、その実は、だからって仕方ないじゃない、と自分は曲げなかったりする。
曲げないが、なびいたりはしてみせるのである。
風がやめば、元に戻ればよいのである。
しかし、何十年も己の腕ひとつで世の中を渡ってきた者のなかには、そうと譲れないものがあったりするのである。
わが社は、派遣や外注さんらに大部分を支えられている。
彼らは皆、アルバイト的な存在ではなく、ややもすれば個人で一国一城の主たることもある強者、ここが嫌ならいくらでもほかの当てがあるような方々ばかりでもある。
特に、BIMモデルのわかる強者となれば、もはや全国の派遣登録会社に募集をかけても、なかなかみつからない。
そうしてやっと見つかった小東さん(主婦、一児の母)。
BIMで先行する他社大手ゼネコンなどで、その導入や講習テキスト作成などに携わったらしいエキスパートである。
「わたしもう辞める。もう無理だから。じゃあね」
と、とうとう宣言したのである。
二週間目を過ぎたあたりから、愚痴を聞き、なだめ、どうにか耐えてもらっていたのである。
しかし契約更新を迎える間近に、もはや修復不可能な状況になってしまっていたのである。
とにかく、時期が悪かった。
けたたましさと張り詰めた緊張感と否応ない目まぐるしい時間との戦いの嵐のど真ん中に、毛皮を剥かれたウサギが放り込まれたようなもの――。
だったといってもよいかもしれない。
いや。
小東さんはウサギなどではない。
火田さんと同じくらいのお年らしく、それもまた、難しさのひとつになったのかもしれない。
まあ、すれ違いにすれ違いで、互いに肩があたったあててきた、それをいったいわない、聞いた聞く気にもならない、と。
火田さんの方はそんな小東さんの主張は一方的で、自分が話をしようとするのを、小東さん自らが突っぱねて拒んでいる。余裕がない今は、そこにじっくり時間と労力をかけられない。
「いい年してるんだから、私がそこまでゆかなくても、ねぇ」
とりつくしまもないのは、たしかに小東さんの側のようなのである。
完全に、背を向け、首だけ振り返り、「シャァーッ」と毛を逆立て威嚇の姿勢である。
悲しむべきは、そう、それこそまさに因幡の真っ赤に腫れ上がる地肌でふるふる震える白ウサギ然となったわたし自身である。
大分県が休んでいるなか、BIMの担当はわたしひとりである。
小東さんにいなくなられると、人手以上に、知識と根拠がなくなってしまう。
派遣元の上司は小東さんとの相談のなか、
「竹の下について仕事することを条件に、続けられないかな」
などと持ち掛けたらしい。
頼みます。 ホント、頼みます。 わたしにそんな権限も、ましてや立場もありません。
「辞めるなら竹と相談して、それで決めなさいよ」
マジで、頼みます。 死ぬ気で全力で頼みます。 わたしはホント、それは、越権行為も甚だしく。 日本からブラジルほどのものですから。
「そうなんだってさ」
小東さんが、だから決めて、と。
「無理です。相談まではできても、その先はちゃんと火田さんを交えて話しましょう」
えー。口もききたくない。 そんなムチャな。 わかった、わかったから。
ホント、頼む。
「大人気」を、どう読むか?
