きよこの日記

2002年07月31日(水) 図書カードがむすぶ縁

スタジオジブリのアニメ映画『耳をすませば』で、印象的なのは、主人公二人を結びつけるのが、図書カードだってこと。
自分が選ぶ本の図書カードにいつも先にある名前が気になって…。

こういうのってある。
図書室の本は新品じゃないことが多いけど、今までにどんな人が手にしてきたのかなーって考えるのが楽しい。
図書カードに名前がいっぱいだったり、全然まだ誰も借りていない本だったり、返却されてすぐまた貸し出される人気者の本だったり、返却期限をずっと過ぎて返されていたり。
なかなか想像力をかきたてられます。

母校で教師をしていた時の話。
その日は図書室での授業でした。
「先生、おすすめの本ないですか?」
授業後、生徒が聞いてきました。
「そうだねえ。
あ、この本、私が生徒だった時に読んだ本だ」
「あー!!本当だ。借出者のところに先生の名前が書いてある。2−1って、2年の時に読んだんですね」
「おお。本当だ。きたない字だねー」
そこには、高校生だった私の走り書きの名前がありました。
その本を読んだ時の私の気持ち、照り付ける日差し、空気のにおいまでもよみがえってくるようでした。
高校生の私との思いがけぬ再会でした。

でも、だんだん、図書館も機械化されてきて、カード方式はすたれてきました。
バーコードだったり、返却日だけ記録したり。
図書カードにまつわるちょっとした楽しみがなくなってしまうのは、残念な気もします。



2002年07月30日(火) 有害な読書

「読書は経験の代用としては有害なものであるが、
経験を解釈し、拡張する上においては最も重要である」
デューイ『学校と社会』

なるほどー。
言い得て妙とはこのことだなあ。
ひたすらに本さえ読んでればいいってわけじゃないってことね。
本を読んで、十分に楽しむためには、それだけ自分の経験が無ければならない、と。

私自身が、経験の貧弱な本の虫だったから、かなり納得。
小さい時は、活字を追って、ページの終わりまで読みぬくことが、「本を読む」ってことだと思ってずいぶん背伸びして大人の本を読んでいたけど、今思うと、読んでも読んでなかったんだねえ。

村上春樹って、現代を代表する作家だけど、私、中学生のころ読んで「つまんない」って思ってそれっきりにしてた。
でも、まわりの人とか、「すごく面白くって夢中で読んじゃった!」
って言ってたりして、「なんで、私はだめなんだろ」
って疑問だった。
…もしかしたら、村上春樹を読むための経験が足りなかったのかもしれないな。
今、読んだら、違う感想が得られるかも。
よーし。
『ノルウェイの森』に再チャレンジしてみよう!



2002年07月29日(月) 絵本ぎらい

今週の私はちょっとアカデミックに多忙な予定。
なーんてね。
司書教諭という、学校図書館の司書をする資格を取るために大学の集中講義に通うことになったのです。

「図書館を使って、子供を本好きにするには」ということが、大きなテーマなので、私にとって、なかなか実際的に興味深いお勉強です。

そんなこんなで、講義で紹介された、一冊の本が『100万回生きたねこ』という絵本でした。

私、絵本って、嫌いなのよね。
何が言いたいのか、わからない。
言葉が少なすぎて、よく分からない。
きっとそれだけ自由に想像の翼をはばたかせて読むってもんなんでしょうが、私にとっては、評論とか、主張があるもののほうが、どれだけ表現が硬くっても、理解できる気がする。

この絵本も、やっぱり、なにがいいたいのか、はっきりよくわかんないんですが、でも、このうすい絵本を読んでいるうちに、なんだか、涙があふれてきました。
胸がいっぱいになりました。
なんでなのかなあ?

理屈で説明しようと思えば、何とでもこじつけられるのかもしれないけど、今日、この本との出会いは、ただシンプルに「泣いちゃうくらいいい本だ」ってことにしておきたいな。



2002年07月28日(日) きよこのきよ

「きよこ先生って、なんか“せいれん”って感じですよね」

まじっすか?
そんな誉め言葉、超うれしいんですけど!
だって、きよこのきよは「清廉潔白」のきよだとおもってますから。
それを言ってもらったのってはじめてだなあ。

「清廉潔白」がとてもお気に入りの言葉なので、私に男の子ができたら、「廉(れん)」か「廉太郎」ってつけたいなって思うぐらい。

我ながら少女趣味だと思うんだけど、他にも自分の子どもの名前を今から考えてたりする。
女の子だったらねえ、「花音(かのん)」
花と音楽が好きな子になりますようにっていう願いを込めて。それに、パッヘルベルのカノンという曲がお気に入りなので。

他に、男の子の名前でいいなって考えてるのが、「知足」。
ちたり、ともたり、ちたるのどれかで読むの。
これは「足ることを知る」っていう、謙遜な思慮分別を持った子になるようにって思って。
それから知恵に恵まれた子になるようにともとれるかなって。

子どもの名前を考えるのって私だけ?
え?普通だよね?