「おとなげ」と読んでもらいたい。
「だいにんき」と読んでもらいたい。
優柔不断、怒らない、いい加減、話が長い。
そんなわたしだが、それくらいは、多少あるのである。
絲山秋子著「ラジ&ピース」
東京から離れ、群馬のローカルエフエムのパーソナリティーをしている野枝は、頑なにひとりでいる自由に閉じ籠っていた。
不案内の群馬の観光スポットや穴場や生活習慣さえ、リスナーに質問されても自分の足で向かってみることをしようとは思わなかった。
しかし、同世代の女医の沢音と出会い、素直でお節介でマイペースで、「かかあ天下」たる群馬女性の素養満載な沢音と過ごすうちに、次第に頑なな気持ちがゆるくなってゆく。
気分転換にと、薄く、軽く、あっさりした、絲山秋子作品を選んでみたが、物理的に時間が無さすぎた。
ちっとも、読む時間と気持ちとタイミングが合いやしない。
そのくせ、昼休みは常に片手に持って食事に出掛けている。
ひとりになれて、ひと息つけるところへゆくが、飯を食っただけですぐ戻らねば昼休み内に間に合わない。
まったく。 本を読めないことに対して、次第に仕方ないと思い始めてる自分に、ストレスを感じてしまう。
歩きながらこれらの文字を打ち散らし、ようやく何日かかけてあげてゆく。
途中のものがたまってゆき、日付の順番がごちゃ混ぜになる。
頼むから、ひとりの時間を侵食しないでくれ。
これではまるっきり、作中の野枝と同じ心境である。
他にひとがいないのだから、わたしがやるしかない。
やらねばならない。 やれねばならない。
いや、やはりやらねばならないのである。
「竹さん株が上がってますよ」 「なぜ?」 「おおらかさが、ポイント高いんじゃないんですか?」
うほっ♪
と、こっそり教えられた噂に舞い上がるわたしではない。
それまでの大分県が、普通にあるべくしてキチキチと皆の仕事の配分やペースを管理していたのが、わたしだけになっただけである。
しかも、皆に任せる、と都合のいい放任主義的な方針になりつつある。 そうしてでも自分の余裕などを確保したいのだが、そうはうまくゆかないのが常である。
任せたからとて帰りは十一時過ぎてようやく鞄を手に出られるのが関の山。
一対一の会話の途中で、プツリと寝てしまうのも度々である。 しかし、それもほんの一、二秒くらいだから、慌てるそぶりなくわたしは「うーん」と思案にふけってみた、というていを取り繕って誤魔化している。
会話の最中。
これは、ヤバい。
土日は完全に寝てしまうことで潰されていて、それなのに、なお、である。
ひとから見たら、なんだ自分より休んでるはずじゃあないか、となるので、わたしはエヘヘと頭を掻くしかない。
いや、思いっきり思慮深く「うーん」と唸ってから、目を開ける。 寝ていても、寝ていると自覚があるうちは思考や手が動かせているので、おそらくまだ見破られてはいないだろう。
よもや会話の相手が会話の最中に、会話をしながら寝ているとは思うまい。
しかし。
ヤバい状況なのは、わかっている。 改善策を練らねばならない。
「親愛なるきみへ」
をギンレイにて。
「きみに読む物語」と同じ原作者だったか、とにかく、じいんと、ひび割れたこころに潤いを与えてくれる作品であった。
米軍特殊部隊のジョンは、実家に帰省した。 そこでサヴァナと出会い、互いに恋に落ちる。
二週間しかないふたりの、これまでの人生で最も濃い時間。
任務に戻るジョンは、任期が終わったら除隊してサヴァナとずっと一緒にいる、と約束して任地へと向かう。
たった一年。
されど一年。
任地は情勢によって転々と移り、従って、ふたりは手紙で互いの気持ちを繋げてゆく。
任期が終わる頃、マンハッタンのビルに航空機が衝突させられる。
テロリストから我が国を守らなければならない。 それは、愛するサヴァナや家族や友人を守ることにも繋がってゆく。
任期の延長を、ジョンはサヴァナに話しもしないまま決めてしまう。
そして、ふたりを繋いでいた手紙が、次第にジョンの元に届かなくなる。
二ヶ月振りに届いたサヴァナからの手紙。
婚約しました。
なにがあったのか。 ジョンをただ待ちきれなかっただけではないはず。
戦地から離れるわけにゆかず、むしろ、サヴァナのことを忘れようと、任期の延長に延長を志願するジョン。
そして、唯一の家族だった父が倒れ、ジョン自身も銃撃され帰国することになる。
サヴァナとの再会。
サヴァナが語らなかった真実。
そして、お互いのどうしようもない本当の気持ちと、どうしようもない現実。
サヴァナ役のアマンダ・セイフライドが、とにかく、わたしのこころのヒダにピタリとはまりこんだ。
いや、そんな個人的な話は置いといて、やはり作品自体が、絶妙の距離感をもって織り成してゆく。
世界の警察を気取るアメリカに対する云々もさておき、ふたりの義務感と愛との間を往き来する心は、なかなか歯痒さを覚えさせてくれる。
自閉症の息子に、出ていってしまった母親のことを告げられずにいる父親。
そして自らの余命がガンによって宣告され、自閉症の息子をひとりきりにして残すわけにはゆかない父親。
それをすぐそばで、それまでもずっと見て力を貸してきた者。
まあ、ありきたりな話の流れといってしまえばそれまでだが、その組み立てと流れが、上手ぁくしんみりと染み渡ってくる作品となっている。
それはともかく、わたしはアマンダなる女優が、気に入ってしまった。
機会があれば、ほかの名作秀作でまたお目にかかりたい。
今週もまた、ギンレイに行かなければ部屋から出ずに過ぎ去ってしまうところであった。
危ない危ない。
「今夜――」
来るわよね?