2002年07月27日(土) Driving with 献血ルームのおじさん

私は急いでいたんです。
大切な約束なんですから。絶対遅れるわけにはいかないんです。
で、電車の時間にあわせて早めに家を出たんだけど、他の用事が思いのほか早く済んで、中途半端に時間が余ってしまったから献血をしようと思いたったんです。
成分献血はmy favorite habitなもんで。

でも、電車の時間までに献血が終わるか、ぎりぎりだったんです。
「3時20分の電車に乗らないといけないんですけど間に合いますかねえ」
「ぎりぎりですけど…。
じゃあ、急いでやりましょう」

…今終われば、ぎりぎりかな。
…今なら、ダッシュすればなんとか。
…え、必死で走って間に合うかな、ヤバイんじゃない?
でも、機械はまだまわっていて、中断することもできないし…。きよこ絶体絶命!!!

「どこかに行かれる予定だったんですか?」
受付のおじさんがやってきた。
「はい。信濃大町で4時30分に待ち合わせなんです」
「ああ、もう、間に合いませんね。
わかりました!
4時30分に間に合うように、責任を持ってお送りしま す」

ええ!まじですか?
電車で1時間かかるところですよ。
往復で2時間じゃないですか。でも、そうですか。送ってくれちゃったりしてくださるんですか?
じゃあ、お言葉に甘えて…
というわけで、Driving to 信濃大町 with 献血ルームのおじさん だったんです。

信濃大町への道すがら、献血のこと、医療のこと、いろいろ話してくださいました。

はー。こんなことってあるんだねえ。
「こういうことって、よくあるんですか?」
「いいえ、はじめてですよ」
そうだよねえ。まさか私もこんなことまでしてくれるとは思わなかったもの。
感謝感謝。
ひょんなことで、人と知り合いになったり、助けられたり、おもしろいなあ。
人の間で生かされている私です。

おかげさまで、約束にも間に合いました。
今日は中学校の1学期の打ち上げ、というわけで、私もお呼ばれだったんです。
先生方に、ことの顛末をお話したら、
「まったく、きよこ先生はO型だなあ」って。
いや、いつもこんなドタバタじゃないんですよー。
いつもは、落ち着いたしっかり者って評判なんですから!



2002年07月23日(火) ベルンハルト・シュリンク『朗読者』

ファンタジックな装丁からは想像できない、骨太な、大人な物語。
うーん。
最近私が読んだ本の中で、明らかに異質な一冊。

いや、見た目はすごく「ふつー」なの。
厚さ的にも、活字のつまり具合も。
そんで、去年ぐらいのベストセラーにあったから、
油断していたよ。
軽く読めると思ってたんだけど。

いや、こむずかしい表現が使われているってわけじゃないんだよ。
むしろスパッと簡単に表現しきっちゃってる文体。
だから表現としてはなんてことはないんだけど、一つの表現の背景にすごく大きなものがある感じがして、「ザクザクよんでいこー」って気になれないの。

一行読んでは、本から目を上げて考えてしまう。

ジャンルとしては私小説?
15歳の時に恋した21歳年上の女性との恋愛物語?
ナチスドイツに対する西ドイツの反動のルポタージュ?
法学的見地からみた戦争裁判…

とにかく、「もう一度読みたい」と思ったひさしぶりの作品です。
うん。この作品はもっと読み込む必要がある。

でも、この作品がしばらくベストセラーランキングに入っていたというのは感慨深い。
この本を面白いと思える人がそれだけいるというのは、嬉しいことです。
活字離れ、小難しいものを厭う風潮を愁う今日このごろですが、『朗読者』がベストセラーになるうちは、大丈夫!



2002年07月22日(月) 堕落的限界への挑戦

やってます。
毎日毎日、こつこつこつこつ。
寸暇を惜しんで。
寝る間を惜しんで。

『幻想水滸伝�掘�
1日の60パーセントを費やしている日々です。

「RPGをやりこみまくる」時を至福としている私は、まとまった時間ができると、はじめちゃうんです。
やりこみまくっちゃうんです。
もう、目がしょぼしょぼになろうが、一日一食しか食べなかろうが、ひたすらに。

そして、この日記も滞りがちに…。



2002年07月21日(日) 天上の青

よく、「CDをジャケ買いする」とかって言うけど、私はよく「本をジャケ読み」する。
本を見た目で選ぶんです。
そのとき、結構重要なのがタイトル!
もう、理屈なしに引き寄せられちゃうタイトルがある。
この前、この日記にも書いた、山本文緒の『眠れるラプンツェル』も、タイトルに引き寄せられて読んだ本。
タイトル通り、作品もすんごくよかった。

でも、タイトルだけでその作品のすべてが分かるわけもなく、タイトル負けということもあるみたい。
私にとって三浦綾子『天上の青』は、残念ながら、タイトルへの期待が大きかった分、作品の満足度は今一つでした。

『天上の青』を見かけたのは高校の図書室。いつものようにどんな新刊が入ったか、なんとなく見ていて見つけたこの作品。
「てんじょうのあお…てんじょうのあお…」
って、頭からタイトルが離れなかったくらい、すごく印象的なタイトル。

一体天上の青ってなんだ?
種を明かすと、あさがおの品種のことなんです。
heavenly blueという、大輪で、芯が白く全体にはっきりとした青空色のあさがおです。

主人公は、毎朝このheavenly blueに水をやっていて、あるいわくつきの男性と知り合って…。って、感じの話だったような…。
ストーリーはすっかり忘れちゃったのに、タイトルは今でも鮮明に覚えてるんだよなあ。
と、いうのも、今日、道端の庭先に、ヘブンリーブルーの朝顔が咲いているのを見かけて、『天上の青』のこと、思い出したというわけなんです。



2002年07月20日(土) あさがおに本葉が出てきたよ!

最近、ベランダ植物園にはまっています。

シンゴニューム、パキラ、ポトス、オリヅルラン、ワイヤープランツなどなど。
かわいい観葉植物に囲まれて、時のたつのも忘れてボーッとするのが、最近のお気に入りです。

で、急に、
「このベランダにあさがおをいっぱい咲かせたら、風情があるだろうなあ」
と、思い立ったのが、ついこの前。
もう7月に入っていました。あさがおの種まきは大体5月から6月。
う花の時期だというのに、言い出したら聞かない人なので、さっそく種を買ってきて、撒いてみました。

2日目ぐらいに、ぴょこって!かわいい双葉があらわれました。ぴょこぴょこ!全部で6つ芽が出ました。
「大きくなりますよーに」
と、大きな鉢を買ってきて、広々できるように植え替えました。
そして、今日、本葉を発見!
わーいわーい。早く大きくなーれ。



2002年07月19日(金) Normalization

私がよく行く、地域の卓球クラブにはさまざまな人がやってくる。
本格的に部活でやってきた人、子育てが一段落ついて、楽しんでやっている人、知り合いに誘われてやってくる人、年代も、目的も、さまざまだ。

そのなかで、Oさんという78歳のおじいさんがいる。
78歳というと、私の祖父と同い年だというのに、とても動きが敏捷で、
はつらつとしていて驚いてしまう。
Oさんには左腕がまったく無い。
従軍記者として中国へ出征した時に失ったと聞いた。

今日、Oさんと卓球をしていたら、小学3年生ぐらいの男の子が、Oさんに近づいてきて、左腕を、まじまじと見上げた。
Oさんは義手をつけていない。

「おじさん、左腕がない」
「ははは、今日は家においてきてしまったんだよ。
家に帰ったら、あるんだよ」

子供好きのOさんは、笑って言った。
その子は、喜んで、
「ほんとに?
手が無かったら、嫌じゃないの? ねえ、どうなってるの」
と、左肩に触れようとした。

私はいたたまれなくなって言った。
「ねえ、おじさんの左腕、どうしてなくなったかわかる?」

私は、どうすればよかったんだろう?
その子にどうやって教えてあげればよかったんだろう?

その子が、Oさんの左腕に興味を持ってまじまじと見つめた時、
「失礼なことをしちゃいけない」という言葉がでかかったが、言わなかった。
Oさんはできた人なので、まったく気にした様子もなかった、というのもあるけど、障害をタブー視して、その話題を避けることが、必ずしも優しさではないような気がしたからだ。

ノーマリゼーションということが盛んに言われる。
詳しくはわからないけれど、障害を個性としてとらえ、
「お互いの足りないところは補い合い、助け合って行こう」
ということだと理解している。
障害者だから、健常者だから、と、区別し、
「障害者はかわいそうだから手助けすべき」という逆差別をも越えて、
「ありのままを受け入れて協力し合う」ということだと思う。

男の子がOさんの腕のことについて話をすることを咎めることは、Oさん自身を疎外することになりかねないという気がしたから、その子を叱らなかった。

でも、ノーマリゼーションと無知、無配慮はまったく違う。
その子は、Oさんの障害を面白がっていた。
自分と異なる世界の物に対する、単純な興味だった。

「知らなければしょうがない」のだろうか。
私はそうは思えない。
人に対するやさしさ、思いやる気持ちは、絶対に持っていなければいけない、「知らなかったから」ですまされることではないと思う。

「おじさんの左腕、どうしてなくなったかわかる?」
その子は、目を見開き、しばらく考えて
「戦争?」
と、答えた。
「そうだよ。おじさんは、なくしたくて、左腕をなくしたんじゃないんだよ。」