いったい何のことか、大胆なお誘いなのか。
金曜の昼休みが終わると、火田さんに聞かれたのである。
「ああ――」
社長の歓送迎会が、役員もろもろ出席のもと予定されていたのである。
役員というのは親会社のお偉いさんがたばかりなので、会場はかつてわたしが出向していた親会社の三十階レセプションフロアーであった。
「そう、でしたね――」
どうやら、わたしがそういった飲み会を含めた外部のものに「積極的」に参加しないことに対して、火田さんがわたしの首に縄をつけるがごとく、目をつけられてしまっていたのである。
「行き、ますよ――。今回のはさすがに、もちろんじゃないですか」
さて、そんなことで。
定時になり皆それぞれで仕事に切りをつけ、ぞろぞろと会場に向かったのである。
品川の海側、地上三十階である。
お台場から東京スカイツリーまで、ようく見渡せる。
もちろん、東京タワーも。
わたしは一対一ならば会話をするのだが、三人を超えると途端に話さなくなる。 そのくせ、沈黙が気になるのである。
そんなときに窓外の景色をぼんやり眺めて紛らわしたりするのだが、気付いたらなんと、前社長の助さんと火田さんの三人きりになっていたのである。
立食式のパーティーであったので、他にいたはずの面々は隣のテーブルに場を移していたのである。
えい。 だからなにさ。
「やあやあ、どうもどうも」
二週間ぶりの助さんはすっかりできあがっている。 ひと口だけでも酒で舌を湿らせればいつもこうなる。 こうなればただ調子を合わせておけばご機嫌なままである。 仕事的な難しい話なら火田さんがすっかり相手してくれるはずである。
「じゃあねぇ〜」
よよよ、と片手を敬礼だかおでこをさするだかわからない位置に上げて、思ったより淡白に、次のテーブルへと移っていったのである。
これは助さんのグラスの水割りが、はなから少ししか残っていなかったおかげであろう。
ほうら、ワインを注いで満面の笑みで、ひとにからみだしたではないか。
「あらあら」
火田さんもそれをわたしの隣で、くっくっと笑っている。 ところで、
「最近、料理作って食べてるの?」
わたしが以前、
「切って炒めるだけで、味は「味覇」任せなだけのものなら作って食べてます」
と話したとき、
「味覇! 知ってる知ってる! 重宝するよね!」
と至極共感していただいたことがあったのである。
最近は。
「帰って作れるような時間に帰ってないもんねぇ」
ごめんねぇ。 わかってるのよ、と反省に頭を下げる火田さんの脇で、返答に窮してしまう。
たしかに夜中零時に帰ってきて、そこから晩飯を作って食うなどあり得ない。 大概、馴染みの弁当屋で買って済ませてしまっているのである。
土日の作りおきは、土曜に作って日曜に食い尽くしてしまう。 したがって月曜からは何もないので買うしかないのである。
ちなみに、先日の月曜日に健康診断があったのである。
検査結果がでるまでは、
「唐揚げ祭り」
を個人的に開催中なのである。
唐揚げは、素晴らしい。 唐揚げは、美しい。 唐揚げは、愛である。
ひとの愛は金では買えないが。 唐揚げは、買える。
台東区一安い、と看板を掲げる弁当屋の唐揚げは、身もコロモも、いやココロも、詰まっている。
ああ、唐揚げがわたしを待っている。
今、この会場の大皿のなかに、唐揚げの姿が見当たらない。
どこか別のテーブルに、実はちゃんと並べられているのだろうか?