それから、その子がおじさんにぶしつけな質問をすることはなかった。
でも、私の問いかけで、どれだけのことが伝わっただろうか。
どうやって伝えるのが最善なんだろうか。
わからない。



2002年07月17日(水) 山本文緒『紙婚式』

電車の中や、バスの中は、読書にうってつけ。
どっぷりと本の世界に遊びます。

持って行った文庫本は行きの車中で読んでしまったので、帰りの電車で読んで、と、ヨウちゃんにもらったのが山本文緒『紙婚式』

山本文緒は、現代若手女流作家のなかでは、私、一番好きな作家かもしれない。
繊細でありながら、冷静な観察が心地いい。

山本文緒との出会いは、高校生の時だったかな?
日曜日に、やることがなくて、ごろんと寝そべって、『眠れるラプンツェル』
を読み始めたら、夢中になっちゃって、一日ずっとその本読んでた。
その本は、図書館で借りていたんだけど、あんまりにも気に入ったから、
文庫本化された時に買ったんだ。
でもねえ、私の中で、『眠れるラプンツェル』を越える山本作品に出会えてないっていうのが、すごく不満。

どの作品も、面白いんだけどね。
さくっと読めるから、ちょっと気晴らしがしたい時なんか、
うってつけなんだけどね。

私の中での山本評価が高い分、
「えー、もっといい作品書けるんじゃないの?
って、要求も高くなってしまう。

この『紙婚式』は、結婚をモチーフにした短編集。
どの短編も、個性的で、丁寧に書かれているんだけど、うーん。
私に、結婚っていうテーマが、早かったのかもしれないな。
この短編集の中で、好きなのは、『秋茄子』と『紙婚式』です。



2002年07月16日(火) 群馬へ行ったら珍宝館

ヨウちゃん一押しの観光スポット、珍宝館へ。

もうね、それらしきもの、じゃないの。
そのものなの。
そのものずばり。
正々堂々見せることを誓います!
ってぐらいの勢いです。

春画、彫刻、それらしい形の自然物の類のオンパレード。
妙齢の女性が二人づれで嬉々としてくるような場所ではないのですが、
ヨウちゃんのお目当ては、珍宝館ガイドのおばちゃん。

本当に、おばちゃんのガイドは、一聴の価値がある。
このおばちゃん、どこにでもいそーな、お顔立ち、たたずまいなのですが、
その無表情のお顔から朗々と流れ出てくる、下ネタギャグのオンパレードに
私はまったく骨抜きにされてしまいました。
いや、ほんとにすごいんだって!

私、あんなにいいように笑かされたのは初めてだもん。
羞恥心とあいまって、童女のように小手先であしらわれてしまいました。

あとで、ヨウちゃんと話しました。
「あのおばちゃんは、すごい芸を持っているねえ」
「真の芸人を見たね!」
「ヨウちゃん、おばちゃんの後を継いで、
二代目になったら?」

そのあたりは、たくさんの博物館や、美術館があったので、
次に保科美術館へ行きました。
とても、落ち着いた雰囲気の美術館で、現代日本画家を中心に、展示してありました。

ほんとに、まじめな美術館なんです。
でも、いかんせん、珍宝館の後に行ったのがまずかった。
庭園の庭石、抽象絵画、見る物がすべて、卑猥な物に見えちゃって…。
毒に当てられてしまった。




2002年07月15日(月) ソウルメイト〜再会〜

わーいわーい、もう、勉強はないんだーい。
私は自由な小鳥ちゃんよ♪
と、いうわけで、友達に会いに群馬に行ってきました。

その子はヨウちゃん。
大学時代の3年間、同じ屋根の下にくらし、同じバイトをし、
同じサークルに遊んだ気のおけない友達です。

「気のおけない」じゃ、足りないなあ。
いうなれば「魂が共鳴しあっちゃってる友達」ぐらい。

ひさしぶりの再会です。
前に会ったのは、去年の秋。
ヨウちゃんの結婚式。
そう、もうヨウちゃんは奥さんになってしまったのです。

今回は、初めて二人の新居にお邪魔しました。
だけど、なんだろうねー、この気楽さ。
ヨウちゃんの旦那さんに会うのは、結婚式をあわせて2回目なのに、
初めから「のぶちゃん」呼ばわり。
ヨウちゃんから、いつも話を聞いていたので、ずっと前から知っているような感覚だったんだよねえ。

のぶちゃんという人も、できた人で、のほほーんとして、優しい感じの人なんだ。
「新婚家庭におじゃまして、
旦那さんのこともよく知らないけど、大丈夫かしら」
というのはまったくの杞憂で、大学時代みたいなパジャマパーティーを
繰り広げてしまった。
あー楽しかったあ。

でも、「ヨウちゃん、結婚したのね」
と実感したのは、私とヨウちゃんとのぶちゃんと3人が並んで歩いた時。
ヨウちゃんとのぶちゃんは、自然によりそってるんだよねえ。
べたべたしてるって感じじゃなくて、ごく自然に。
結婚してるんだねえ。
しみじみ。



2002年07月14日(日) 国語は勉強しだいでできるようになる!