あれか、あそこか、いや違う、などと目を配っているうちに、火田さんは別のテーブルでケラケラ談笑していた女性陣に袖を引かれているようだった。
じゃ、ちょっと料理を取りにいきますので。
わたしはそそと離れ、何周目かの料理皿を巡ってまわる。 やはり唐揚げはどこにもなかった。
唐揚げだけではなく、揚げ物自体が、ない。
年配者らが主賓だから、なのかもしれない。
わたし自身も、中年のかどを曲がりきったあたりに立っていることくらいはわかっている。
わかっているが、愛に年齢は関係ない。
唐揚げ、愛。
健康診断の結果が出てくるまで、それまで節制していたのだからよいだろう。
剥き出しの、愛。
世間で唐揚げ愛好家のことをカラアゲニストというらしい。
わたしは、おそらく、彼らとは違う。
唐揚げを求めるのではなく、あるから求めてしまうだけなのである。
宴もたけなわだが、わたしはとっくに気もそぞろである。
この宴が閉じれば、そのまま帰れる。 どこにも寄らず、まっすぐに、である。
烏龍茶はもう十分飲んだ。 さすがに「黒」烏龍茶ではなかった。 野菜の煮物だサラダだばかりを摘まんである。
青椒肉絲や酢豚は、ほどほどしか皿に盛らなかった。
久しぶりに晩飯を作れる時間に帰れるのだが、すまない。
今夜も、カラアゲイン
実は、わたしは新人の教育係だったのである。
新人は四名いて、マンツーマンで三ヶ月交替で教育係それぞれの下で仕事をさせるのである。 つまり、ひとりずつ順繰りに、わたしたち教育係は新人全員を受け持つのである。
しかしわたしはずっと出向していたので、十月からの受持ちである。 開始時期にいなかったわたしの代わりに、お多福さんが教育係役を務めてくれていた。
とはいっても、はなからわたしは教育係ではなかったのである。 出向から戻ってきて、新人との接点を取り持ってくれるというありがたい会社側の配慮であった。
しかし結果的には、担当のチエ子にはわたしの仕事よりお多福さんの仕事をがっつりやってもらうこととなり、仕事での教育など大してする機会がなかったのである。
わたしがチエ子にやっていたことといえば、「ブラックサンダー」なるチョコ菓子を、毎夜九時過ぎに気が向いたときに一個、やっていたくらいである。
はじめは「ありがとうございます」と殊勝な様子だったが、次第に、時間帯にはたと目が合うと、スッと片手を差し出してくるようにまでなっていた。
無言で要求するでない。 しかも、せめて差し出すなら両手で差し出せ。
まるっきり「餌付け」である。
しかも、しつけに失敗している。
何はともあれ、ほかの三人の新人を受け持った教育係と各管理職、さらに新社長のハチさんも同席の引き継ぎ報告会が開かれたのである。
当人たちがいないところで、あの手この手を駆使して当人らから聞き出した、或いは汲み取った、それぞれの個性や不安ややる気ややりたいことやりたくないことを、忌憚なく報告し合う。
次の担当がそれを踏まえた上の教育をし、彼女らを活かしてゆけるようにである。
やはり、ここでも皆が口を揃えていったのは、
「残業が多くて遅くて読めなくて、夜の約束や予定がいれられない」 「約束や予定どころか、気持ちを休める時間が一日で持てない」 「深夜営業のスーパーの、閉店タイムセールにせめて間に合う時間に帰りたい」
最後のは少々脚色したが、だいたいそんなものである。
過労で倒れた大分県も教育係だったのだが静養中で欠席であり、しかしそれに敢えて触れなくとも我々の口から次々とあげられる苛酷な勤務状況。
「なんのために自分がここにいるのかわからない」
と、涙した者もいる。
「自分だけ早く帰るのが申し訳ない気になる」
それでも夜九時過ぎだというのに、思ってしまう。