会場から出てきた人が
「あーあ、することねー」
と言った。
どういう意味なのか、その人の真意は分からないけど、私も
「あー、することなくなっちゃたんだー」
と思った。

今日の面接試験で、教員採用試験が終了しました。
もう、数学も、日本史も、漢文も、つめこまなくていいんだ…。

ざんねん51パーセント。
こんな用意周到に準備しての受験って初めてだったから。
体調から、栄養状態、「げん」までかついじゃったもんね。

志望大学が安全圏内だったから、大学受験はマイペース。
以前、教採2回受けた時は、ほかのことで必死で、ほとんど対策なんて立てなかったし。
去年なんて、当日、消しゴムと時計忘れるし。

こんなに、時間をかけて、心をつくして、ひとつの試験を突破するために努力したのって初めて。

生まれて初めて、「勉強すると、力がつくんだなあ」って実感できた。
昨日までできなかったこと、今日できる自分がいた。

実は国語って、「勉強してもしなくても変わらない」って思ってた。
…国語教師のくせにね…。
でも、今度は、自分の実体験から生徒に言える。
「国語は勉強してもしなくても変わらない、なんて大間違いだよ!」って。

この1ヶ月の勉強期間で、すごく国語ができるようになった!
古文、漢文なんて、段違いに、「わかる!」
たった一冊、問題集をやっただけだったけど、超博学になっちゃった。

しかも、その問題集でやった「無名草子」の箇所が出たんだよー!
「勉強していたところが出た」
っていう体験も初めて。

「やればできる」
って、実は、「やる」ことができるかどうか、を問題にしている言葉だと思う。
誰だって、どんな人だって、「やり続け」さえすれば、できるようになる。
何だって。
でも、「やり続ける」ことって、けっこう根気と粘りと時間がいるから、
なかなかできないんだよね。

私は、今回初めて、「やればできる」って実感できて、すごく嬉しかった。
だから、もう、とりあえず、結果が出るまでは勉強しなくてよくなっちゃったのは、少し残念。

せっかく国語ができるようになったから、趣味でもっと問題集といてみようかな。



2002年07月13日(土) 長女と母

昨日の夜、ひさしぶりに、母に電話をした。
「明日、教員採用試験で、寝坊するわけにいかないから、
6時に電話してほしいんだけど」
「いいよ。わかった」

今朝、6時o’clockに電話がかかってきた。
「じゃあ、がんばって。いってらっしゃい」
やけに明るい母の声。
きっと、20分前には起きてたんだろうな。
そわそわ時計とにらめっこしてたんだろうな。

変な親子!

いや、変なんかじゃないね。
ごめん。
私がいつも冷たいからだね。
お母さんにとって、頼られることが何より嬉しいこととわかっているのに、いつも意地を張ってしまう。
何も相談せずに決めて、いつも事後報告。
一人で生きているみたいな顔して暮らしてる。

でも、昨日、「もし寝坊したらどうしよう?」って思った時、一番にお母さんの顔が浮かんだ。
都合のいい時だけ、頼ってごめんね。



2002年07月12日(金) ミラクル モーニング

ゆるやかに夢の世界がフェイドアウトしていくのに、ゆったりと体をまかせていたら、電子音が控えめに響いた。

ぴぴぴぴぴぴぴぴ。

6時30分。
目が開いた。
真っ青なあおぞら。
なんだなんだ、この今だかつてない、爽快な目覚めは!?

カキーンって、目が覚めたぞ。
カキーンって。

まだお布団をあげないままで、ごろごろとテレビの芸能ニュースを眺めていても、二度寝の睡魔もやってこないぞ。

すんばらしい!
調子に乗って、散歩に出かけた。

ああ、世界は毎日こんなに早い時間から動き始めてたんだなあ。
私が眠りをむさぼっている間に、こんな美しい光景が広がっていたんだなあ。。

てくてく歩いて、近くの県ケ森公園に行きました。
旧制松本高校あとの広い敷地をつらぬく道には、背の高い広葉樹が立ち並んでいます。
木漏れ日の中、ベンチに腰掛け、静かに本に目を落としました。

余はまんぞくじゃ。

この所私を悩ませつづけた不眠症の恐怖は劇的に立ち去ったようです。
それと同時に、ミラクルさわやかな朝がやってきました。



2002年07月10日(水) 政治に対する個人的がっかり

長野県知事不信任案可決による、県政の動向が全国的に話題になっていますねえ。

私は知事びいきよ。
結局、日本の悪政のワンパターンって、悪政と知りながらも解決を先延ばしにし続けてきたってことなわけです。
年金問題しかり、国債問題しかり。

ダム問題が不信任の焦点になっているけど、
ダムによらない治水が国際的な潮流だっていうのに、
「県財政への圧迫を理由に今後もダムを造りつづけよう」っていう、
県議会の近視眼的な考えはダム賛成の理由にならないでしょ。
その上、その県財政に与える経済的影響は、
知事と議会の見解がかみ合っていなくて、どちらが正しいのかもわかんないし。

まあ、それはそれとして、石原東京都知事、定例会見において。

記者 :「長野県知事に不信任案が決議されましたがどのよ
うに思われますか」
都知事:「あの人は、思ったことを黙っていられないから…。
一年半ぐらいおとなしくしていればよかったのに。」
記者一同:「はははは」

記者:「都知事と、田中知事は、まあ、作家知事ということで同じと
もいえますが、その点についていかがですか」
都知事:「作家知事といっても、格が違う」
記者一同:「そうですよね。
ははははは」

なんなのよ!?
この、なまぬるい空気は!!
石原都知事って、「次の首相に」って信じられない声もあるみたいだけど、
この人こそ暴君よ。
「三国人」とか、好きなことを言っておいて、
反発する声に対しては、威圧!威圧!威圧!
詭弁多弁を弄して、相手を黙らせる。

石原都知事の独善ぶりも腹立たしいけど、
そのプレッシャーに負けて、
迎合しきっている日本のマスコミの情けなさってば・…。
これこそ、諸悪の根元よ。
日本にまっとうな政治が育たない元凶よ。
弱い者に対しては徹底的にいじめるくせに、強い者にはおもねる。

この定例会見もそう。
記者の質問の質もひどいけど、石原都知事のほとんど軽口みたいなコメントに、
ひたすら「ハハハハー」
お愛想ふりまいちゃって。

せめてさあ、
都知事:「作家知事といっても、格が違う」
ってコメントに対して、
記者:「石原都知事は、ご自分のほうが上だっておっしゃるんですか?」
ぐらいの、厳しさ、なくちゃ、存在する意味が無い。
ほとんど、都知事ファンクラブ状態じゃない。ぷりぷり。



2002年07月09日(火) 不眠症のなが〜い夜

眠れない…。
いえ、正確に言うと、夜中の3時まではかけらも眠気が訪れないのです。
それどころか、頭が超クリアになってきて、いろんなことがめまぐるしく脳裏をよぎって、ちっとも頭を休めることができないのです。
そして、翌日は、お昼まで頭が開店休業…。
ぼえ〜っていう音が聞こえてきそうなほど、頭の中はからっぽ。

教員採用試験を土曜日に控えて、のっぴきならない状態になってきました。
試験はもちろん朝からです。
午後はかろうじて専門教養があるけど、3時には終了するというのに、このままでは、頭がまわり始める前に試験が終わってしまうではないですか。

何とかして、朝一番にカキーンと目が覚める頭に戻らなければ!
と、いろいろ試みています。
夜は11時にはお布団に入ります。
しかし、眠りは容易には訪れません。
「寝るってどういうことだっけ?」

運動不足なんだわ。
と、思って、卓球をへとへとになるまでやってみたりするんだけど、練習直後は
「つかれまくり!
今日は眠れるぞー!」
って思っても、お布団に入ると、また、眠りの妖精は私をすり抜けていってしまうのです。
無情なり。



2002年07月08日(月) あほさそこぬけ

たまに自分のあほさ加減に、あきれかえることがあります。
今日もそう。

また、やっちゃった。
月曜日なのに図書館に行っちまった。
入り口には「本日閉館」の無情な文字。

同じこと先週の月曜日にやったというのに…。
本当に、そこぬけのあほでございます

同じこと先週の月曜日にやったというのに…。
本当に、そこぬけのあほでございます。

しかたないので、大学図書館へ。
帰り道に、紫色のあじさいが見事に咲いていました。
見事な枝振りだったので、
ちょっと一枝ほしくなってしまいました。

「立派な株だから、一枝ぐらいいいよね。
かえって、ほかの枝に栄養がまわっていいかも」

部屋に帰って、花瓶に挿してみて、うっとり。
…したのも、つかの間のことでした。
翌朝、目覚めてみたら、あじさいは見るかげもなくぐったりしていました。
水切りはしたけれど、野生のあじさい、株から切り離しては生きていけなかったのね…。
私があほなばかりに、かわいそうなことしちゃったよ。



2002年07月06日(土) NEED OF DISCIPLINE

大きな通りに面した某ファミレス前。
待ち合わせに少し早く着いた私は、
国道を絶え間なく流れる車の群れを見るともなしに見ている。

待つことは、待たせることほど嫌じゃない。
ただぽっかりと、時間の流れに身を任せて、
待っていればいい。
そうしていれば、相手がやってきて、
また、時間が流れ始める。