我々は無駄な仕事をさせる余裕など、ない。 それが「なんのために」かを話し、そのおかげで助かったことや感謝を、実感できるように伝えなければならない。
しかし、一部、それがかけてしまったらしい。
「誰かがやらねばならない雑務は、新人がやって然るべき」
たしかにそんな面があり、必要である。
その場で「ありがとう」のひと言は、慌ただしさにうずもれて忘れられがちである。
仕事はお多福さんので、わたしのはほとんどしてないが、一応、わたしが担当していたチエ子に訊いてみた。
「ブラックサンダーを、これからは二個ください。それならオッケーです」 「二回に一回に回数を減らし、一度に二個やろう。それでどうだ」 「え、ホントにいいんですか!?」
パッと驚きの表情でわたしをみる。 ここでお気付きの方もいるだろう。
「朝三暮四」
である。
……
猿に今まで、朝に四つ暮れに四つ、合わせて八つエサをやっていたのを、七つに減らさねばならなくなった。
飼い主が猿に説明する。
「明日からお前たちにやるエサを、朝に三つ暮れに四つにしなければならない」
猿たちはそろって不平不満をあげて大騒ぎになってしまった。
「わかった。それならば、朝に四つ暮れに三つ、でどうだ」
飼い主がいうと、
「今まで通り朝に四つエサをくれるなら不満はない」
猿たちは納得して静まった。
……
というような故事がある。
合計数は変わらず、ただ目先の数に惑わされてしまう。
そのからくりにハッと気が付いたようである。
「変わらないじゃないですか。むしろ二回に一回の回数がわからなかったら誤魔化されちゃうじゃないですか」 「誤魔化すようにみえるか」
しばしの黙考の末、チエ子は納得顔で答えたのである。
「竹さんの場合、「忘れる」ってほうですね」 「聞こえが悪いな。「覚えてない」と表現してくれ」
「忘れる」では間抜けに聞こえてしまうだろう。 「覚えてない」は、わたしの寛容さを表しているようにちゃんと聞こえる。
「はいはいそうですね」と、チエ子はサラリと納得してくれたようで、すぐに頷いてくれた。
わずか三ヶ月しかみてないが、素直に育ってくれてまことに嬉しい限りである。
もとい。
この現状を就任早々突きつけられたハチさんは、
「以後の業務は、とかく利益を保ちつつも身心損なわないような仕事の受け方、そして仕事の納め方を皆で気を付けてゆきましょう」
というしかないのである。
次に倒れるとしたら、という心配が派遣さんらの間で持ち上がっているらしい。
「ミスター。今日から少し、イジるのを控えるようにするから倒れんといてくださいね」
虎子さんがいってきたのである。
「あ。イジられない方が苦痛やいうならイジらせてもらいますけど」
ちょっと待って。 ちょっと考えさせて。
うーむ。
「はい。時間切れー」 「ちょ、そんな」
虎子さんは颯爽と去ってゆく。
むむむぅ。
イジられ過ぎるのは勘弁ならんが、イジられないまま過ぎ去ってゆくのも張り合いがないのである。
月が変わった。 そして社長もかわったのである。
親会社にいわば栄転なのだろうがした助さんにかわって新しく我らがボスになったのは、やはり親会社からきたハチさんである。
「やあやあ、その節は大変申し訳ないことをしてしまって」
わたしの顔を見るなり、あたりはばかることなく、右手を上げて快活に第一声である。
いえいえそんな、とわたしも右手を上げて、顔の前で左右に振る。
わたしが親会社の役員面接を三日後に控え、突然全ての面接を白紙に戻されてしまったときの、面接官のひとりだった方である。
この親しみやすさとはべつに、仕事にシビアな方だと噂に聞き、皆、この先を思い案じている。
楽になるのか。
厳しくなるのか。