最後に会ってから、まだ一ヶ月もたっていないのに、
少しなつかしい。
バイタリティーあふれる、はつらつとしたお姿は相変わらずだ。

教員採用試験まで、あと一週間、
というわけで、
今日は以前お世話になった中学校の校長先生に、
面接の特訓をしていただくことになったのです。

「いやー、わりわりー。
道がこんじゃった。」

とても、校長先生らしくない校長先生。
本当に、いい意味で。
ざっくばらんで、熱心で、かざらなくって、勉強熱心。

今日の面接特訓も、私のほうからお願いするのが筋なのに、
気にかけてくださって、校長先生から提案してくださった。

過去の面接での質問例を使って、ポイント、
対策を教えてくださったんだけど、やってよかったあ。
こつがわかった!
…気がする。

面接って、
あの、試されてるって感じがたまらないプレッシャーで、
自分の考えていることの半分も言葉にまとまらない
感じがする。
だから、「本番になったら、なんとかなるさ」
なんて、安易に考えて、
なるべく面接のことは考えないようにしてしまいそうだったけど、
やっぱり、特訓してもらうと、全然ちがう。

よかったやあ。

それにしても、思うのは、校長先生の勉強熱心さ。

今回も、「参考になると思って」
って、2冊の本を貸していただいたけど、
ほんとに、教育時事についての造けいが深い。

今、私は受験生だから、たくさんの資料に目を通したり、
勉強しているけど、果たして、教師生活30年たった時に、
校長先生のように勉強しつづけていられるか、
と自分に問い掛けてみると、あんまり自信ないなあ。



2002年07月04日(木) 平野啓一郎『一月物語』

最近まったく宵っぱり。
午前3時まで眠れない。
布団の中に入っても、ずっとずっと眠れない。
そして、夜更かしの翌日は当然朝寝坊。
だめ人間一直線です。

何とかして、早寝早起きを、というわけで、
今夜は12時には布団の中。
おともは平野啓一郎の『一月物語』
「平野啓一郎のかたーい表現を読めば、自然に眠気もやってくるだろう」
との、思惑だったのですが、これが面白くって!
寝るどころか、どんどん目がさえてしまって、
しおりをさしはさむことができず、
とうとう最後まで一気に読まされてしまいました。

うーん。平野啓一郎おそるべし。
前作『日蝕』を読んだ時は「現代の三島由紀夫だ!」
と思ったんだけど、この作品を読んで、「むしろ芥川竜之介か」
という気持ちに。
時代設定も、話も全然違うんだけど、
『薮の中』を読んでいるような錯覚にとらわれました。

神経衰弱の療養のため、一人あてのない旅にでた、明治の書生、井原真拆。
奈良県往仙岳の山中で、どこからか道に迷いこみ、脛を毒蛇にかまれて気を失い、
目を覚ましたそこは、年老いた僧のむすんだ小さな庵だった。
庵で傷の癒えるのを待つうちに、奇妙なことに気づいた。
毎日まったく同じように見るある女の夢。
時折襲い来る、自分がいまだに毒蛇にかまれて、山中で行き倒れたままでいるという、生々しい幻影。
そして、僧の言葉、
「この庵で何をして過ごしてもいいが、一つだけ、
禅堂の奥にある小屋にだけは絶対に近寄ったり、覗いたりしないでください」

「なんなの?一体どうなってるの?
すっごく気になる!!」
先を知りたい、という一心でページをめくっていき、
謎が飽和状態になったとき、旅館の女将の昔語り、
というこれ以上に無いほどうってつけな形で
謎はすべて明らかになっていくのです。

その文体のいかつさから、平野啓一郎は大衆から受け入れられないけど、
ほんとに単純にこの作品は楽しめると思うのになあ。

読了3時15分。
やっぱりこんな時間になっちゃった。くすん。



2002年07月03日(水) 罪の清算

図書館を利用するために、カードを作ろうと申請しました。
住所、氏名などを所定の用紙に書いて、受付の司書さんに提出。

待つことしばし…。

ピー!ピー!ピー!ピー!

「あら、以前借りられた本でまだ返却されていない本がありますね。
ずいぶん前…もう、4年も前…」

ぎくっ!
大学時代に図書館で借りた本で、
延滞しているうちに紛失してしまった本のことだー。
なくしたことも言い出せず、
催促のはがきを無視したままで引っ越していったんだけど、
悪いことって、できないもんだねえ。
因果応報です。
悪いことをしたら、その場をやり過ごすことはできても、いつか報いがやってくるんですね。

「す、すいません。
紛失してしまいました…。」

「あら…
そうしますと、本の代金を弁償していただくことになってしまいますが…。」

司書のお姉さんが、申し分けなさそうに言うから、かえって恐縮です。
ほんと、すいません!
お金で済むことならば、喜んでお支払いします。

「えーと、591円ですね。」

え?
そんなに安くていいんですか?