そのどちらも互いを併せ持っていることは、理解されることであろう。
楽な仕事で利益をあげるのは厳しい。 楽に利益をあげる仕事をするのは、また厳しい。
皆、まずはどういう態度で接すればよいか、戸惑う。
なにせ、親会社の仕事しかしてない我々の、発注元、お客様、の偉い方だったのである。
管理職クラスの火田さんなどはついつい畏縮恐縮し、仕事の報告のときに思わず、
「弊社は……」 「おいおい、僕はもう、客じゃないんだから」
とハチさんに苦笑いされてしまったほどである。
そんなハチさんが、わたしに個人的な知己があるように話しかけているものだから、火田さんはパチクリものである。
「ご家族かご親戚かが、役員にいるのかと思った」
斯く斯く然々とネタ明かしをすると、
「なんだよ、ひとりひとりのここまでの経緯なんて、わたしゃ知らないよぉ」
とようやく理解したようであった。
わたしとて今のところに流れてきた経緯など、前社長の格さんくらいにしか話した覚えがない。
ともあれ、新社長のハチさんの下、我が社は変わらず進むのか、それともやはり変わるのか、未知数の期待である。
「ボクの腕がまさった、ということかな?」
はっはっはっ。
大森の夜に、イ氏の高笑いがこだまする。
いや、薬出してもらってるだけじゃあないですか。 とはこの際いわずにおく。
三週間ぶりの大森である。
「十二月あたりからずっと、お仕事が厳しいのが続いてるんですね?」
先月から田丸さんの後を務めることになったらしい真琴さんが、過去をペラリとめくって確かめる。
田丸さんがぱっちりお目めの西洋的凛々しさ美人であるならば、真琴さんはスッと眉と目が涼しい和風美人である。
おそらく田丸さんよりも若い。
つまりわたしとは確実に、一回りは年齢差があるだろう。
イ氏め、若さと美しさで選んだに違いない。 羨ましいじゃあないか。
いや。
もとい。
大分県がダウンしてしまって仕事が厳しくなった、というある意味でわたしの近い将来の予告のような話をしたのである。
「だって、あなたは倒れずにいられてるじゃない」
あのう、いっそ倒れてしまいたいのですが、とはここでは間違ってもいわない。 いったら、また叱責が飛んでくることは間違いないのである。
「じゃ、せっかくなんだから早く帰って早く寝るようにしてくださいな」
ホクホクの自己満足顔である。
十時前、九時台に家に帰れそうなんて、何週間ぶりか。
前回の大森以来だから三週間ぶりである。
土日はほぼ起き上がることあたわなかったので除くとしてである。
昨日のことを一週間前のことのように勘違いし、一週間経ったことに気付かずまだ今週は昨日始まったばかりだと油断している。
「来週の日曜日は、予定あるの?」
苛酷なロードが始まっている可能性が大かもしれない。
「うちを休みにしちゃったんだけどね、いいのかな、て思いつつ」
イ氏は何をたくらんでいるのだろう。
「みんなで一緒に」
「あっ!!」
そこでわたしは声をあげ、天を仰いだ。
思い出した。 田丸さんの大会があるといっていたではないか。
いく。 いきます。 いきたいです。
といいたいが、軽はずみで守れるかわからない約束はできない。 休日出勤せずにすんだとしても、人前に出かけられるほどの余力余裕があるか怪しいのである。
これが名友やら気のおけない間柄なら、約束は無責任に大歓迎である。
「写真撮ってきてあげるよ」
楽しみにしててくださいな、とイ氏がわたしを慰める。
「じゃ、お帰んなさいな」
持ち上げて落として、押されて引かれるようにして、わたしは大森を後にしたのである。
痺れて震えるほどの冷たい外気に対し、気分は高揚している。
寒いのに、体温が高い。
眠い。
寒い。
やはり、眠い。
|