まったく、私の愚かさが思い知らされた出来事でした。
なくしたことに気づいた時すぐに申し出ることができなかった私の弱さ。

「間違えたら『失敗しちゃった。すいませんでした』って、謝って、
エヘヘって笑って、
次に同じことをしないように気をつければいいんだよ。
人間だから、失敗はする。
大切なのは、失敗した時、次にどう生かすかってことだと思うよ。」

って、生徒にいつも言うのに、自分が一番弱かった。
自分の犯した過ちの責任から逃げちゃいけないね。
たとえ上手く見つからずにすんでも、
後ろめたい気持ちが、ずっと心の奥でくすぶってしまう。

今日、大学時代の若気のいたりの償いを、遅ばせながらもすることができて、
少し、まっとうな人に近づけたような気がしてうれしかったです。
今まで、その本を借りたかった方、本当にすいませんでした。



2002年07月02日(火) 村上龍『ダメな女』

なんか期待させるタイトルです。
自虐的に、自分を反省したくなって、手にとってみました。
眼光鋭く、毒舌かましてもらいたくって。

ぜーんぜん、だめ。
久しぶりに、箸にも棒にもかからない本を読んでしまった。

「他人に出会えない女は悲しい。
そのことを安易にコンパで解決するのは悲しい上にさもしい」
とか、それぞれのエッセイのタイトルも、すごく期待させる。
なのに、読んでみたら…
「えっ、それで?
もう終わり?」
みたいな。

時事ネタ→ 感想→ 一般論→ 自慢→ (最後の二文)タイトルの反復

みたいな。
全然深まりも、個性も感じないんですけど。

村上龍の作品はそんなにたくさん読んだこと無いけど、こんなつまんない文章書く人??
女性ファッション誌の連載のために書いた文章だから、しょうがないのかな。
でも、「推敲したのか?」って、思わず問いただしたくなるぐらい、垂れ流し的文章。
がっかりしてしまいました。

あ、挿し絵はかっこよかったです。



2002年07月01日(月) 与えられることより与えることを

月曜は休館日だということを忘れて図書館へ行ってしまい、
なんとなくやる気をそがれてしまったくもり空の一日。

こんな日は本でも読んで心に栄養を。

本棚を見ると、前の学校を離れる時に、ある先生から餞別にいただいた本が目に入りました。
引越しや環境の変化で、読まなきゃ、読まなきゃと思いながらも、ほっておかれた本です。

渡辺和子『目に見えないけれど大切な物』
著者はノートルダム聖心学園理事長のシスターです。
この本を読んで、久しく離れていたキリストの御心にふれることができて本当によかったです。

特に、このところ私の心の大部分を占め、蝕んでいたごく感情的なことについて、
大きな示唆をいただきました。

―― 自分でさえ、汚い、みにくいと嫌い、隠していた傷口を「見せてごらん」と自分の手にとり、くすりをぬり、うみを取り、ほうたいを巻いてくれる人を自分の身近に持つ人は幸せである。
こうしてはじめて、私たちは、自分のみにくさを見つめる勇気を得ることができる。愛してくれる人とはそういう人である。ほれぼれとする姿だけでなく、どんな姿においても、そのみじめさ、みにくさをも、ともに見つめてくれる人である。
その時はじめて私たちは、自分がそれほどだめでないこと、卑下しないでよいことに気づくのである。愛されて、私たちは愛すべき人に変身してゆく。そして、やがて愛されるに価するものへと成長してゆくのだ。―――


私が誰からも隠しておいた弱点を見せてしまった時、
あの人は、あたたかく受け入れてくれた。

それは、私にとって本当に大きな驚きと喜びでした。
「完璧じゃなくてもいい。」
「ありのままでいい。」

それは、私にとって大きな発想の転換でした。
存在を許されるためには、
愛されるためには、
完全でなければならないと思っていたから。

私は、あの人に、弱い自分を許されることで、
初めて「I am OK」だと思うことができたのです。

でも、このごろの私の心を占めていたのは、
「こんなに好きなのに、報われないの?」
「私のことをどう思っているのか、確証がほしい」
っていう、
自分の想いに見合うだけの見返りを求める、ごうつくばりの、不満だらけの気持ち。

私は「自分ばかりが与えている」という錯覚にとらわれていたんです。
だけど、私が気づかずにいただけで、あの人はもっともっと大きなものをすでに私に与えてくれていました。

私はこれ以上、何を求め、奪おうというのでしょう。

私がこれからすべきことは、
私のまわりにいる人たち、これから出会う人たち、子どもたちに、
「You are OK」と伝えてあげることです。


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